九、猫鬼
宮兵とともに春妃の部屋に入ると、相変わらず彼女は長椅子に座っていた。傍には、あの大柄な宦官も控えている。
「あらあら、皆さん怖い顔。どうかされましたの?」
「しらばっくれても無駄だ。春妃」
「あら、貴女……。」
私の顔を見て、春妃は無表情になる。全ての感情をそげ落としたような顔だ。
「隆章。だから私は、殺しておけばと言ったのよ」
「申し訳ありません」
隆章と呼ばれた宦官は、妃に頭を下げた。そんな彼を春妃は一瞥する。
「まあ、いいわ。貴女の推理を聞かせてくださいな」
私は、推理を全て話す。
春妃が皇帝に猫鬼をかけたこと。
雪朱様の飼っていた猫は春妃が奪って飼っていること。
そうして、宦官を使って罪を雪朱様に擦り付けようとしたこと。
シャム猫の件まで全てを話したとき、春妃は大きなため息をついた。
「残念だわ。正解よ。猫鬼が見つかったときに思いついた策だけれど。
あらあら、お姉さまに怒られてしまうわ」
「お姉さま?」
何を言っているのだ。猫を殺し、皇帝を呪い殺そうとし、雪朱様を陥れ、怒られるだけですむはずがないだろう。
第一、お姉さまとは誰だ?
「追い詰めたと思っているでしょうけれど、追い詰められているのは、貴女たち」
「どういうことだ」
春妃はにこりと笑っていった。
「だって猫鬼を依頼したのは、お姉さま。
――皇太后様なんですもの」
私は絶句した。横にいる宮兵の恰好をした皇帝は、身じろぎもしなかった。
口元だけで、「そういう人なんだ」と呟く。
「この件は皇太后様がもみ消すわ。わたしも隆章もきっと助けてくださるの」
春妃は歌うようにそう言う。まるで夢見る乙女のような口ぶりだ。
私は、絶望して声が出ない。
その時、凛とした声がした。
「母上はそんな甘い人じゃないよ」
皇帝だ。彼は静かに冑を脱いだ。
銀の髪がさらりとこぼれる。月に照らされて、きらきらと輝いた。
「え?」
春妃が動揺する。
だって、この国いる者ならば誰もが知っている。銀の髪は特別だと。
そして彼は白魚のような細い指を春妃に向けた。
「春妃こと、昌莉花。猫鬼の犯人は貴女だ」
これは、呪い返しだ。
その瞬間、辺りが嵐のような騒音に包まれた。
「なーお」
「なーお」
「なーお」
「なーお」
沢山の猫の泣き声が響きわたる。猫の影が春妃を中心に渦を巻く。
「何?いや、やめて」
とぎれとぎれに、春妃の悲鳴が聞こえるが、猫の声でよく聞こえない。
それどころか、影が春妃に覆いかぶさって、その姿も見えない。
渦はどんどん加速していく。
私は息を飲み、皇帝の手をぎゅっと握りしめた。
「「「「「「「「なーお」」」」」」」」
最後に大きな声が聞こえたかと思うと、春妃がばたりと倒れた。
「梨花様!」
大柄な宦官がかけよる。春妃の美貌は、衰え、跡形もなくなっていた。
そこにいたのは、枯れ木のようにやせ細った老婆だ。
「ごめん、なさい。ごめん、なさい」
春妃がうわ言のようにつぶやく。
横でばたりと、音をたてて皇帝が倒れた。
「陛下!」
私は急いでうけとめる。どうやら反動で眠ってしまったようだ。袖から見える腕の痣は消えていた。
私はほっとする。安心しすぎて、腰が抜けてしまった。
そんな我々を月は静かに照らしている。
こうして、呪いは返された。