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「さあ、どうぞ」
30分ほど経った頃、馬車が停まった。しばらくすると扉が開く。リアリムに促され、馬車を降りると、前世で見慣れすぎた光景が目の前に広がっていた。
――ああ。
二本の双塔がそびえ立つ姿が目に映る。
アイラート大聖堂。別名、アイラート神殿とも呼ばれるこの建物は40階相当の高さがある。国を代表する有名な建築物のひとつで、隣には同じく巨大な城がそびえ立っている。
大聖堂の正面にはアイラート神が描かれたステンドグラスがあり、荘厳な雰囲気を醸し出していた。500年以上前に建てられた古い建物だが、いまも現役で使われている。
ここが、前世で私が十年過ごしたところであり、終わりを迎えた場所。
前世ぶりに見た建物を前に、私は何とも言えない気持ちになっていた。
「……」
「どうしました? ぼうっとして。ああ、神殿を初めてご覧になったのですね。ここがアイラート大聖堂。我らが神、アイラート神を祭る神殿です」
誇らしげにリアリムが語る。それを無言で聞きながら、彼に続いて歩を進めた。
神殿の入り口には神官見習いと思われる見張りが五名ほどいたが、リアリムを見ると、皆、丁寧に頭を下げた。
「お帰りなさいませ、リアリム内神官」
「ただいま戻りました。神官長はどちらに?」
「神官長でしたら、陛下と殿下、そして聖女様と一緒に祈りの間でリアリム内神官が来るのをお待ちです」
――やっぱり、ノア王子もいるんだ。
話を聞いて覚悟はしていたが、実際に『いる』と言われると、決意は鈍る。
絶対にバレないようにしようと、私は再度気合いを入れた。
「祈りの間ですか。ありがとうございます」
「そちらの方が、あらたな聖女候補、ですか?」
神官見習いが不思議そうな顔でリアリムに尋ねる。きっと銀髪青目とは無縁の色彩の私が聖女だとは信じられないのだろう。気持ちはとてもよく分かる。
「ええ、そうです」
「ですが……お色が……」
「まだお力が安定なさっていないだけです。神を近くに感じることのできる神殿で暮らせば、きっとすぐにでも聖女として目覚められると思いますよ」
きっぱりと言い切るリアリム。
彼に断言されてしまったことで、反論を封じられた形になってしまった見習い神官たちは「そうですか……」と納得していない顔をしつつも頷いた。
リアリムが彼らから私に視線を移し、「向こうが祈りの間です」と告げる。
歩き出した彼のあとに続くと、リアリムは申し訳なさそうな声で言った。
「すみません。彼らはまだ神官見習いで、未熟者なのです。聖女という存在は外見だけで判断するものではないのに……失礼な発言をお許し下さい」
「ううん。私も自分が聖女だなんて思ってないから、むしろそうだよねとしか思わないし」
どちらかというとリアリムではなく、彼らの反応こそが正しいと思う。
本当に、どうして私を連れてくる気になったのか不思議で仕方なかったのだが、私の疑問を感じ取ったのか彼は柔らかな笑みを浮かべて言った。
「あなたは聖女ですよ。これは理屈ではない。私の神官としての何かがそう訴えてくるのです。この方を逃してはならないと。私は昔から、そういう勘を大切にすることにしています。――外れたことがありませんからね」
「……じゃあ、今回は初めてのハズレかもしれないね」
「さあ?」
思わせぶりな顔で笑うリアリムは、子供には全く見えなくて、むしろ私よりいくつも年上なのではないかと思ってしまうような底知れなさを感じさせた。
祈りの間に続く扉をリアリムが自ら開く。
「さあ、つきました。ここが祈りの間です。――皆様がお待ちですよ」
◇◇◇
軋むような音を立てて、扉が開く。
祈りの間は、私が覚えている二十年前となにひとつ変わっていなかった。
肌を刺すようなひんやりとした空気も、ステンドグラスから差し込む光も、最奥にあるアイラート神の像もなにもかも覚えているまま。
広い祈りの間は、ひとつきに一度一般に開放され、説教を行うため、聴衆席がある。その聴衆席も昔となにひとつかわっていなくて、それどころではないというのに、感慨深い気持ちになった。
