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「承知致しました」
テオが頷いたのを確認し、私は両開き式の窓を開け放った。
窓の外はバルコニーになっており、外に出られるのだ。
本当は室内でやりたいのだけれど、雨を降らせるのなら空が少しでも近い方が良い。
屋敷の中よりも何も隔てられていない外の方がやりやすいのだ。
「……誰もいない。……よし」
一応念のため、バルコニーに出て、周囲を確認する。
屋敷に残っている使用人を限界まで減らしているせいか、外に出ているものは誰もいない。
思った通りの展開に安堵した。
これなら誰にも知られることなくやれる。そう思った。
「レティシア様、お時間です」
「……ええ」
バルコニーで時間を潰していると、緊張した面持ちでテオが話し掛けてきた。
その言葉に頷く。
「やるわ」
すうっと息を吸い、気持ちを整える。
パンッと柏手を打つ。
髪色と目の色が聖女のものへと戻った。
これから行うのはかなり大きな奇跡。
普通の奇跡なら何も問題ないが、強い力を使えば、どうしたって聖女本来の色を晒すことになってしまう。
それならもう、最初から変化を解いておいた方が良い。そう思ったのだ。
「始めるわよ。テオ、念のため、見張っていて」
「承知しました。レティシア様は詠唱に集中なさって下さい」
「分かってるわ」
さすがに片手間にできるようなことではない。
懐中時計を取り出し、時間を確認した。
タイミングを間違えれば大変なことになる。カタリーナ様より少しだけ早く。
違和感を覚えない程度に行わなければならない。
「行くわ」
バルコニーに立ち、両手を組む。
胸の中で時間を数え、ここという時に口を開いた。
「――我が神、アイラート神よ」
しゃん、と応えるように鈴の音が鳴る。
それに満足し、笑みを浮かべた。神は私の声を聞いている。耳を傾けてくれているのが分かる。
「私はあなたの忠実なる僕。あなたの言葉を民に届ける預言者なり」
もう一度、しゃんという音が鳴る。ふわりと髪が浮き上がった感覚がした。
神の力が私を満たしている。それを感じながら私は口を開いた。
「偉大なるあなた。どうかこの祈りを聞き届けたまえ。あなたの忠実なる僕、レティシアの言葉に耳を傾けたまえ」
言葉を止める。
空を見上げ、両手を広げた。
このタイミングならいける。私の方が早い――。
「この地に、あなたの恵を。――雨を、ここへ」
言葉にした瞬間、ずん、と力が抜き取られる感覚があった。それとほぼ同時に、空が曇り始める。
アイラート神が願いを聞き届けてくれたことを感じ取り、勝利を確信した。
大丈夫だ。神は私の願いを聞き届けて下さった。
この直後にカタリーナ様が同じ願いを告げたところで、彼女が消費する力は殆どない。
何故なら、すでに願いは叶っているから。
奇跡は、早い者勝ちなのだ。
同じ願いなら、先に願った方の力が抜き取られる。叶ってしまえば、その願いはキャンセルされるので、もう片方の力が減るようなことはない。
カタリーナ様は気づかないだろう。ほぼ力を使うことなく奇跡を実行できたと思うはずだ。
ふたりの聖女が、同時に同じ奇跡を行うことなどほぼないに等しいので、彼女はこの可能性に気づかない……気づけないはず。
それは他の面々も同じで。
きっと今頃、皆は、カタリーナ様を褒め称えているだろう。
高度な奇跡を成功させた聖女として、惜しみない拍手を送っているはずだ。
「……ふぅ」
息が零れる。思ったよりも大きな力を必要としたので、脱力感がかなりあった。
「お疲れ様です、レティシア様。以前と相変わらず、お見事でした」
テオがホッとした様子でこちらにやってきた。気遣うように尋ねてくる。
「如何でしたか? かなりのお力を使われたように見えましたが……」
「そうね……前回ここで使った時より多く持って行かれた気がするわ。まあ、私には特に問題ないけど」
「そうですか。その……カタリーナ様はご無事なんですよね?」
「ええ、もちろん」
心配そうなテオに頷いてみせる。
「カタリーナ様より少しだけ早めに奇跡を行ったから。私から力が抜かれたってことは、カタリーナ様の力は減ってないってこと。大丈夫。カタリーナ様の生命力は減ってないわ」
「良かった……」
私の言葉を聞き、テオは心底安堵したという顔をした。
神官長として聖遠をする決断をしたものの、罪悪感がすごかったのだろう。
特に彼は私というトラウマがあるから、その気持ちは分かる。
「本当に良かった……僕のせいで……カタリーナ様が死ぬことになったらどうしようかと……」
「大丈夫よ。今頃皆に成功を祝われていると思うから。まあ……それでカタリーナ様の力が上がったと勘違いされないようにだけ気をつけないといけないけど」
ひとつだけ気になっているのがそれだ。
私が手助けすることは、私がそう決めたことだから別にいい。
カタリーナ様の手柄となることも構わないのだ。
だけど、今回の件が成功したことにより、カタリーナ様に今後与えられる任務がより大きなものになる可能性があるのではないかと、それだけが気になっていた。
私のせいでこれからの彼女の仕事が辛いものになってしまったら、そう思うとこうして手伝ったことは本当に良かったのかなと考えてしまう。
「それは、僕がなんとかします」
「テオ」
「僕の、神官長の仕事です。カタリーナ様に身の丈以上の仕事がいかないよう調整します。大丈夫です、レティシア様。あなたが正体を知られる危険を犯してまで、して下さったことを無駄にはしません」
「……うん」
きっぱりと告げられ、頷いた。
テオがそう言ってくれるのなら大丈夫。そう思えた。
「ありがとうございました、レティシア様。まさかレティシア様に力を貸していただけるなんて思っていなかったので……今回の件、本当に助かりました」
「あら? 私ってそんな人でなしだと思われていたの?」
「いえ、そういうことではなく……」
口ごもったテオの肩をポンと叩く。
「分かっているわよ。冗談。……私が正体を知られたくないことを分かってくれていたから、そもそも力を借りようなんて考えなかったんでしょ。……ありがとう、テオ。そう思ってくれただけで十分だから」
テオは一度も私に助けて欲しいとは言わなかった。
私に頼めば解決すると分かっていたのに、最後まで口にはしなかった。
それは、私に協力すると言ってくれた彼のプライドだったのだろう。
そんな彼の気持ちが私は嬉しかったし、今回カタリーナ様を助けようと思ったのは、テオという存在があったことも大きな理由のひとつとなっていた。
ぽつり、と雨粒が頬に当たる。
目と髪の色を戻し、空を見上げた。真っ暗になった雲から、雨が落ちてきたのだ。
「雨が降るわね」
テオも頷いた。
「ええ。あなたの起こしてくれた奇跡です」
「中に入りましょう。濡れてしまったら、本当に風邪を引いてしまうわ」
嘘から出た実には成りたくないと言えば、テオも同意した。
「確かに。カタリーナ様に心配掛けたくありませんからね」
彼女に心配させるのは私たちの本意ではない。
あとは待っていれば彼女が帰ってくるだろう。それを笑顔で迎えれば良い。
室内に入り、窓を閉める。
小康状態だった雨はやがて本降りになり、強い力で窓を叩いていた。
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