その手だけは離せないから
ノア王子と魔物退治に行ってから三日が経った。
私はいつも通り日々を過ごしている。
カタリーナ様と一緒にお祈りをしたり、耳にたこができるほど聞いた聖女の心得を学んだりといった、普段通りの毎日だ。
幸いなことにカタリーナ様の態度はあれからすぐに元に戻り、妙なことは言わなくなった。
私がライバルではないと信じてくれたのか、これ以上は聞いても無駄だと悟ったのか定かではないが、しつこく言われるのは嫌だなと思ったので、安堵している。
ノア王子のことさえなければ、カタリーナ様は、本当に良い人なのだ。
優しく平等で、聖女に対する心構えだって完璧。
彼女は、まさに聖女とはこういう人ともいうべき人物で、適当聖女をしていた私からしてみれば、その存在は眩いばかりだった。
――こういう人もいるんだ。
カタリーナ様を見ていると、自分の心の汚さが浮き彫りになる。
私は衣食住とかお金に釣られて聖女になったクチなので、『皆のために』と本気で言える彼女が眩しいのである。
すごいなあ。私は無理だなあとそんな感じ。
リアリムなんかにはよく「聖女様を見習って」と言われるが、無理だ。
私には博愛精神なんてものはない。
大聖女だった頃にすらなかったのだ。今更出てきようもないので諦めて欲しいと思う。
◇◇◇
「は~、やっぱりこっちは気が楽!」
その日、私はいつも通り空間転移の奇跡を使い、実家に帰ってきていた。
今は父に頼まれ、薬の配達をしてきたところ。何も気負わずに過ごせる時間は私に取ってとても貴重で、ノア王子にバレたことを考えても、あまり褒められたことではないと分かってはいるのだけれど、やはり気持ちが滅入った時なんかは、ふらりと実家に帰ってしまう。
「ちょっとウィンドウショッピングでもしていこうかな」
薬を届け終わったので、あとは家に帰るだけ。たまには町の雰囲気を楽しんでも良いのではないだろうか。
ウキウキと大通りへ向かう。
そういえば、王子からもらったペンダントは色々考えた結果、身につけておくことに決めた。
どこで何か起こるか分からない。自分の身を守るためのものと考えれば、そうするのが一番だと思った。見せびらかすようなものでもないと思ったので、首から掛け、服の下に入れて見えないようにしている。お守り代わりのようなものだ。
「あ、この靴可愛い」
「いらっしゃい。良かったら履いてみるかい?」
楽しく店のショーウィンドウを眺めていると、店主が出てきて声を掛けてくれる。それに返事をしていると、自分が聖女候補なんて嘘なのではないかと思ってしまう。
あまりにもありふれた日常。
私がついこの間まで享受していたもの。それが返ってきたような、そんな気持ちになってしまうのだ。
「う……」
「?」
ガラス越しに赤い靴を眺めていた私の耳に、突然呻き声のようなものが聞こえてきた。
ハッとし、周囲を確認するも、不審な人物はいない。皆、普通に道を歩いているだけだ。気のせいかと首を傾げていると、また声が聞こえて来た。
「うう……」
どう考えても空耳ではない。だけど、その姿はどこにも見えなかった。
気になり、再度周囲を捜索する。キョロキョロする私を、通りがかった人たちは不思議そうな顔をして見ていた。
――誰も気づいていない?
小さな声だったから、私以外に聞こえなかったのだろうか。
気になるも、今は声の主を探す方が先だ。大通りに挙動がおかしい人はいなかったので、念のためにと、店と店の間にある狭い路地を覗いてみる。そこには成人と思われる男の人が、今にも死にそうな顔をして壁にもたれていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
どうして誰も気づかないのか。
舌打ちしたい気持ちを堪え、駆け寄る。
側に行くと、彼が胸の辺りを押さえていることに気がついた。もしかして心臓に持病でもあるのだろうか。だとしたら、すぐにでも医者に診せなければ。
焦りながらも俯く男性を見る。苦しげに呼吸を繰り返す男は額にびっしりと汗を掻いていた。ピンクがかった茶色の髪が張り付いている。
年は私と同じくらいだろうか。苦しげに眉を寄せる姿は儚くも美しい。体つきも細身で、手首は驚くほど細かった。
何度か声を掛けるも、彼は私の方を見ることさえしない。それだけ余裕がないのだろう。
――誰か、誰か連れて来なくっちゃ。
男性をひとりで運ぶのはさすがに不可能なので、大通りに出て助けを呼ぼうと決める。
だがそこで気がついた。
彼の周囲にキラキラと銀の光が舞っていることに。そしてその銀の光がなんなのか、私は前世の経験により知っていた。
「……精霊?」
風の精霊による、姿隠しの魔法。その痕跡だ。
精霊魔法。
精霊と契約し、魔法を行使する、隣国エルフィンで主に使われている魔法だ。
エルフィンは精霊の住まう土地としても有名で、今、世界で精霊のいる場所といえば、エルフィンをおいて他はない。
精霊と共存する国。それがエルフィンで、かの国はそれゆえ独自の文化を築き上げてきた。
魔法カードを使わず、精霊に命じることで魔法を使う珍しい国。
彼は間違いなくエルフィンの人間なのだろう。エルフィン以外の人間が精霊と契約した話など聞いたことがないから。
そして、今、胸を押さえて苦しんでいる彼が、どうして皆に気づかれていないのかも正しく理解してしまった。
おそらく彼は、精霊に姿隠しの魔法を掛けさせたあと、この状態になったのだろう。
この銀の光を見れば分かる。魔法は正しく発動している。それはつまり、誰も彼を見つけられないということで。
ちなみにどうして私が彼を認識できたかといえば、聖女だから。
基本的に聖女は目が良く、普通では見えないものが見えたりするのだ。
それは呪いだったり、神の祝福だったり、今のような発動した精霊魔法だったりと様々なのだけれど、かなり個人差がある。私は転生前からそういうのがわりと見える方だったので、戸惑いはしなかった。
でも――。
「……参ったわ」
自分だけが彼を認識できている事実に気づけば嘆息するより他はない。
今の状態では、助けを呼んだところで常人には、精霊魔法を使っている彼を認識することができないからだ。
彼の契約している精霊が契約主の状況に気づき、自発的に魔法を解除してくれる可能性もあるが、難しいだろう。精霊の気配がしないからだ。
多分、魔法を使わせたあとは、自分の世界に帰らせたのだろう。精霊は基本この世界の裏側にあると言われている精霊界に住んでいて、必要な時以外はこちらに出てこないものと言われているから。
「どうしよう」
魔法を解かせることは不可能。彼を認識しているのは私のみ。そしてその彼は苦しげで、このまま放置すれば下手をすれば死んでしまうやもしれない。
「うぐ……うぐぐ……ああもう! 仕方ない!」
少し悩みはしたが、すぐに振り切った。
聖女の力を使うしかない。そう決断したのである。
彼がどこの誰かも分からない。だけど今目の前で苦しんでいて、しかも私は助ける手段を持っているのだ。
元大聖女だと知られたくないし、そのためには見なかったことにしてしまうのが一番と分かってはいるけれど、そんな底辺以下の行いはしたくなかった。
「良いわよ、もう! 何とでもなれ!!」
ここで見捨てて、死なせでもしてしまったら、その方が一生後悔する。
最近こういうことが多いなと泣きそうになりながらも、呼吸が浅くなっている男性に触れる。
詠唱しなくても病気を治すくらいなら、心の中で頼むだけで十分だ。
――神よ、あなたのお力を。この者の病を癒やしたまえ。





