第1話 スカートは太ももがむずむずする
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五月の風が朝を彩る。
高校二年生――、凛と世海は学校へ向かう。
葵川を背に隣通しを歩く。青々と茂る山が地平線を囲んでいる。
お揃いの制服は初々しくも切なげ。
ミニスカートから白い生足がはつらつ。胸元が開いた着こなしは、世海の趣味。
「凛ー、スカート下ろしすぎ。もっと太もも出さないとかわいくない」
「いや、かわいくなる必要ないだろ」
「あるわよ。凛は女子高生なんだから。かわいくないと」
「……ッ、でも男だ」
「女子高生なのに、男なの? 変なの」
「う、うるさいな……、仕方ないだろ。そうなったんだから。今さらああだこうだ言うな」
「ふふふ。そうね。凛が望んだことだものね。世海ちゃんのために僕は女子高生になるって宣言したものね」
「そんなこと言ってない!」
「でも世海ちゃんのために頑張るって」
「う、うるさいな……、」
「それしか言えないのー?」
「だ、黙れ」
「それだけー? りんー? それだけー?」
「ぐ……」
「りんー、りんー」
高校生になって一年が過ぎた。
聖愛学園女子高等学校――、凛と世海が通う中高一貫の女子校である。実家から八駅離れた山奥にある私立のマンモス校は、自然溢れる環境に恵まれ、生徒たちの自主性と自由を尊重する伝統校だ。
制服はブレザーと紺色のブリーツスカート。ソックスは紺か黒か白。胸元には水色のリボン。
世海のために女子校に進学した凛が着用するのは、スカートとリボン。世海とお揃いのスカート丈に、胸元を開けた着こなし。
「りんー」
「……、早く行こう。誰にも見られたくないんだから」
「そんなこと言って。本当は嬉しいくせに」
「嬉しくない!」
「りんはえっちだもんね」
「……ッ、誰が変態だよ」
「でもおかしいじゃん。男の子なのにスカート履いて女子校に行くなんて」
凛はむずむずする。梅雨入はもう少し先。湿った風が時々吹いて、足下がくすぐったいのは、短いスカートのせいだ。太ももが恥ずかしくなり、内股になってしまう。こんな姿は誰にもみられたくない。と凛は思う。一年経っても。
「頑張ったんだ。色んな未来を、掴むために」
「女子高生になりたかったんだね。凛は」
「違う! そういう未来じゃない!」
「へんたいー」
「ちーがーう!」
「りんのへんたいー、えっちー、コスプレ女装男子―」
淡々と煽る世海の言葉は抑揚がない。「機械のように棒読み」「棒読みのよみちゃん」と揶揄されることもあるが、世海は気にしない。ムスッとした顔は愛嬌がないが、凛は気にならない。長い付き合い。気持ちは伝わる。世海は今、楽しんでいる。僕をからかって遊んでいるのだ。と凛は呆れるが、そんな朝を愛おしいと思う。
「りんー、へんたいー、えっちー」
「だけど、よかったよ。思えば、無理なことだったけど、でも踏み出してよかった。こうして世海と一緒に高校に行けるなんて、思ってなかったし」
「……そうね。一緒の家に住んでラブラブ登校。ベットもお風呂もみーんな一緒。幸せJKライフ」
「へ、変な言い方するなよ」
「女子高生の生着替えも体もスカートの中も見放題、揉み放題」
「揉まない!」
「えー、なんで?」
「当たり前だろ、バカ」
「訂正」
「……は?」
「バカなんて言ったらだめ。訂正」
「い、いや、……、バカはバカだろ。僕をからかう世海ちゃんは最低だ」
「関係ない。だめ。訂正」
「い、いや……しない」
「するの。早く訂正して」
「う……、うぅ……」
「はやくー、訂正ー、訂正しろー、ていせいー、さいていー」
「ご、ごめんなさい……」
「違う。ていせい。謝罪じゃなくて訂正」
「ど、どっちでもいいだろ」
「よくない。当たり前だろ、僕は世海ちゃんが大好きだけど恥ずかしがり屋なので揉めないです、と訂正」
「な、なんだそれは」
「はやくー、ていせいー、復唱ー、ふくしょうしろー、りんー」
「う……、うぅぅ」
二人は実家を出た。高校に通うために八駅離れた街に住んでいる。聖愛学園の寮「さくら荘」で共に暮らしている。古ぼけた日本家屋は壁が薄く、隙間風に悩まされる日々。世海にとっては幼馴染みの生活がよくわかり満足だが、凛はそうでもない。
登下校もいつも一緒。スカートを揺らしながら、田舎道を歩く。見渡す限りの山と、畑。住宅が点在し、その間には手つかずの自然や雑木林がのびのびと生きる。すれ違う通行者は農家か老人。校舎のある丘の上に向かうのは、同じ制服を着た学生だけ。
