2
私の手を通して、男に神の力が流れ込んでいく。しばらく触れていると、男が「うっ」と呻き声を上げた。
『大丈夫?』
『えっ……あ……』
前世で覚えたエルフィン語で語りかけると、男性はゆるゆると目を開けた。こちらを見る。宝石のような紫色の瞳が美しい。
少し垂れた目。女性が好みそうな甘いマスクだ。とはいえ、弱々しい感じはない。
『あ……あなた、は……?』
自分の身に何が起きたのか分かっていないのだろう。彼は驚いたように瞳を揺らした。
『エルフィン人?』
『違う。ルイスウィーク人よ。ちょっとエルフィン語が話せるだけ。あなた、ルイスウィーク語が話せる?』
念のために確認すると、彼はこくりと肯定するように首を縦に振った。
こちらの言葉が話せるのならばと、ルイスウィーク語に切り替える。
「良かった。じゃあ、説明するわね。ええと、あまり深く聞いて欲しくはないんだけど、今、あなたの身体は全部治したから。胸に病があったのかしら? そこの辺りは分からないけど、悪いところは全部治したはずよ」
「えっ……?」
ギョッとしたように目を見開き、男は自分の胸を押さえた。
驚愕の顔で呟く。
「嘘……苦しく、ない?」
やはり心臓の辺りに何らかの疾患があったようである。放っておけば死ぬかもと思ったが、正解だった。心臓の病には、命の危険性が高いものが多いというのは、薬屋で育った私には常識だ。
助けて良かったと安堵していると、彼は混乱したように言った。
「ど、どうして……? いや、それより私は精霊魔法を使っていたはずなのに、何故私を認識できている? ……魔法が解けた? いや、今も発動している? は?」
多少どころか大混乱の様子だ。
それも当たり前。普通は、精霊魔法を認識するなどできないものだからだ。
「あー、そこはまあ、私が特別仕様というか、そういうのが分かる性質だったというか」
「性質って……いや、それより私の病が治ったと……」
「ええ。そこのあたりはバッチリと」
身体から力が抜き取られた感覚があるので、間違いなく治っているはずだ。
頷くと、彼はわなわなと震え始めた。
「そんな……私の病は聖女くらいしか治せないだろうと言われていて……あ……」
そこで思い当たったのか、彼が思いきり目を丸くする。
誤魔化しようもないので、頷いた。力を使ってしまった以上、聖女バレはすでに腹を括っている。
「あーうん。そういうこと。で、お願いがあるんだけど。助けたからって言うわけじゃないけど、代わりに私があなたを助けたこと、誰にも秘密にしてくれないかな」
聖女、と言いかけた彼の言葉を塞ぐように己の望みを告げる。
聖女バレは仕方ない。だけどせめて、話が広がらないようにはしたかったのだ。
彼が黙っていてくれれば、それ以上被害はない。少し話しただけだが、彼は誠実そうに見えるし、約束を取り付けさえすれば、守ってくれるのではないか。そんな風に思えた……というか、そうであることに期待したい。
「お察しの通り、私は聖女……というか聖女候補なんだけど。……事情があって、奇跡を使えることを秘密にしているの。だからあなたに私のことを誰かに話されると困るというか……」
「聖女候補? え、あ、いやもちろん、助けていただいたのです。約束することくらい容易いことですが、でもその髪と目の色は? 確か聖女は銀色の髪と青い目をしていると……。え、あれ、違ったかな?」
首を傾げる彼に、そういえば彼はエルフィン出身だったと改めて思った。
実はエルフィンという国は、ここ三十年くらい、聖女不在なのだ。
常に聖女がいる国というのはなかなか少ない。聖女が降り、次の聖女が立つまで五十年掛かった……なんて国もあるくらいだから、本当に聖女とは貴重な存在なのである。
彼の外見年齢なら、聖女を見たことがない可能性の方が高い。
初めて見た聖女に戸惑っているのだろう。
「私は落ち零れの聖女候補だから。本物の聖女はちゃんと銀髪青目。間違ってないわ」
「は? 落ち零れ? 私の精霊魔法すら見破り、なおかつ、病まで治して下さった方が落ち零れなのですか?」
「……う。事情があると言ったでしょ。その辺りは聞かないで。とにかく、黙っててくれればそれでいいから。運良く良い医者にかかって助かった……みたいな感じにしておいて」
無理があるのは重々承知の上で頼む。
分からないという顔をしつつも男は頷いてくれた。
「それがあなたの望みとあれば従いますが。その、遅れましたが本当にありがとうございました。きっとあのままなら私は死んでいたでしょう」
「……そうね。それは否定しないわ。あと、忠告だけど、精霊魔法を掛けたまま倒れるのは良くないと思う。偶然私が見つけたから良かったものの、そうでなかったら誰にも発見されなかった可能性が高いわよ」
私の指摘に、男も苦い顔で頷いた。
「その通りです。……その、言い訳になるとは分かっているのですけど、そんなつもりはなかったんです。魔法を使って、精霊を戻して。さて、大通りに出ようと思ったタイミングで心臓の発作が来てしまって、魔法を解除するというところまで意識が持ちませんでした……前からも何度か発作はあったのですが、こんな急に来たのは初めてで」
発作という言葉に顔を歪める。
心臓発作が突発的なものだということくらいは知っている。なるほど、彼がこんな場所で倒れていたわけだ。
わざわざ精霊魔法を使って姿を隠して行動していたという点が気になったが、そこにはあえて触れないでおく。
私は彼と深く関わる気はないのだ。
聞いて、取り返しのつかないことになるかもしれないと思えば、スルーするのが賢い選択。
微妙な顔をする私に、彼は苦笑した。
「何も、聞かないんですね」





