誓いを胸に
全てを聞き終えてなお、彼女──エーリアが話した内容を受け止めきることが出来なかった。
ベッドに寝そべり、ぼんやりと青空を眺めながら、俺は先ほどまでの話を思い出す。
『──世界が滅ぶ? 冗談だろ?』
『いんや? 残念ながら真実だよ。約束から一万年……つまりあと五年かな? それまでに審判の塔の最上階に行って大神に答えを出さないと、人類は消されてしまうのさ』
あっけらかんと告げてきた彼女には、欠片の嘘の気配もなかった。
『ごめんね、理由も方法も誓約にて話すことは出来ない。どれだけお気に入りがいようとも、私も神に名を連ねる者だからね』
『けれど、これは過去が未来へと押しつけた一度きりの精算。今の人々が定めの日すら知らずに終わりを迎えるのは公平とは言いがたい。だから教えてあげたのさ』
窓の先へ視線をずらし、遠い過去に懐かしむような寂しげな声色になるエーリア。
彼女が何を考えているか、そんなの俺には分かるはずもない。人の心ですら察しにくいというのに、それより難易度の高い神の想いなど理解出来たら苦労はないだろう。
『……ま、きみがどういう選択を取るかは自由さ。信頼できる大人に伝えて、世界の終わりまで祈りながら過ごすのもいい。私は無理だと思うけど、一粒の希望に賭けてどこかに身を潜めるのも構わない。──全部、きみ自身が決めるんだ』
エーリアは話すことだけ話し、少し眠るからと、あくびをしながらこの場から姿を消してしまった。
先ほどまでの会話など露と消え、元通りの静寂へと戻った病室。
だというのに、俺はこの一人の時間を楽しむことなど出来ない。それほどまでに、彼女の話は重いだったのだから。
「どうすりゃいいんだよ……」
掌で顔を押さえながら頭を回し続けるも、いつまで経っても答えが出てくることはない。
大人に頼る? 無理だ、こんな荒唐無稽な話を信じてもらえるわけがない。
一人で逃げる? 恐らく上手くいかないし、成功しても一人じゃ何の意味もない。
……審判の塔へ挑む。たった三層で地獄を見た俺に、世界最大の迷宮を攻略できるはずがない。
案が出ては否定を繰り返すだけ。度重なる衝撃で蓄積してきた疲労は、重りとなって脳の周りを悪くしてくる。
──手詰まり。
彼女の言葉通りに人類は滅ぶのだと、いくら考えようともその結論が離れてくれなかった。
「……っ、くそがっ」
突き刺さるように奔った頭痛に思考は中断される。
……馬鹿の分際で考えすぎたな。時計はいつの間にか四時を指しているし、ちょっと休憩しようか。
飲み物でも取り出そうと、ゆっくりと体をずらし動こうとする。
ちょうどその時、こんこんと、今までとは違う音──病室の扉を叩く音が三回耳に届く。
「……どうぞー」
疲労でどうでもよかったからか、夕方の来客に適当に返事をする。
誰だろうか。両親は今日は来ないと言っていたし、また警察がくるとは考えにくい。
……もしや狩屋か? それなら相談できてちょっとは楽になるかな。
すぐ側にある冷蔵庫から緑茶の入ったペットボトルを取り出しながら、開かれた扉から入ってくる人物へ目を向け──その姿を見た瞬間、思わず持っていたペットボトルを落としてしまう。
「……久しぶりね」
月村雫。Aクラスにして“永久氷土”の二つ名を持つ黒髪の才女。
今はすっかり遠くなってしまった幼馴染が、何故かこの病室に訪れたのだから。
俺と雫の間に会話はなく、しゃりしゃりと、リンゴの彼女の手元から音が響く。
雫は慣れた手つきで動く包丁。まるで絵画のような光景に、相変わらず綺麗だなと思いながら、それでも緊張に取り憑かれている。
……どうしよう、会話の切っ掛けすら掴めない。
あの日以来、まともに話していなかった幼馴染にどんな言葉を掛ければいいのか。そもそもあんな別れ方をしたってのに、なんでここに来たのかすらよく分からないんだけど。
「はい、食べて」
「お、おう……。ありがとう……」
切り分けられた白色の果実の乗った皿を手渡され、俺は流れのままに受け取ってしまう。
手が汚れないようにと刺さった二本の爪楊枝に、三きれほど兎のように可愛く形作られたリンゴ達。
凝り性なのは相変わらずだと思いながら、一きれ持ち上げ口へと放り込む。……うん、旨い。
「……美味しい?」
「ああ、甘い」
「そう、なら良かった。ちょっと高いやつだしね」
久しぶりに食べたリンゴを味わいながら答えると、雫少しだけ目と口元を緩める。
昔ほど表情には出さないが、意外と楽しんでいるらしい。こいつにこんな顔されると、なんか子供の頃に見ていた母さんを思い出して照れくさくなるんだけどな。
「……ごくっ、まさか来てくれるとは思わなかったよ」
「そりゃあ来るわよ。心配したんだから」
雫はリンゴを囓りながら、昔と変わりない気安さで話してくる。
何か予想外の矢印過ぎてむず痒くなってくる。本当は理由があって来ただけで、社交辞令なんじゃないか?