通学の途中、風景を実家と比べる凛。育った街の住宅街と違う光景。家と家の間に広がる無造作な空白が、まるで記憶が抜け落ちた自分の心のように思えて、切なくなる。ふと昨日へ連れていかれる。過去が幻想のようにフラッシュバックする。
*
聖愛学園に進学することを決めた後――、
凛は理事長と面会することになった。
学園の理事長室にて――、
「ふぅん。なるほど。きみが、涼風凛ちゃん?」
「す、涼風です。よろしくお願いします」
「うーん、なるほどぉ。ふむふむ」
「な、なんですか」
「うふふ、いや、なんでもないわ。そういうことかぁって思っただけよ」
「……そういうこと?」
「うふふ、燈子から聞いていると思うけれど、私が理事長の万代黒子です。よろしくね、凛ちゃん♪」
「は、はい……」
黒髪を後ろで束ねた魅惑の女性――、万代黒子は三十代にして理事長になった才女。聖愛学園を経営する一族の五世代目に当たる。凛の姿をひと目見て、黒子は眼鏡をキラリと光らせる。
「ふむふむ。まぁ、きみなら特例で入学させてあげてもいいかもしれない」
「ほ、本当ですか?」
「うん。事情は燈子から聞いているわ。大変な人生ね。涼風くんも」
「いえ……、別に、それは……」
「でも、そういうきみなら、うちとしても正直言って都合がいいの」
「都合がいい?」
「ええ、そうよ。聖愛学園はゆくゆくは共学化する方向で議決されている。時期は不透明だけれど、おいおいは男の子も少しずつ入学させていくの。その一歩としてね、きみは都合がいい」
「共学化……」
「知っての通り聖愛学園は福祉系の学校です。介護や看護系の専門科目もある。地域コミュニティを大事にし、高齢者施設や障がい者支援のボランティア活動も積極的に行っている。そこで、事情を抱えた男子生徒を特例として入学させる、というのは、委員会やスポンサーも理解してくれるでしょう。共学化を進める布石としてもぴったりね」
「そうですか……」
「うん。私は嘘はつけないから、きみには正直に話した。ごめんね。嫌になったかしら?」
「いえ……、むしろ運がよかったなと思いました」
「そう?」
「はい。僕のことは燈子先生から聞いているんですよね? この学校に来たい理由も。正直、女子校だとは知らず、最初は志望したんですが……、燈子先生の学校だったおかげでこうして理事長さんとご面会もできて……、特例までもらえて……、僕の人生も運がいいことがあるんだなって、驚いてます」
「優椎、世海さん、だったかしら。あなたをここまで動かしたお友達の女の子は」
「はい。多分、こんなにも運がいいのは、世海が神様に貢ぎ物をしているからだと思います」
「神様に? 貢ぎ物?」
「世界は理不尽だから、神様のご機嫌を取るんです。そうすると神様はご褒美として、夢を叶えてくれるんです」
「ははは……、なにそれ。誰の言葉~?」
「友達の……、言葉ですよ。昔の、大切な……」
「へぇ、面白い考え方ね」
「子供の短絡的な言葉遊びですけど、ね。はは……」
高級なソファと名も知らない額縁の写真たちが威圧する場所。
柔和に笑う黒子の顔は、万代燈子とよく似ていると思った。凛は主治医の姿を重ね合わせ、人の縁を奇跡という言葉で納得する。
「じゃあ、手続きは進めておくわね。試験は免除だから、後日、細かい資料を送ってね」
「は、はい……」
「あっ、後、採寸だけはしっかりしておいてね。サイズ合わないと色々、大変だと思うから」
「……? 制服の話ですか?」
「ええ、そう。ああ、でもきみはかわいいから、着たことあるかな? ごめんね。勝手な勘違いかもしれないけど、……、もしかしてそういう趣味もあったりするのかしら?」
「……? 趣味? なんの?」
「え? あぁ、女装趣味……、みたいな? あはは……、だってきみ女の子みたいだもの。声も顔も見た目も。燈子が気に入るわけだ」
「いや! そ、そんなのあるわけないじゃないですか!」
「あははは~、そう? ごめんね~? つい、そうなのかと思っちゃったわ」
「ありませんよ、そんなの。僕は女子校に入りたいなんて変なこと言ってますし、こんな見た目ですけど、男ですから」
「そ~? まあ、だとしたら尚更、しっかり準備しておいてね。その友達ちゃんに聞いたり、ね」
「……? だからなんの話しですか? よくわかんないんですけど……」
「え? あぁ……、だってうちの学校女子校だからね。きみの入学は許可するけれど、特例だし、男物の制服なんて用意されていないから、当分はスカートとリボンを着てもらいますから」
「え……」