二、邂逅
夢を見ていた。母上が亡くなった直後の夢。私は、本を読みあさっていた。幸い実家の職業上本は大量にあった。力だけじゃ守れなかった。私は知識をつけないと。昔、母上を守ると誓ったのに。本に涙が落ちそうになるのをこらえる。そこに
「にゃー」
家猫の一匹がすりよってきた。義母は多く猫を飼っていた。最近一匹減ったが。
当時私は、『猫鬼』についての本を読み漁っていた。
義母が猫を使って母上を呪い殺したという結論に達しようとしていたのだ。
「来るな。猫なんて嫌いだ」
私は、追い払う。
本に目を落とす。『猫鬼』は相手を三月のうちに呪い殺してしまう呪物である。作り方はよくなついた猫を殺して箱に入れ……
「にゃわー」
それでも、猫はうれしそうにその手にすり寄った。
その顔があんまり幸せそうで、猫があまりにも温かくて、胸がいっぱいになった。
思わず猫を撫でる。
私の涙は結局こぼれてしまった。
「母上……」
呟いたところで目が覚めた。調べものの途中で意識が飛んでいたようだ。急いで椅子から立ち上がる。
悠長なことはしていられない。
雪朱様が、『猫鬼』使いの疑いをかけられてから、二日がたった。彼女は今、後宮の北のはずれのほうにある、塔に幽閉されている。
私は、会うことも許されない。
皇帝側は呪いを解くまでそこから出さないという構えのようだ。
雪朱様の身分上、今殺されるというわけではないが、あまり時間はない。皇帝の呪殺は大罪だ。各方面への説明が終わったら、すぐにでも殺したいのが本音のはずだ。
しかし
「猫鬼ならば、雪朱様のはずがない」
私が読んだ書物には、呪い返しのことが書いてあった。猫鬼の術者は言い当てられると呪いが一気に返ってくるのだ。疑いをかけられたとき、雪朱様は狼狽していたものの、他に変わった様子は無かった。
そのことは、もちろん男に伝えたが、
「そんなことは聞いたこともない」
の一点張りだった。南の希少本だったため、今から取り寄せることも難しい。
あの男は頭が固い。どうにかして皇帝に直談判しに行けないものか。
そういうわけで私は、一計を案じることにした。
「というわけで、よろしく頼む」
「そ、そんなぁ!莉莉の頼みなら受けたいけど……!で、でも」
あの時、駆け込んできた宦官、津津に頭を下げる。津津は、宦官内でいじめられていたところを助けて以来、なにかと私の周りをうろちょろしている。
「男物の服を貸してくれるだけでいいんだ、頼む!」
「そんなの、莉莉が危険だよ」
私は男装した上で皇帝のもとに忍び込むことを考えたのだ。幸い私は、体が軽い。忍び込むには持って来いだ。
「雪朱様を助けたいんだ」
私は頭を下げる。津津はそらしていた目を伏せ、ため息をついた。
「……わかったよ。莉莉が雪朱様のこと大切なのも、知ってる」
そういって、津津は自分の部屋から一着の服を取り出した。
「莉莉、くれぐれも危ないことはしないでね」
「ありがとう、津津」
私は、津津を抱きしめる。彼はすこし照れたように頬をかいた。
ありがとう津津。捨てられた後宮であったが、大切なものが多く出来た。
津津、そして雪朱様。
「危ないことはしないでね」津津の言葉に私は頷くことはしなかった。
「よいしょ」
夜半、窓に足をかけ、そっと屋根に飛び移る。服は着替えてある。女官服では動きにくいし、万が一のとき、身分もバレやすい。
そのまま、ぴょんぴょんと屋根の上を越えていく。静かに、しなやかに、猫のように。
今日は満月だが、幸い雲が出ている。人にも見られる心配はない。私は夜目が効くし。
昔から義母は、私と母を殺そうとしていた。刺客が放たれたことも何度もあった。
そのため、母は私に体術、棒術、その他諸々を叩き込んだ。
母は強く、美しい人だった。津津は「商家の嫁がなんでそんな強いのさ」と言っていたが。そんなものだろう。今思えば、母は私が一人になってしまうのを恐れていたのではないだろうか。
