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◇◇◇
「お、王妃様……!」
まさか王妃が、通りかかるとは思わなかったのだろう。女官達が顔を青ざめさせながらも一斉に頭を下げた。
私も二十年ぶりに会った親友に内心心臓が飛び出そうなほど驚きつつも同じように頭を下げる。
「いいわ。顔を上げて」
「……はい」
命令に従う。私が覚えているのは二十歳の彼女だったが、印象はほとんど変わっていない。あの時の彼女が二十年を経て自分の目の前にいるのだと納得することができた。
――キャシー。
第一王子の妃であった彼女が、子を産み、王妃となったことは知識として知っていた。
だけども実際に彼女の姿を見ると、込み上げてくるものがある。
私の唯一の女友達。
大好きな親友。自分を犠牲にしてまで、守るつもりのなかった国を守ろうと思えた動機となった人。
彼女がいるから私は己の命を賭けて、結界を張った。唯一の友達を失いたくないと思ったから。
その彼女が綺麗に年を取り、私の目の前にいる。感極まり、泣きそうになってしまった。
――うう、無事生きていてくれた。嬉しい。
必死で涙を堪える。
王妃を見ていきなり泣きだしたりなどすれば、妙な顔をされるに決まっている。
それに私は彼女に自分の正体を明かすつもりはないのだ。
だって、私は『薬屋の娘』として生きていくと決めているから。
一般人として生きていきたいと願っているのに、前世の知り合いと次々と交流するなどどう考えても愚の骨頂。お前は本気で逃げる気がないのだと言われても否定できない案件である。
キャシーとこうして再会できたことは嬉しいと思っているけれども『聖女レティシア』は死んだのだ。二十年も経ってから、「どうもこんにちは。実は転生してました」と言われても、向こうだって困るだろう。
私はすでに彼女の中で思い出になっている――もしかしたら、存在すら忘れられているかもしれないのだから。
それを悲しいとは思わない。死んだ人間のことなど忘れてくれて結構だ。
今を生きている彼女には、死んだ私のことなど忘れて、先に進んで欲しいと思っているのだから――。
感慨深い気持ちになりながらも、失礼にならない程度に彼女を見つめる。
私の視線に気づいた王妃は上品な笑みを浮かべた。
「あなたが陛下とノアの言っていた新たな聖女候補かしら」
「はい」
「名前は?」
「レティシア。……レティシア・カーターと申します」
答えながら頭をさげる。王妃は鷹揚に頷き、「レティシア、懐かしい名前だわ」と呟いた。
「わたくしの親友も同じ名前だったの。二十年も前に死んでしまったけど」
「……そう、ですか」
誰のことを言っているのか、説明されなくても分かる。
彼女はじっと私を見つめたあと、恐縮しきっている女官達に視線を移した。その視線は酷く冷たい。
「それで、わたくしが決めた人事に意見があるようだとか」
「め、滅相もありません……!」
全員が一斉に否定する。王妃は「そう」と頬に手を当て、首を傾げた。
「でも、わたくしが選んだ子に文句があるのでしょう? ……その子を自らの手で排斥したいくらいに」
「っ!」
どうしてそれを、とばかりに身を固くする彼女たちに、王妃は艶然と笑った。
「だって全部聞いていたもの。あなたたちがわたくしが選んだ子を取り囲んで、暴言を吐いていたところだって最初から見ていたわ」
「えっ……」
彼女たちも驚いていたが、私もびっくりした。
王妃は楽しげに彼女たちを見つめている。すっと目を細めた。
「わたくし、虐めって大嫌いなの。特に大勢でよってたかって一人を虐めるようなのは虫唾が走るくらいに嫌い。それはどうしてか分かる?」
「い、いえ……」
問いを投げかけられ、彼女たちは震えながらも首を横に振った。
「ここに嫁いで来た時、わたくし、それはもう酷い虐めに遭っていたの。美しい見目の夫に政略結婚で嫁いで来た私が気に入らなかったのでしょうね。こちらの言葉が分からない私を、わけの分からない言葉で追い詰めて、悪意を投げつけて……。ああ、今思い出しただけでもおぞましい思い出。幸いにも私には理解のある夫と助けてくれた親友がいたから良かったけど、きっとあのままなら耐えきれず死んでしまっていたでしょうね」
ふふふと笑い、彼女は女官達を見据えた。
「だから、わたくし、虐めが嫌い。平然と弱者を踏みにじることのできる人たちが大嫌い。わたくしがあなたたちを側付きにしなかった理由は、あなたたちの普段の行いを知っていたから。あなたたちはいつも自分の気に入らない者を虐め、追い出していたでしょう? そんな人間をわたくしが使うわけないじゃない。あなたたちはそんなことも分からない残念な人たちなのですね」
「私たちはそんなことしていません……!」
女官のひとりが必死で声を上げる。だが王妃は笑顔のまま彼女に事実を突きつけた。
「そうなの? なら、わたくしの調査ミスかもしれないわね。疑って悪かったわ。でも、ならば今の行為はどう説明するのかしら? わたくしは全部見ていた、と言ったはずだけれど」
「っ……」
「早く、説明してくれるかしら。わたくしにも分かるように。ほら、外国人のわたくしにも分かる言葉で、お願い、ね?」
「……も、申し訳ありま……」
「どうして謝るのかしら? だってあなたたちは何も悪いことはしていないのでしょう?」
「……」
なんとか言い繕うとしていた彼女たちだったが、ついに意地が砕けた。
自分たちにかけられる圧力に耐えきれなくなったのだろう。彼女たちは力を失ったようにその場に座り込んだ。それをつまらなそうに見つめ、王妃が言う。
「所詮はこの程度ね。……誰か。この子達を連れていって」





