どうしてここに
絶体絶命のピンチ。
今、私の置かれている状況はまさにそう呼ぶに相応しいだろう。
「レティシア、どうしてお前がここに?」
冷や汗をダラダラと流す私を、訝しげな顔で見てくるのはノア王子だ。
金髪碧眼の整った野性味のある顔立ち。魔剣を携える彼を見間違うなんてそんなことあるわけがない。
出で立ちこそ冒険者のようだが、彼は我が国ルイスウィーク王国の王太子。
そして私、落ち零れの聖女候補レティシアの前世の因縁の相手であり、私が元大聖女レティシアであると最も知られたくない相手であった。
――どうしてこんなところに、ノア王子がいるのよ!
私の方こそ同じ質問を返したかったが、とりあえず、まずは言い訳をしなければ。
「……えーと、ですね」
回らない頭を一生懸命に回し、なんとか通りそうな言い訳を口にする。
「殿下も私が駄目聖女候補だということはご存じでしょう? まあ、暇なんですよ。なので、こっそり抜け出して、定期的に実家に帰っていたんです」
「実家。この薬屋か?」
「……はい」
観念するように頷く。自業自得。仕方のないことだが、実家がどこなのかバレてしまった。
いや、住所だけならすでに知られているだろう。神殿に所属する時に、色々書類を書かされた。虚偽を書くと犯罪になるので嘘は書けなかったのだが、そこに住所の記入欄があったのだ。
その書類は王族も閲覧できたはずだから……うん、すでにバレていたと思うと、少しだけだけれどダメージが軽くなるような気がする。本当に少しだけれど。
「今は父に留守番を頼まれていまして。ですが、これ以上遅くなるとさすがにまずいので、店を閉めているところだったんですよ」
「まずい、か。そう言うということは、神殿に戻るつもりはあるんだな?」
確認するように言われ、頷いた。
「もちろんです。私は確かに落ち零れですけど、それでも要らないと言われるまではちゃんと神殿が自分の居場所だって思っていますよ」
勝手にいなくなったりはしない。
聖女法にも聖女候補、聖女は神殿に身を置くことと書かれていて、破ればそれなりの刑罰があるのだ。
「夕食までには帰るつもりですので、ご心配なく」
「そうか……それなら、まあいいが、しかしよく、抜け出して来られたな。見張りやお前付きの神官はどうした」
「私、落ち零れなもので、皆にわりと嫌われていまして。護衛とか、雑、なんですよね。だから抜け出すのはわりと簡単というか。あと、私付きの神官はテオなので、ほら、彼神官長で忙しいでしょう? 監視の目をかいくぐるのは楽勝です」
まだ聞いてくるのかと思いつつも、それっぽい感じで答える。
実際、嘘はないのだ。
神官見習いたちは、役立たずの私が神殿に居座っているのが嫌なのか、いないものとして扱うことも多々あるから。
まあ、私は気にしないけど。むしろ、見張られない生活がありがたいので、できればこのまま私のことは忘れて欲しいくらいだ。
そういうわけで、実は奇跡を使わなくても、抜け出そうと思えば抜け出せる。
ただ、やはり堂々と外に出られるわけではないので、それなら奇跡を使って空間転移してしまった方が早いし見つからないし、良いこと尽くめだと思ってしまったのだ。
いや、本当。
前世と違い、今世ではわりと私欲で奇跡を使っているが、聖女の奇跡はものすごく便利だとつくづく思った。
自分の身に余る願いでなければ、大体は叶うし、己の生命力を捧げれば、少し大きな願いも叶えられてしまう。
生命力ということで代償が大きすぎるのが難点だが、本当に聖女とは万能の存在なのだ。
あ、死者を生き返らせるというのはさすがに不可能である。
これは今の私にもできないし、私の生命力を全て注いだところで『足りない』と判断されてしまうだろう。
人を生き返らせるというのは、それほどの禁忌なのだ。
ただ、死んでさえいなければ、大抵は何とかできてしまうのが、これまた聖女だったりするのだけれど。
「……こうも簡単に聖女候補を逃がすとは、神殿も地に落ちたものだな」
私の話を聞いたノア王子が苦い顔をする。
「だが、落ち零れといえども聖女候補には違いない。その聖女候補を適当な扱いをする神殿の現在の在り方は問題だな。今度、俺の方から神官長に言っておこう」
「ああ、良いんです。テオは止めさせようとしてくれましたから。私が別にいいと言ったので」
「……どういうことだ?」
鋭く睨まれ、肩を竦めた。
どういうことと言われても――。
「今の方が自由なので、私にとってはありがたいってことです。ですからできれば、殿下にも黙っていてもらえると有り難いんですけど……」
実際、下手にあちこちに吹聴されると困るのだ。
抜け出していることがバレれば、さすがに放置……というわけにはいかないだろうから。
定期的に部屋を調べられでもしたら、家に帰れなくなるではないか。
つまり、私の今後は、ノア王子がどう答えるかに掛かっているわけで。
大嫌いな男に己の命運を託さねばならない事実が泣きそうだが、誰のせいだと言われると、私のせいなので、そこは甘んじて受け入れなければならない。
「ほう? つまり、今後も抜け出す予定がある、と?」
「っ! 母が身重で、あまり動けなくて。できれば父の店の手伝いくらいはしてあげたいんですよ」
にやりと笑うノア王子が憎たらしいと思いつつも、事情を話す。
妊娠中の母を手伝ってあげたいし、妹だって私が来ることを楽しみにしている。
それが急に実家に帰ってこなくなったら? 家族はきっと悲しむ……というか心配すると思うし、そういうことになるのはまず私が嫌なのだ。
「……家族に心配させたくないんです」
正直な気持ちを伝えると、ノア王子は少し目を見張った。
「家族、か。まあいいだろう。俺に告げ口をする趣味はないからな。きちんと神殿に戻ってくると約束するのなら、黙っていてやろう」
「っ! ありがとうございます!」
助かった。
それくらいならお安いご用だ。
もっと面倒な条件を持ちかけられるかと思っていただけに、帰るだけで良いとはありがたい。ノア王子の言葉に心が軽くなった。





