不本意ですが転生しました
「――うわあ」
薬倉庫の壁に手を突き、項垂れる。
父に言われ、薬の調合に必要な薬草を取りに来たまでは良かったのだが、誰がそこでうっかり前世の記憶を取り戻すと思うだろう。
私の名前は、レティシア・カーター。
栗色の髪と目を持つ、王都の二番目に大きな通りにある薬屋の娘だ。
今年、十八歳になった私はどこにでもいる平凡な娘として、両親と年の離れた妹の四人家族で平和な日々を送ってきた。
名前の由来は、偉大なる前聖女レティシア様から付けられたもの。
二十年前、己の命を犠牲にし、王都を守った大聖女レティシア様の名は国民に広く知れ渡っており、私もそんな素敵な方から付けられた己の名前を気に入っていたのだけれど。
……今は心からこの名だけは止めて欲しかったと思う。
「だってこれ、私のことじゃない……」
絞り出すような声が出た。
信じられないような話だが、前世、私はこの国の聖女だったのだ。
しかもその身をもって国を守り、伝説となった大聖女レティシア、その人。
私は聖女として十年を過ごし、国を守る結界に全ての力を使い果たし、死んだ。
それで終わりのはずだったのに、何の因果かそのことを生まれ変わって十八年も経った今になって思いだしてしまったのだ。
「嘘でしょ。忘れたままでいたかった……」
というか、転生なんて眉唾物だと思っていたのに本当にあったこと自体が驚きだ。
しかも記憶ありとか、そんな話、一度も聞いたことがない。
「はは……冗談でしょ」
更に更にだ。
私が生まれ変わったのは、私が死んでからわずか二年後。今私が十八歳だから、ちょうど没後二十年が経過しているのである。
死んで数百年が経っているというのならまだいい。過去を懐かしむだけだ。だが、たった二十年。生まれ変わったのは死んだのと同じ国だし、普通に昔の知り合いが生きている状態なのである。
もし、古い知人に出会いでもしたら?
向こうは気づかないかもしれないが、こちらとしては気まずいの極みである。
「嫌だアアアアア……」
本気で頭を抱えた。
私が前世で聖女レティシアであったことは、否定のしようもない事実だ。
何せ、その当時のことを今も克明に思い出すことができるのだから。
その時の記憶と今の私。思い出して、あれは別人! となるのかと思いきや、ああ、過去にこんなことがあったなと、昔のことをただ思い出しただけという感覚なのである。
今の自分を過去の自分が上書きしてしまうとか、そういうことは起こっていない。
私は私のまま、昔あったことを受け入れただけ。
だからそこは特に問題とは思わない。
では何が嫌なのか。それは――。
「……聖女の力が戻ってる」
そういうことなのである。
聖女の力とは魔力とは違う、文字通り聖なる力で、神との繋がりを感じることのできる特別なものなのだ。
その力が、前世を思い出したと同時に戻って来ている。
しかも、以前よりも強大になって。
「……前世で自分の身を犠牲にしたから、それが評価されて能力が上がったってことかな」
この世界には、良い行いをすればそれが回り回って自分に返ってくるという考え方がある。
前世で私は、理由はどうあれ結果として国を守った。それが善行とみなされ、今回、聖女の力として上乗せされているのだと思う。
「うわ……本気で要らない」
何せ前回の時でさえ、私は『史上最強の力を持つ聖女』と言われ、各国の聖女をとりまとめる大聖女というお役目を引き受ける羽目になっていたのだ。
それがその時よりも力が強くなった?
