20
「ああ、そこにいるのは聖女と新たな聖女候補か」
カタリーナ様と楽しく喋りながら祈りの間へと向かっている最中、前方から私がもっとも避けたいと思っている男がやってきた。
最早説明するまでもない。ノア王子である。
――げっ。なんでこんなところに。
最初の顔合わせ以来、一度も会うことのなかったノア王子。
それをラッキーだと喜んでいたが、ここにきてその幸運も終わってしまったようだ。
久しぶりに会った王子に渋面になりそうになるが、根性で堪えた。
――冷静に。冷静にならないと。
この神殿に初めて訪れた時のことを思い出す。あの時、やらかしてしまったのはテオに言われるまでもなく自分でも分かっているのだ。
今更かもしれないが、とにかくノア王子には、私が私であることをバレないようにしなければならない。
協力してくれているテオに報いるためにも、今度こそ失敗しない、やらかしはしないと私は自身に誓っていた。
目標は、ノア王子から正体を悟られることなく逃げおおせ、なおかつ聖女にならないこと。
それを忘れてはならない。
「まあ、ノア殿下」
何を言われても黙っておこう。貝になるのだと口を噤んでいると、カタリーナ様が華やいだ声を上げた。
彼女は嬉しげにノア王子に駆け寄っていく。
――おや? おやおやおや?
分かりやすく喜色を浮かべた彼女は、ノア王子の前に立つと可愛らしく微笑んだ。
「お久しぶりですわ。神殿の方にいらっしゃるなんて珍しいですね。何かご用事でも?」
「……神官長に少し話があってな。お前にもそのうち話が行くだろう」
「奇跡が求められているのですね。ええ、私はどこにでも参ります」
「頼もしいことだ」
「っ! あ、ありがとうございます。聖女として当然ですわ」
――んん? んんん? これは、もしかして……?
ふたりが話す様子を少し離れた場所から観察しているうちに気がついた。
前回二人を見た時はそれどころではなかったので分からなかったが、どうやらカタリーナ様はノア王子に対して恋愛感情を抱いているらしい。
彼女は頬を赤らめ、あからさまに弾んだ声でノア王子と会話している。如何にも恋をしている女性と言わんばかりで、前世今世通じて恋愛経験の全くない私でも察してしまった。
――ほう? ほほう?
なんということだ。これは楽しい。
自分が恋愛したいとは思わないが、他人事となると話は別。
私はノア王子はあまり好きではないし、どちらかというとムカツク男だと思っているが、彼が美形でできる王子であることは否定しない。
剣で戦うことが多いため身体を鍛えているから、姿勢も良い。顔立ちはひとつひとつのパーツがくっきりしていて全体的に華やか。まあ……目立つ。
そんな彼にうっかり惚れる女性がいたとしても、蓼食う虫も好き好きって言うしねくらいは思えるのだ。
――へえ、でもカタリーナ様がねえ……。
一緒に過ごせばよく分かる。彼女は聖女としての自分に誇りを持っているタイプだ。だから恋愛は聖女の任を降りてから……という考えかと勝手に思っていたが、それとこれとは別なのだろう。
大体、恋愛というのはしようと思ってできるものでもないみたいだし。
落ちる気はなくとも、気づいた時には相手に嵌まっていたというのはよく聞く話。
「……そういえば、レティシア様はご存じですか?」
「え、何?」
ニマニマとカタリーナ様を見ていると、私の隣にいたリアリムが小声で話し掛けてきた。
私も声のトーンを落とし、彼を見る。
「あなたと同じ名前の元大聖女レティシア。彼女がすでに生まれ変わっているという話ですが」
「う、うん」
私のことだ。
内心ドキドキしながら次の言葉を待った。リアリムが一拍置いて、口を開く。
「実はその生まれ変わった姿が、カタリーナ様だという噂は?」
「は?」
「聞いたことがありますか?」
「……」
予想の斜め上すぎた言葉が出てきて、目が点になった。
リアリムが何を言っているのかちょっと分からない。
「ええーと、リアリム?」
「きっと生まれ変わった大聖女レティシア様は、また聖女として皆のために尽くしてくれる。つまり、カタリーナ様こそ大聖女レティシア様の生まれ変わりだ……と主張する者たちが一定数いるのですよ」
「そ、そうなの……」
「カタリーナ様曰く、記憶はないらしいですけどね」
「……」
当たり前である。
しかし驚いた。まさかカタリーナ様が昔の『私』だと思われているなんて。
驚き過ぎて何も言えないでいると、リアリムがカタリーナ様とノア王子のふたりに目を向けながら言った。
「カタリーナ様はノア殿下を大層慕っておられますから。もし自分が前聖女だというなら、早く記憶を取り戻したいと、そうおっしゃっています。ご覧になればおわかりになるかと思いますが、今のノア殿下、カタリーナ様に対して見事なくらい塩対応でしょう?」
「……そうだね」
二人が喋っているのを聞き、頷いた。
一生懸命話し掛けているカタリーナ様とは違い、ノア王子はどうでもいいとばかりに適当にいなしている。
好意を抱かれていることは気づいているだろうに、あんまりと言えばあんまりな対応だ。
でも、思い出してみればノア王子は昔からそんな感じだったように思う。
第二王子という肩書きに、剣と魔術の名手。そして皆が振り返るほどの美貌。
彼に愛されたいと願い、後をついて回る女性たちは多かったが、彼は彼女たちの誰も相手にしていなかった。
厳しく振り払われた挙げ句、見向きもせず行ってしまった……という話を当時嫌というほど聞いた覚えがあるのである。
そのたびに私は「はー、モテる男は違うわねー。なんなの、お高くとまっちゃって! 感じ悪っ!」と心の中で悪口を言っていたのだが。
仕方ないではないか。
すでに当時彼とは舌戦を繰り広げる仲だったのだ。その彼がモテるなんて話を聞かされて、「さすが殿下」なんて笑顔で言えるほど、私は人間ができていなかったし、今もそれは同じだ。
複雑な気持ちでふたりを見る。
ノア王子は面倒になってきたのか、適当に話を切り上げ、歩き出した。
こちらにやってくる。
――やばっ。