「……それで、どれくらいで退院できそうなの?」
「あー、問題なければ来週には出れるってさ」
「そう。……良かった」
問題ないことを伝えれば、ほっと胸を撫で下ろす雫。
どうやら本当に心配させてたらしい。流石にこれを嘘と言えるほど、こいつのことを知らないわけではないからな。
一度は話し始めれば、後は流れのままに会話は進んでいく。
最初はどうなるかと思ったが、やっぱり雫と話すのは楽しくて心地好い。
昔のことから今のことまで。一年の溝を埋めるようにたくさんの言葉が交わしていった。
「酷いよなぁ、学校で見てもスルーしてくるとかよぉ。傷つくぜ」
「仕方ないじゃない。私と仲良くしてたら、他の奴にやっかまれるわよ? 特に光崎とか千棘とか、下には死ぬほど煩い連中がね」
「うへー」
ちょっと意地悪く言ってみれば、雫は頬杖をつきながら、辟易した表情で返してくる。
「……それに、気まずかったのよ。変な感じで別れちゃって、その後会わずに卒業しちゃったから」
「……俺だってそうだよ」
俺の方がそうだったよと、そうはっきりとは口が裂けても言えなかった。
「でも、それももう終わり! あんたもこれで無茶言わなくなるし、ようやく気が休まるってもんよ」
「……無茶って?」
「決まってるでしょ? 冒険者よ。痛い目見てわかったでしょ? 自分には冒険者なんて無理だって」
心底安堵したと言わんばかりに、雫は唐突に現実を突きつけてくる。
「魔力もないのに冒生に入れたのは凄いと思う。私が同じ立場だったらとっくに諦めてるしね」
「けどわかったでしょ? 今回は本当に運良く生き延びただけ。Bクラスにも入れない魔法力で挑めるほど、迷宮は甘くないのよ」
思わず、無意識でもシーツの中で拳を握りしめてしまうほど厳しい言葉。
けれど雫が言うことは、これ以上なく正論だ。実際神の助けなんて奇跡がなければ、彼女とこんな風に会話することすら出来なかったのだから。
「辛かったでしょう、怖かったでしょう? それが現実、逆らえない運命なのよ」
「…………」
「だからこれで終わり。私たちの夢は私が背負って進むから、あんたは卒業だけ考えて普通に生きるべきよ。そうすれば、きっと父さんも納得して──」
雫の言葉が遠退いていく。理解という現実が、俺の思考を沼へと沈めていく。
あの頃と──一年前と変わらない雫の言葉。俺は否定も出来ず、ただ俯くことしか出来ない。
嗚呼情けない。いくら迷宮をクリアしようと俺は俺、何も成長しちゃあいないじゃないか。
『──いっしょになろうね! かっこいいぼうけんしゃに!』
「──っ!!」
雫が隣にいたからか、遠い過去の言葉を思い出してしまう。
幼い頃の雫との誓い。差なんてなかった何も知らない少年少女が交わした約束。
……そうだ。始まりは冒険譚でも、憧れが夢になったのはこのときだった。今日まで足掻いて来れたのは、この約束があったからだ。
──冒険者。どんな未知をも踏み越え、どんな怪物すらも打倒せしめる誉れある人。
そんな人になりたいと思った。そうありたいと、心から底から願ったのだ。
変わっていない、か。……そうだな、あの頃から何一つ変わっちゃいないんだ。
世界の終わりも正論という名の常識も関係ない。
大事なのは走り続けることだけ。あの日灯した小さな火を、絶やすことなく挑み続けることだけなのだ。
「──辞めないよ」
「だからこれからは……はっ?」
「冒険者は諦めない。自分の夢は自分で叶えるよ、雫」
はっきりと、お腹から声を出して。雫の言葉を遮って想いを告げる。