これが皆に知られたら、また聖女として召され、神殿に拘束される日々が始まってしまう。
聖女というのは、決して楽な仕事ではない。
確かに人々に尊敬され、感謝されるやりがいのある職業とは思うが、あれは人に奉仕するのが好きな人間がやるべきで、自分が可愛い、人のために頑張るなんてごめんだと思うタイプの私には合っていない。
しがらみも多いし、正直、二度とやりたいとは思えなかった。
「……今、国には新たな聖女もいるしね。別に私がいなくても構わないでしょ」
今の自分が持つ記憶を改めて確認する。
私が亡くなってから十年ほど、この国は聖女のいない空白時期が続いたが、聖女としての資質を見出された少女が無事、十年前に新たな聖女として立ったのだ。
彼女の名前は聖女カタリーナ。
優しく清らな乙女として有名な彼女は、現在十九歳。
大聖女ではないから、来年には退任することが決まっているが、新たな聖女候補が見出されていない現状、例外的に任期延長の話が進んでいる。
国に聖女がいないというのは、非常に好ましくない事態だからだ。実際、私が死んでからの十年間は聖女不在で、国はずいぶんと不安定になった。今は落ち着いているけれども。
だから彼女が聖女として立ち続けてくれるのなら、私がわざわざ出て行く必要はないのだ。
年だってひとつしか変わらないのだから。
「うんうん。そうだよね。私である必要はない……あっ」
倉庫内にある窓。そのガラスに映った己の姿を見て息を呑んだ。
驚くことに、私の外見が変わっていたのだ。
栗色だった髪は見事な銀髪に。同じく両親譲りの目の色は、夏の空のような青色になっている。
「これもか……!」
銀髪青目。
これは、聖女皆が持つ外見的な特徴である。
おそらくは、聖女の力が戻ったことで、髪や目の色も戻ったのだろう。
理屈は分かるが止めて欲しい。
キラッキラした銀髪が腰の辺りまで真っ直ぐに流れているのを見て、溜息を吐きたくなる。これではまるで前世の私の姿そのものではないか。
前世の私と今世の私。
あまり似ていないと思っていたが、それは色彩が見せるマジックだったようだ。
昔の色合いに戻った瞬間、「あ、私だ」と思えてしまったのだから嫌になる。
良くも悪くも銀髪青目は非常に目を惹くということを実体験として知ってしまった瞬間だった。
しかし、このままではまずい。
薬草を取りに倉庫に行った娘がいきなり銀髪青目になったと知ったら、両親が卒倒してしまうではないか。
それに何より、この色合いで町をウロウロしていれば、間違いなく一瞬で警邏に見つかり、城に連れて行かれてしまう。
こんな「聖女です!」と言わんばかりの見た目をした女を放っておくわけがないからだ。
そうすれば、あとはもう、こんにちは聖女様な生活まっしぐら。
楽しい実家暮らしは終わりを迎え、ふたたび神殿で暮らす面白みのない毎日がやってくるだろう。
それはぜっっっったいにごめんだ。
私は前世で十分聖女として頑張ったのだ。命だって賭けたし、実際、それが理由で死んだ。
だから申し訳ないけど、今世は平和に一般市民として生き、寿命を全うしたいのだ。
聖女になんてなりたくない。
「よし、色を戻そう」
秒で結論を出した私は、聖女の力を使い、目と髪を元の色へと戻した。
これくらいの小さな奇跡ならば、殆ど力も使わないし、わざわざ祈りを捧げる必要もない。心の中で願うだけで望みは叶う。
あっという間に髪と目を元の色に戻した私は、窓ガラスを確認し、よしと頷いた。
聖女としての面影はどこにもない。
記憶を取り戻す前の、単なる薬屋の娘がいるだけだ。
あとは力を隠して、聖女だとバレないように暮らせばいい。
そうすれば今まで通りの生活が叶うだろう。
「よしよし。私は薬屋の娘、レティシア。前世で聖女だったなんて話は知らないし、今も聖女なんかじゃない。いいね?」
自らに言い聞かせて、大きく息を吐く。
倉庫の入り口の方から父親の声が聞こえて来た。
「レティ! ずいぶん遅いが、薬草は見つかったのか?」
「あ、うん。ごめん、お父さん! 今行く!」
そういえば、薬草を取りに来たのだった。
前世の記憶を思い出すなんてハプニングがあったせいですっかり忘れていた。
父親から頼まれていた薬草を急いで見つけ、薬棚から取り出す。
ふと、思った。
「……なんか忘れているような気がする」
しかもわりと大事なことを。
父親の元に向かいながら私は首を傾げたが、ついぞその何かを思い出すことはなかった。