13
◇◇◇
「聖女カタリーナ様。あなたはここまでで結構です。ご苦労様でした。本日のお勤めにお戻り下さい」
テオ達に祈りの間から連れ出された私は、聖女と聖女候補生たちの宿舎へと向かっていた。宿舎へと続く廊下で、テオが立ち止まり、カタリーナ様に言う。
彼女はぷうっと分かりやすく頬を膨らませた。
「どうして? 彼女は私の後輩になる子よ? 私が案内して色々説明したいのに……!」
「カタリーナ様の午後のお勤めがまだ終わっていないことは知っています。後輩だと言うのなら、しっかり仕事を終わらせて、先輩らしい姿を見せるのも大事ではありませんか?」
穏やかな口調で窘められ、聖女は「……それもそうね」と頷いた。
「分かったわ。大事なお仕事だもの。レティシアさん、夕食は一緒に食べましょうね」
「は、はい。その、私のことは呼び捨てかレティ、とお呼び下さい」
現役聖女に「さん」付けで呼ばれるのは恐れ多すぎる。そう思ったのだが、「じゃあ、私のことはカタリーナと呼んで」と言われてしまった。
「あなたは聖女候補だけど、同じ力を使うもの同士だもの。堅苦しいのは止めにしましょう? 敬語もいらないわ」
――いや、駄目でしょう。
相手は神殿のトップに立つ人なのだ。それを呼び捨てで敬語なし? 考えられない。
助けを求めるようにリアリムを見る。彼は首を横に振った。
その目が「呼び捨てで呼ぶなどとんでもない」といっているのを理解し、私は頷いた。
「あの、カタリーナ様と呼ばせていただければ嬉しいです」
「……レティは意外と硬いのですね。気にしなくて良いのに。でもまあ、良いですわ。仲良くなって、いつかはカタリーナと呼んでもらいますから。……行くわよ、テオ」
現聖女付きの神官はテオなのだろう。神官長が兼ねるのだなと思っていると、テオは静かに首を横に振った。
「いいえ、僕は行きません。リアリム、これからはお前がカタリーナ様につきなさい」
「え、私がですか?」
自分の名前が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。リアリムが不思議そうな顔をする。カタリーナ様も首を傾げた。
「どういうこと? あなたは私付きでしょう? どうしてリアリムを?」
「せっかく新たな聖女候補生が来たのです。これを機に、色々改善したいなと思いまして」
「改善?」
「はい」
テオは頷き、淀みなく告げる。
「前々から思っていたのですが、神官長である僕と聖女であるあなたが一緒にいるのは効率が悪いことも多くて。ほら、僕のサインが欲しいのに、見つからなくて半日待たせる、なんてこともよく起こっていたでしょう? あれを何とかしたいとずっと思っていたのです。僕が常に神殿に待機するようにすれば、遅くとも数時間ほどで神官を派遣できますし、何かと都合の良いことも多い。そういうわけで、今日からあなた付きの神官は、僕ではなくリアリムにしようかな、と」
「……私が、聖女様の付き人に、ですか?」
話を聞いていたリアリムが目をキラキラと輝かせる。
全ての神官にとって、現聖女の世話役というのは誉れだ。それを自分が行えるというのは嬉しいのだろう。
カタリーナ様も首を傾げはしたものの、最終的には頷いた。
なぜだかちょっと嬉しそうだ。微かにだが口元が緩んでいる。
「……そうね。あなたのサインを得るのに半日かかる今の体制は私もどうかと思っていたもの。分かったわ。そういうことなら」
「さすが、聖女カタリーナ様。ありがとうございます」
「では、リアリム。早速ですがいきましょう」
「は、はい! 誠心誠意努めます!」
聖女が歩き出す。それをリアリムは慌てて追っていった。
「レティシア様、我々も行きましょうか。あなたのお部屋にご案内します」
「あ、はい」
期せずして、テオと2人きりになってしまった。
何故か妙に緊張する。
二十年ぶりとなるテオをじっと観察した。
――はあー。テオも年を取ったんだなあ。
私が知っている彼は、二十五歳の青年だ。それが一気に四十五歳。
不思議に思うと同時に、感慨深い気持ちにもなる。