「な、何言ってんの……? 死ぬような目に遭ったんでしょ? いやというほど足りないって理解したんでしょ? ならそんな結論出せるわけが──」
「──やっと気付いたんだ。大事なのは俺がなにをしたいかだって、どうすれば納得いく後悔が出来るのかだって」
「だから俺は挑むのを止めない。どれだけ無謀で絶望的な夢でも、誰もが笑う無茶苦茶な理想だとしても。俺は冒険者を──審判の塔を踏破できるくらい、強くてすごい子供の夢を叶えるために走り続けるよ」
声はゆっくりと、大きく、はっきりと。
決意で退路を壊すように、中で眠っている神様への答えを示すために言葉にしていく。
酷く愚かな決断だと思う。これを聞いた多くの者が、目の前の少女のように顔を歪ませるのだろう。
だがそれでも。もう決まってしまった、決めてしまったのだ。
冒険者になる。そのためならどんなに険しい茨の道でも歩いてみせるのだと、この瞬間に。
見つめ合う俺と雫。あの日と違い、もう逸らしたりはしない。
「……本気なのね? 本当に曲げる気はないのね?」
「ああ。本気だ」
「……はあっ、やっぱりあんた大馬鹿よ。世界で一番のくそ馬鹿野郎よ」
雫はやがて諦めたようにため息を吐き、椅子から腰を上げ鞄を手に持つ。
「なら、もうあんたと話すことはないわ。あの日と同じようにここでさよならよ、紅蓮」
一瞬にして体の端から端まで突き刺さる、身も毛もよだつ鋭い凍気。
雫が零したのは一滴の魔力。“永久氷土”を最強たらしめる絶対の片鱗。
脅しで出したわけじゃないのはわかっている。漏れただけ、ただそれだけのこと。
けれど、これが才能。誰もが知る残酷な現実。
上と下。持つ者と持たざる者。雫と俺にあるのは、この絶対的な差だ。
──負けないさ。いつか必ず、彼女すらも追い越して冒険者になってみせるよ。
「来てくれてありがとう。久しぶりに話せて嬉しかったよ、雫」
「……はあっ」
部屋から出ようとした雫に声を掛けると、扉を開ける前に立ち止まる。
「……二月の交流戦、そこで大将戦に出なさい。あんたの夢、私の手で終わらせてあげるから」
長い黒髪を靡かせながらこちらへ振り向き、俺を指差し言葉をぶつけてくる。
雫が言っているのは一年の締めくくりの大行事のこと。
実力さえあれば、他クラスの選りすぐりとの戦闘を許される数少ない場。そんな場でけりをつけようと、雫はそう言ったのだ。
「ああ、見せてやるよ」
「……ふんっ」
怖いけど、もう迷うことはない。前とは違い、はっきりと口に出来た。
雫はそれが不満だったのか、鼻を鳴らしながら扉を開け、不満げな足取りで病室から立ち去っていく。
少女は去り、再び一人きりとなった病室に少しだけ寂しさを覚える。
俺は左手を眺めながらぐっと拳を握った後、鴉の鳴き声が聞こえる窓の外に視線を移す。
鳴き声の主はどこにもおらず、茜に染まった夕から黒に切り替わりつつある空だけ。
何もなく、何もいない、何の変哲もない日常の景色。……あと何度、こんな空を味トラック音が出来るのだろうか。
……いや、見れるのかじゃない。何度だって見る、俺が満足するまで見続けるんだ。
「……やってやる、やってやるさ。審判の塔も冒険者も、全部成し遂げてやる」
決意を新たに、俺は再度夢を誓う。
俺にとっての再始動。──諦めかけた冒険への渇望に、どうにも高鳴りが収まらなかった。
ここで一旦終わりとさせていただきます。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。最後に評価や感想などを頂かれると今後の励みになります。
続きの構想はありますが、自分の気分で書くか考えたいと思います。