考えごとをしているうちに、後宮の塀まで来た。下の宮兵にばれないように慎重に足をかける。一生かかっても出ることが出来ない女性もいるその塀は、越えるとスッと寒気がした。その理由は、きっと高さだけではないだろう。
後宮は大きく東西南北に区分けされている。私のいたのは北のほう、冬宮があるエリアだ。そこからひたすら南下し、後宮の塀を越えた。
その更に南に皇帝の住む神清殿があるという。しかし……
「どうやって入ったものか……」
当たり前のことではあるが、皇帝の寝所の警備は厳重だ。
いや、そこは想定内なのだが。なのだが。突破する策が思いつかないまま、焦って来てしまった。
現場に来てみれば、事態が好転しないかと思ったのである。
「莉莉は、強くてとっても素敵だけれど……もう少し先のことを考えた方がいいわ」
ふと、雪朱様の言葉を思い出した。以前、女官のなくした簪を一緒に探して、式典前に服が泥だらけになったときの言葉だった気がする。
「にゃお~」
隣で呆れたような猫の声がした。実際の声ではなく、脳に直接訴えかけるような声。
「え!?」
すぐさま振り返ると、そこには猫らしきものがあった。
らしき、といったのはその体が青白く透けていて、目が四つあり、しっぽらしきものが数本生えていたからだ。猫ではない。かといって別の生物でもない。明らかにこの世のものではない!
「ば、ば、ばば、ば、化け猫……!」
必死に悲鳴をこらえる。実家には猫が沢山いたが、このような猫は見たこともない。あったとしても、本の中の化け物だ。
「にゃ」
私が絶句していると、猫(?)は不敵に鼻を鳴らして、「ついてこい」とでも言うように背中を向けた。その背中を見ていると、妙に安心感がわいてくる。
「私を……案内してくれているのか……?」
「にゃ」
なんだかもう、予想外すぎて、逆に落ち着いてきた。
猫の背中を観察する。透けていて良く見えないが、全体のシルエットは丸く、茶色っぽい。猫は、心残りがあると化け猫になるという。昔は愛された茶虎猫だったのだろう。彼にも心残りがあるのだろうか。
「にゃっ、にゃっ、にゃっ」
歩くたびに声がでるのが何とも可愛らしい。こうして見ると、ただの猫のように思えてくる。
ただ、体が透けて、目としっぽが沢山あるだけの普通の猫というのは。
「……ないな」
猫を追ううちに、神清殿から遠く離れたところまで来た。城の西の壁に近い、普段はあまり使われていなさそうな地域だ。そこの小さな一棟の前で、猫は止まった。
「ここに、入れば良いのか?」
そう聞いて猫のほうを振り向くと、
――猫はもういなかった。
「なんだったんだ……」
小さな棟はかなり古く、蜘蛛の巣を手で払いながら進む。その奥には美しい天女の像があった。月からこの国に舞い降り、繁栄をもたらした天女、皇帝はその子孫だ。
古びた棟にこんなに美しい像があることに違和感がある。
「……」
ふと思い立ち、天女の像をゆっくりと押す。私は息を飲んだ。闇がゆっくりと顔をだす。後ろが空洞になっていたのだ。
宮殿には、皇帝のための抜け道が多数存在しているらしい。そう本で読んだことがある。
ここは、神清殿への隠し通路だろうか。
ずーっと歩いて、前後の感覚があいまいになる。突き当りの板をずらした。
まず目に飛び込んできたのは月だった。
強い風に流されて、雲は流れていってしまったようだ。
私はだれかの部屋の鏡台の裏に着いていたらしい。その部屋の正面には一人の少年がいる。
窓を開け、月を見ていた少年は、その薄氷色の瞳をこちらに向けた。
彼の肩までの銀の髪がサラリと揺れる。銀の髪を持つ人物はこの国に一人だけ。
「それで君は、僕を殺すつもりなんだ?」
少年――皇帝は、柔らかく微笑んだ。