だって彼とは聖女になってから十年間ずっと一緒だったのだ。
どうにも懐かしい気持ちが溢れて仕方なかった。
「? どうかしましたか? 僕の顔に何かついていますか?」
「な、何でもないです」
まさか、懐かしいと思っていたとは言えないので、首を横に振る。
色々考えた結果、テオに対しては、敬語のままでいくことにした。
リアリムの時とは違い、特に何も言われなかったからだ。
もちろん、敬語をやめろと言われれば、そのとおりにする。
嫌だと拒否し続ける方が怪しく思われる。疑問を持たれないよう基本は言う通りにして、あとは駄目な候補生を演じようと考えていた。
「こちらの部屋をお使い下さい」
テオが案内してくれたのは、聖女用の宿舎の二階にある角部屋だった。
「カタリーナ様のお部屋は三階になります。聖女様と聖女候補生が親しくなるのはよいことだと思いますが、あまり部屋が近すぎるのは互いのためになりませんから、わざと離しています。中にひととおり家具類は揃っていますので全てご自由にお使い下さい。寝衣や着替えなどはあとでお届けに参ります。失礼ですが服のサイズをお伺いしても?」
「……上下とも2です」
2は普通サイズを示す数字だ。サイズを告げるとテオは頷き、「それでは」と頭を下げた。
「僕はこれにて。ああ、申し遅れました。僕は、神官長を務めておりますテオドア・リッジベルトと言います」
「……レティシア・カーターです」
テオに名前を名乗るというのは変な感じだと思いながらも名乗り返す。テオがじっと私の顔を見つめてきた。
彼はノア王子ほどではないが背が高い。見下ろされると、少し気まずい気持ちになった。
「なんですか?」
「……いえ、なんでもありません。それではレティシア様。お邪魔は致しませんので夕食の時間までごゆっくりお過ごし下さい。時間は六時を予定しておりますが、その少し前に替えの服を持って参りますので。では失礼致します」
「……」
テオが去って行くのを見送り、部屋の扉を開けた。
飛び込んできたのは、見慣れた部屋の造り。
「あー……こんな感じだった。二十年経っても変わってないんだ」
部屋自体は綺麗に整えられていたが、造りは全く変わっていない。
まずは主室。そして奥に寝室がある。主室には他に三つ扉があり、それぞれ衣装部屋に浴室、そしてお手洗いに通じているのだ。
トイレや風呂があることからも分かるように、部屋で全てのことができるようになっている。それは聖女にむやみに部屋から出てもらいたくないからだ。
願えば大抵のことを叶えることができる聖女は、狙われることが多い。
それを守るため……と言えば聞こえはいいが、実際は神殿が聖女を逃がしたくないからである。
神殿は聖女がいなければ成り立たない。
どんな理由であれ、いなくなられるのは困るのだ。だから自分たちで守る。
部屋の前には常に護衛の兵士が置かれているし、移動時は基本、聖女付きの神官が一緒にいる。
まだ候補なので付き人がつくことはないが、夕食時までには私の部屋の前にも護衛が置かれるだろう。
十年、聖女をやってきたのだ。大体のところは知っている。
ひととおり部屋を見て回ってから、扉についていた鍵を閉めた。
とりあえずは、これで良いだろう。
鍵まで掛かっている女性の部屋を勝手に開けるような馬鹿はさすがにいないだろうし、邪魔はしないと言っていた。服を持ってくるまでの間、ひとりにしてくれるということだろう。
「……」
時計を見る。
神殿の夕食は六時だと言っていた。今、三時だからまだ三時間弱は余裕がある。
「……一旦帰ろう」
秒で決断した。
だって、きっと父達は心配していると思うのだ。
私がどうなったのか気になって、仕事になっていないような状態だろう。
それが分かっていて放置というのはできなかったし、したくなかった。
「鍵も掛けたし、6時前に戻ってくれば大丈夫でしょ」
私は目を瞑り、家の裏側にある裏口の景色を思い浮かべた。
慎重に言葉を発する。
「――我が神、アイラート神よ。私を、あの場所へ」
身体が消え失せる感覚。
次の瞬間、私は思い描いていた場所――私の実家へと移動していた。