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◇◇◇
次の日の朝、私は朝食の席に行かず、ひたすらベッドに潜り込んでいた。
もちろんわざと。そうする必要があるからやっていた。
しばらくして、ノックがする。返事をすると、思った通り心配そうな顔をしたカタリーナ様が入って来た。
「レティ! 大丈夫!? テオから調子が悪いって聞いたのだけど」
ベッドに横になっている私に駆け寄ってくる。そんな彼女を見た私は、身体を起こして弱々しい声で言った。
「大丈夫……です。ただ身体が怠いだけなので。今日一日、横になっていれば回復すると思います」
「そんな……」
気の毒そうな顔をしたカタリーナ様がハッとしたように言う。
「そうだわ。奇跡を使えばすぐにそんな不調なんて回復するから!」
その気持ちは嬉しかったが、彼女の手を取り、首を横に振った。
「いけません。カタリーナ様。今日、カタリーナ様は大事なお仕事がおありになるでしょう? 寝て治ると分かっている私に割く力の余裕なんてないはず」
「……それは」
ぐっと黙り込む彼女。優しいカタリーナ様ならそう言うと思っていた。
思った通りの言葉を聞いて、やはり計画を実行するしかないなと改めて決意する。
私は彼女の手を握ったまま、励ますように言った。
「本当は一緒に行きたかったんですけど、こんな感じなのでごめんなさい。今日はここに残って、カタリーナ様が奇跡を起こして、雨を降らせるのを楽しみにしています」
「……レティ」
泣きそうな顔をするカタリーナ様に笑顔を向ける。
「カタリーナ様ならきっと成功なさいますよ。私、応援していますから」
「……そう、そうね。レティが応援してくれているのならきっと成功するわよね」
「当たり前です」
ホッとしたようにカタリーナ様が手を離す。彼女は部屋を見回し、眉を寄せた。
「ねえ、レティひとりなの? 誰か付き添いは?」
きっと彼女なら気づいてくれると信じていた。
上手くいったと思いながらも、私は眉を下げ、首を左右に振った。
「屋敷の使用人たちの誰かに頼めばついてくれると思うのですけど、知らない人に側にいられるのは逆に落ち着かないので」
「……そうね。体調が悪いと特にそう思うわよね。そうだわ」
良いことを思いついたという風に彼女が言う。
「テオをここに残すわ。テオはあなた付きの神官ということになっているもの。誰も文句は言わないはずよ」
「……良いんですか? 私は助かりますけど、テオは神官長ですし、カタリーナ様と一緒に行った方がいいのでは?」
「大丈夫よ。私にはリアリムもいるし。それより、レティを広い屋敷にひとり残していく方が心配だから」
「ありがとうございます。テオがいてくれるのなら心強いです」
安堵の笑みを浮かべる。心の中では快哉を叫んでいた。
予定通りすぎる展開に、カタリーナ様のチョロさが心配になったが、この方が都合が良いので黙っておくことにする。
「待っていてね。すぐに仕事を終わらせてくるから。そうしたら残った力であなたを回復させてあげるわ」
「そんなご無理をしていただかなくても大丈夫ですよ。ご自愛下さい」
生命力を削ったあとでさえ、私の為に力を割こうとするカタリーナ様の言葉を聞き、彼女は本当に優しい人なんだなと改めて思う。
やっぱり、彼女を損ないたくない。そんな風に思った。
「じゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ」
心配させまいと気丈な顔で部屋を出て行くカタリーナ様に手を振る。扉が閉まる。
足音が遠ざかっていくのを確認し、ベッドから立ち上がった。
当然、仮病である。
今から行うことのためには、どうしても彼女から離れなければならなかった。
そのために、カタリーナ様には悪いけれど、体調不良を装わせてもらったのだ。
「失礼致します」
しばらくして、テオが部屋にやってきた。
彼は私を見て、頭を下げる。
「カタリーナ様のご命令で、今日一日あなたの側にいることになりました。よろしくお願いいたします」
「そう。他の面々は?」
「レティシア様のご命令通りに致しました。全員、聖女様と現地へ出向く予定です。屋敷の使用人も最低限の人数を残して、全員聖女様のお供に。どうしても何人かは残ってしまいますが、皆、仕事がありますので、こちらを気にする余裕はないかと」
「この部屋にも来ない?」
「もちろんです。聖女候補は僕がお世話するので近づかないようにと申し伝えましたから。さすがに神官長である僕の命令に背く者はいないと思いますよ」
「上等」
窓の外を見る。馬車が停まっているのが見えた。人々が忙しげに準備している。
しばらくしてカタリーナ様が出てきた。
馬車に乗り込む彼女の顔は緊張しているように見える。
「……大丈夫だから」
小さく応援の言葉を紡ぐ。
馬車が去って行くのを見送り、窓越しに空を見た。
今日もよく晴れている。雨など一滴も降らなさそうだ。
この状況で雨を呼ぶとなると、相当な力が必要だろう。
しかも広範囲に亘るとくれば、下手をすればカタリーナ様の生命力をかなり奪ってしまうことになるかもしれない。
「駄目ね」
そんなこと絶対にさせられない。
改めて決意した私はテオに聞いた。
「……テオ。奇跡を執り行う時間は、何時?」
「午後二時を予定しています。その時間がカタリーナ様のお力が一番強くなるとリアリムには昨日告げておりますので、間違いなくその時間になるかと」
「そう」
もちろん、力が強くなる云々はテオの嘘である。
だが、昨日失敗していることを考えれば、できるだけ調子の良い時間を選びたいと考えるのが人というものだろう。
その心理を利用した言葉を聞き、少し笑った。
何にせよ、時間が決められているというのは有り難い。
「五分前になったら教えて」
「承知致しました」
テオが頷いたのを確認し、私は両開き式の窓を開け放った。
窓の外はバルコニーになっており、外に出られるのだ。
本当は室内でやりたいのだけれど、雨を降らせるのなら空が少しでも近い方が良い。
屋敷の中よりも何も隔てられていない外の方がやりやすいのだ。
「……誰もいない。……よし」
一応念のため、バルコニーに出て、周囲を確認する。
屋敷に残っている使用人を限界まで減らしているせいか、外に出ているものは誰もいない。
思った通りの展開に安堵した。
これなら誰にも知られることなくやれる。そう思った。
「レティシア様、お時間です」





