八、星星
どうやら推理は当たっていたようだった。春妃は自分の猫を猫鬼に使い、雪朱様の猫を今飼っている。速足で歩きながら、考えを巡らせた。
確かに、春妃の猫は黒猫だった。普通の人ならば騙せたであろう。ただ、私は猫について色々と調べてきた。
あれは、シャム猫。成長によって色が変わる猫だ。
子猫時代は白に近い色をしており、大人になるにつれ黒くなる。南のほうの猫。
それに
「喉を鳴らしていた」
喉を鳴らす猫は一般的に、懐いていると言われる。しかし、それだけではない。
危機を感じていても鳴らすのだ。
その時はたいてい、懐いている時より声が低く、毛が逆立っている。
あの猫もそうだった。あの黒猫は春妃を警戒している。
【春妃は猫鬼の犯人で、雪朱様の猫を飼っている】
早く、皇帝に相談しなければ。
といっても会えるのは四日後だ。どうにかして早く会えないものか。
猫鬼の犯人だと名指しするなら、公衆の面前がよいと思う。呪い返しがどういう形で来るかわからない。下手をすれば、自分が春妃を害したことになるかもしれない。
だから、皇帝に相談したかった。
――が。
「悪いな。娘」
ガツンと音がして、目の前に火花が散った。男の声が遠くで聞こえる。私は殴られたらしかった。痛みで意識がとぎれていく。
ふと、皇帝のことが頭に浮かんだ。守ると誓ったのに。一人にしないと言ったのに。
どうやら、次の逢瀬には行けないようだ。
殴られてから、七日は経った頃だろうか。私は目を開けた。
いや、本当のことを言うならば、殴られてから一時間後には意識は戻っていた。
部屋(元は物置?)の警備が厳しく、なかなか動けなかったのだ。
体術を習ったと言っても、十人力なわけではない。食事の際も、警備がついていたし、期を伺う必要があった。
しかし今は、
「……静かだ」
警備についていた宦官の多くが皆どこかに行ってしまった。
私は縛られた縄を身じろぎしてほどく。
これは、母が最初に教えてくれた技だ。
「お、おい!何をしている!?」
残っていた宦官が騒ぎだしたので、地面を蹴る。
彼の突き出した槍の切っ先が頬をかすめた。
崩れた体勢を生かして腰にひねりを加える。
「ぐはっ」
そして、顎を拳で打ち抜いた。
気絶した宦官を部屋の隅に運ぶ。
おそらく、私を監禁したのは春妃だろう。あとは、雪朱様のところに来た大柄な宦官も関わっている。他でもない。彼に殴られたのだ。
共謀して皇帝を呪って雪朱様に罪を擦り付けようとしている。
「許せない」
ただ、とりあえず脱出しなければならない。話はそれからだ。
部屋から抜け出したはいいが、どこが出口なのだろう。
上のほうから光が差し込む。
窓は小さく通り抜けは出来なさそうだ。
そこから上弦の月が見えた。満月まで、あと七日。
目線を下におろす。
「え!」
「にゃ~お」
と猫がいた。
しかもただの猫ではない。薄ぼんやりと光っている。その尾は何本にも分かれていて、目も四つある。
「……星星!」
茶色の化け猫だった。皇帝が飼っていた猫。
「にゃ!」
名前に短く返事をすると、星星は私を先導して歩きだす。
どうやら、出口に案内してくれるようだ。
「にゃ、にゃ、にゃ、にゃ」
動く度に声がでる。それも相変わらずだった。
あれから、色んなことがあった。皇帝と友人にもなった。
「なあ、星星。陛下の前には表れないのか?」
化け猫になっていることを、皇帝は知らない。化け猫でも、顔を見せれば彼はきっと喜ぶはずだ。私だって母上に化けてでも出てきて欲しい。
「にゃ、にゃ、にゃ、にゃ」
聞こえないふりをするように、こちらを見ずに星星は歩く。彼なりにいろんな考えがあるのだろう。
長い廊下を何度、曲がっただろうか。
前の方に灯りが見えた。
「星星。あれは……」
私が、訊ねようと下を見た時、星星はもういなかった。
灯りはどんどん増えていき、鎧の擦れる音も聞こえてきた。
どうやら宮兵のようだ。
なぜ、ここに宮兵がいるのだ。あの大柄な宦官が呼んだのか。私を助けに来たわけでもなかろうし。
とにかくどこかに隠れなければ。
私は焦る。
そうやって、あたりを見回す私の影を宮兵の一人が目ざとく見つけた。
「……」
無言で近づいてくる。思ったよりも小柄だ。
逃げようとする私の手を取ると、
「李」
そう、私を呼んだ。この呼び方をする人は一人しかいない。
こんな所にいるはずもない人。
誰よりも優しい人。
私が守ると決めた人。
「……陛下!」
私がそう言うと、皇帝は無言で私を壁に押し付けた。
優しく掴まれたものだから、反応できずにされるがままになる。
皇帝がいるということは、先ほどの宮兵は皇帝が率いていたのだろう。
「……」
「あの、陛下」
彼はそのまま壁に手をつく。すっぽりと覆われて。視界が暗くなった。
「あ、この格好は女官の潜入調査でして」
「……」
「えーっと」
銀のまつ毛が触れそうなほど近い。
半月の夜。ここだけはその光も入らない。
彼しか、見えない。
「もしかして、怒っていらっしゃいますか」
彼は珍しく無表情だ。そうしていると、まるで氷で出来ているようだ。
「……あたりまえでしょ」
彼は静かに怒っている。
「ねえ、李。君までいなくなったら、僕は」
「で、でも犯人が分かりました。春妃です。彼女が犯人なんです」
私がそう言うと、皇帝は大きなため息をついた。
「全く君は……。いっそ閉じ込めて、鍵をかけてしまおうか」
「へ、陛下?」
私が混乱していると、皇帝はゆっくりと顔を近づけてきた。
「そうすれば、君は勝手にいなくならない」
私の顎をやさしく、上げる。
あまりのことに目をつむったその時、
――彼は口づけを私の額におとした。
「え」
私は耳まで真っ赤になっていくのを感じた。茉莉花のような香りが甘く思考を痺れさせる。どういうことだろう。これは。彼なりの友情の証だろうか。友情の口づけ。あるかもしれない。いや、無いか。
皇帝の方をちらりと見ると、
「今は、これくらいで勘弁してあげる」
彼は涼しい顔である。
「え、いや、あの」
「ほら、春妃を捕まえに行くよ」
皇帝が悪戯っぽく笑って、私の手を引く。
猫鬼事件が終わろうとしていた。