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◇◇◇
「どうぞ。こちらです」
テオと一緒にキャシーの寝室へとやってきた。彼女の部屋の前にいた兵士は私を見て怪訝な顔を見たが、テオが「聖女候補です。いないよりマシかと思い連れてきました」という言葉に納得したようだった。
落ち零れだろうが、私が国に認められた聖女候補であるという事実は変わらない。
藁にでも縋りたいのだろう。驚くくらいあっさりと私のことも中へ入れてくれた。
「……王妃様。失礼します。神官長のテオドアです」
テオが声を掛ける。返事はない。
広い寝室には赤い絨毯が敷かれていた。豪奢な家具と天蓋付きのベッドは見覚えがある。昔見せてもらった、彼女の部屋のままだった。
――キャシー。
心の中で名前を呟き、あることに気がついた。
驚くことに、キャシーの寝室には誰もいなかったのだ。
王妃であるキャシーには大勢の女官や医者が付き添っているものと思っていたのに。
私が驚いたことに気づいたのか、テオが言った。
「王妃様が下がらせたのです。これは呪いだからとどうしようもない。あなたたちに呪いの余波がいくのは嫌だから、ひとりにさせて欲しい、と」
「キャシー……」
私の知るキャシーなら言いそうな言葉だ。
彼女は優しい人だから。自分のせいで呪いが誰かに移るなど許せないと思ったのだろう。
「それでも側にいると皆言ったのですが、王妃様はお許しにならず、結局、陛下が倒れられる前は、カタリーナ様とおふたりで過ごしていらっしゃいました」
「そう、なの……」
そしてそのカタリーナ様も国王の下へ行ってしまった。
キャシーはきっと笑顔で見送ったのだろう。
おそらくはキャシーの元を離れることを躊躇したカタリーナ様に、自分はいいから夫を助けてくれと頼んだに違いない。
キャシーを見捨てられないカタリーナ様の背中を押したのだろう。彼女がそういう女性だと知っている。
「レティシア様」
「……ええ」
テオに声を掛けられ頷いた。
キャシーが眠るベッドに近づいて行く。気遣うようにテオが言う。
「……なんでしたらまずは僕が治癒魔法を使いましょうか? もしかしたら少しくらいは効くかもしれませんし」
「ありがとう、テオ。でも、それに意味がないことは、あなたが一番知っているでしょう? 大丈夫。ここに来ると決めたのは私だもの。私がやるわ」
今更居竦んだりしない。私は必ず、キャシーを生き延びさせてみせる。
「私がお願いしたいのは、他の人が来ないようにということくらいね。……覚悟は決めているけど、たくさんの人に知られたいわけではないから」
「分かりました。そちらは僕に任せて下さい。誰か来ても、王妃様の寝台までは近づけさせません」
「ありがとう」
礼を言い、すうっと深呼吸をひとつ。
気合いを入れ直し、テオをその場に残した私は、無言でベッドに近づいた。
そこには覚悟していた通り、苦しみと熱に喘ぐキャシーが横たわっていた。
「……」
浅い呼吸を繰り返すキャシーには、黒い靄が纏わり付いていた。
呪いだ。キャシーを苦しめているにっくき呪い。
テオが言っていた通り、ノア王子についていたものと同じ呪いに私には見えた。
「はあ……はあ……」
黒い靄がキャシーの首を絞めるように動く。
見ていられず、私は近くにあった丸椅子に腰掛け、その呪いに手を伸ばした。
「神よ。――あなたのご威光をお示し下さい」
呪いを払うだけでは、大した力を使わない。特に苦労することなく、キャシーに纏わり付いていた黒い靄を祓うことができた。
苦しんでいたキャシーがふうっと大きく息を吐き出す。少しは楽になったのだろうか。そう思い、様子を窺っていると、また彼女の顔周りに黒い靄が集まり始めた。
「っ! もう!?」
祓ってもすぐに復活するという話は聞いていたが、それにしても早すぎる。
慌ててもう一度、神の奇跡を行使した。呪いは消え、だけど嘲笑うかのようにあっという間に復活する。
「嘘でしょ……」
こんなの、どうしようもない。
カタリーナ様がキャシーの側から離れられなかったわけだ。
祓ってもすぐに復活する呪いの靄。焦りつつも靄を再度祓っていると、離れた場所からテオが話し掛けてきた。
「レティシア様。如何ですか?」
「……駄目。祓ったと思った次の瞬間にはもう呪いが復活しているわ。話には聞いていたけど早すぎる」
「それでも呪いを一旦解けば、しばらくの間は苦しみ方がマシになるのですよ。意味はあるのです」
「そう、ね」
また呪いに侵され始めたキャシーを見つめる。確かに最初に見た時よりも苦しみ方はマシそうだ。
イメージで言うのなら、39度の熱が出ていたのが37度後半くらいになったくらい。
どちらもしんどいが、それでも多少は楽になるのだろう。これなら、こまめに呪いを祓う意味は十分にある。
「とりあえず、私はキャシーの呪いを解呪し続けるわ。今、できることはそれくらいしかないし」
「お願い致します。カタリーナ様が陛下の元へ行かれた今、レティシア様を頼るより他はありませんから」
「もちろん。キャシーを死なせたりしないわ」
でなければ、何のために危険を犯してここまできたのか分からなくなる。
私はキャシーの手を握り、ひたすら呪いを払い続けた。幸いにも私の力は潤沢だ。
時間を空けて回復させる必要はないので、それこそずっと力を使い続けることが可能だったのだ。
だがそんな無茶をすれば当然、どこかに影響は出る。
呪いを祓うこと自体は大した力を必要としなくても、継続すれば当然積み重なってくる。
気づけば私の髪の色は銀色に戻っていた。多分、目の色も青色に戻っているのだろう。
だけど気にしていられない。
だって先ほどから呪いの力が強くなってきている。まるでキャシーの命を刈りに来ているような、そんな気がするのだ。





