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城の隣にある大聖堂。私は無事、その一番大きな祈りの間に辿り着いた。
皆、自分が成すべきことをしようと必死なのだ。聖女である私がひとりで歩いていても、やはり呼び止めるような者は誰もいなかった。
巨大な神殿は、気持ち悪いくらいに静まりかえっている。
神官長はもちろんのこと、神官、下働きの神官見習いの姿さえ見えないところをみると、やはり彼らも戦いに招集されたとみて間違いないだろう。
誰もいない広い祈りの間。
その最奥には、アイラート神の像が祭られている。
六つの手と六枚の羽を持つ神アイラートは、この世界を創世した三柱の一柱だ。
男性とも女性とも分からない中性的な容貌を持つ神は、その右手に杯を持っていた。
それは人の願いを叶える聖なる杯。
アイラート神は、聖女の祈りを通して願いを聞いてくれると言われている。
聖女の祈りがアイラート神に届くと、その杯が満たされ、彼女に注がれるのだ。
聖女は、願いを叶える神の代行者。
どんな願いでも、その聖女の持つ力の範囲内であれば叶えることができる。
一国に一人いる彼女たちは、あまりにも稀少かつ絶対的な力を持つがゆえに、一国の王と同等の地位を持つとされていたし、実際、そのように扱われている。
でなければ、願いを叶えて欲しい人たちに捕らわれ、利用され、時には命を脅かされることになるからだ。
国は聖女を守り、聖女は国のために力を使う。
これは等価交換なのだ。
今の私も、その約束を果たそうとしているだけ。
聖女として国を守らなければならない。これは聖女として課せられた私の使命なのだ。
「皆が戦っているのなら、私は守りの強化を」
彼らが王都を気にせず済むよう、魔物の侵入を防ぐ結界を。
王都をすっぽりと覆いつくす、巨大な結界を張ろうと私は考えていた。
「――我が神、アイラート神よ」
アイラート神の像の前で膝をつき、祈りを捧げる。
神の奇跡には呪文などは必要ない。ただ、願うだけだ。
だが、大きな奇跡となるとそれだけでは難しく、その場合多少の詠唱が必要となる。
「私はあなたの忠実なる僕。あなたの言葉を民に届ける預言者なり。
偉大なるあなた。どうかこの祈りを聞き届けたまえ。
あなたの忠実なる僕、聖女レティシアの言葉に耳を傾けたまえ。
王都に、誰も侵入を許さない結界を。
どうか、ここへ――」
どこからかシャラリという澄んだ鈴の音が聞こえてくる。
これは私の祈りに神が応えてくれたという合図だ。同時に身体から力が持って行かれる。
私の願いに神が応え、王都全てを囲う結界が構築してくれたのだ。自らの力を使って行われた奇跡については感覚で分かる。
今、王都全てが神の手により守られている。
大聖堂の中では、聖女である私の力は最大限に発揮される。
大きな奇跡を使うには、この場所の方がいいと判断したからなのだが、どうやら正解だったみたいだ。無事、奇跡は成された。
「……きっつい」
息が乱れる。
聖女は己の持つ力量以上の奇跡を行う時、その命を削る。
王都全てを覆う結界は、明らかに私の持つ容量を超える奇跡だった。
身体中から力が抜ける感覚は、命を吸い取られたから起こっているものだろう。
「でも、こうするしかなかったし仕方ないよね……って、え? 嘘……」
張ったばかりの結界が強い力で攻撃されているのを感じた。
王子たちは、今、魔物達と戦っている。それなのに結界が攻撃された。つまりは討ち洩らしたものたちが別の場所から王都に侵入しようとしているのだろう。
何が攻撃しているのかまではわからないが、ものすごい力だ。
このままでは結界は破られてしまう。それもそう遠くないうちに。
「……ああ、もうっ!」
少し悩みはしたが、それを振り払うように立ち上がった。
私は、聖女ではあるが聖人では決してない。
だからこれ以上、命を削るような真似はしたくなかったのに、実際、見て見ぬ振りをしようと考えたのに、ふと脳裏に親友の姿が思い浮かんでしまったのだ。
私の親友は、この国の第一王子の妃。
私がここを放棄し、結界を維持するのを諦めれば、親友が危険に晒されるかもしれない。それに気づいてしまった。
「私、そんなキャラじゃないんだけどな」
基本的に私は、薄情な人間だ。
聖女などという仕事をしていても、自分を犠牲にしてまで人を助けようなんて思わない。
そういう人間なのだ。
だけど、己の親友が死んでしまうかもしれないというのは、どうしても許せなかった。
だって、私が友達と呼べるのは彼女だけ。その彼女を失うのは耐えられない。
――パン。
諦めの気持ちで、柏手をならす。
きっと私は他の誰のためでも動かなかった。
だけど、たったひとりしかいない友人のためなら。
私が頑張ることで、彼女がこれからも幸せに笑っていられるというのならば、もうしょうがないではないか。
――ああもう、腹は括った。
こうなったらとことんやってやろう。
――さあ、奇跡を、ここに。今ひとたび、あなたのお力をお示し下さい。
言霊を紡ぐ。鈴の音が再度鳴る。
銀色の光が全身を包んだ。
私は神から新たに与えられた力を用い、全力で結界を維持した。
この結界を破られるわけにはいかない。破られてしまえば魔物達は王都に侵入し、たくさんの人が――私の親友が死ぬ。
ここで堪えれば、きっとあのクソ憎たらしい第二王子が、魔物達を片付けてくれる。だから私はそれまでの間、時間稼ぎをすればいいのだ。
だけど、身に余る願いに、生命力が容赦なく吸い取られていく。
――早くしなさいよ。あなた、強いんでしょう?
最強と謳われる第二王子。
彼が出向いたのだ。たとえドラゴンがいたとしても遅れは取らない。
きっと、全て片付けてくれる。そう、信じられる。
傲慢でムカツク男だけど、それだけの強さを持つ人だと、自らの手で勝利を勝ち取れる人だと知っているから。
腹が立つ口癖。
『俺の勝利は揺るがない』
どうせあの言葉をすぐに聞かせてくるのだろうから。
「はあ……はあ……はあ……」
身体から生命力が抜け落ちていくおぞましい感覚に気が遠くなりそうになる。
だけどここで気を失えば、結界は解けてしまう。
私は必死で意識を繋ぎ留めながら、己の神に祈り続けた。