身廊は長く、大勢の人を収容することができる。左右にある何十本もある柱には、歴代聖女の像が飾られていた。死んでから二十年経っているのだ。多分、探せば私のもあるのだと思う。
――懐かしいな。
私が前世でその生を終えた場所。
いざその場所を見ればもっと気持ちが沈みこんでしまうかと思っていたが、感じたのは郷愁の気持ちだけで、マイナスの感情などどこにもなかった。
そのことにホッとする。
「レティシア様。前に」
「あ、うん」
祈りの間を見つめ、いつまでも動かない私に、リアリムが声を掛けてくる。それに頷き、視線を部屋の奥に向ける。
そこには四人の人がいて、それぞれ私を見つめていたが、そのひとりに私は視線が釘付けになった。
――あ。
目を疑った。信じられなかった。
何故ならそこには、私が覚えているままのノア王子がいたのだから。
年は十八歳ということだから、前世で別れた時より多少幼いが、それでもひとめで『彼だ』と分かるくらいには変わっていなかった。
――もっと、全然違う容姿になっていると思ったのに。
あまりにも彼が彼すぎて、私は言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。
――ノア、殿下だ。
濃い金髪が美しい麗しい面立ち。
自信に満ちあふれた表情は如何にも彼らしく、堂々とした立ち姿を見れば、嫌でも前世を思いだしてしまう。
彼は黒に金の縁取りがされた派手なジュストコールを着ていたが、とてもよく似合っていた。片耳に金色のピアスがひとつ。そして指には太い指輪が三つも嵌められている。
それらは全て魔具と呼ばれる、身につけることで自らの魔力を溜めるものだ。
どの魔具も美しいので装飾品としても役立っている。
腰には長剣が佩かれており、今世でも彼は剣を持って戦う人なんだなとなんとなく思った。
――もっと別人みたいな見た目かと思っていたのに、こんなにも変わらないものなんだ。
今の彼の容姿を私は詳しくは知らなかった。
だけどそれも当然だろう。
何せ今世の私はただの平民だ。
直接王子を見るような機会なんてあるわけがない。バルコニーから顔を出す王族を遠目から眺める程度だ。だから彼の外見まで知らなかったし、正直に言えばどうでも良かったのだ。
だって、私とは一生関わり合いのない人。興味がなくても当たり前ではないか。
「……あ」
無意識に出た声はびっくりするほど掠れていたし、いつの間にか喉はカラカラに渇いていた。
前世を思い出し、ノア王子もまた私と同じように転生しているのだと知った。
知っていたつもりだった。
だけど、実際に見るのとは全然違う。
彼を目にしたことで、ノア王子が本当に転生していたのだと否応なく突きつけられた気持ちになった。
「……」
「レティシア様?」
「え、あ、うん。行きます」
棒立ちになってしまった私を、リアリムが訝しげに呼ぶ。ハッと我に返った私は、慌てて彼と一緒にノア王子たちのところへ歩を進めた。
――うう……絶対にバレないようにしないと……。
ノア王子の隣には国王がいる。
緋色のマントを羽織った彼は、前世ではノア王子の兄だった。彼は弟が国を守って死んだ時、酷く嘆いたと聞いているが、その弟が自分の息子として帰ってきたことをどう思っているのだろうと少しだけ気になった。
国王はノア王子とよく似た面差しだったが、穏やかな人柄が表情に滲み出ていた。そういう意味では自信満々なノア王子とは真逆の顔をしている。
その更に隣には綺麗な銀髪と青い目の女性が立っていた。彼女は、銀色の刺繍が目を惹く、丈の長い白いワンピースのようなものを着ている。胴回りと首回り、手首にそれぞれ美しい彫刻が施された装身具を身につけていた。
――そっか、彼女が。
慈悲に満ち溢れたまさに聖女とはこうあるべきというお手本のような微笑みを浮かべた彼女こそが、この国の現聖女カタリーナ様。
私が亡くなった後、十年経ってから発見された聖女。事実上私の跡継ぎとなった人だ。
彼女はまっすぐな銀色の髪を高く結い上げ、髪飾りを挿していた。
身体は折れそうなほどに細く、見た目は美しいがとても儚い。
内に秘められた聖女の力は中程度……いや、少し低めといったところだろうか。
小さな奇跡なら起こせるが、少し大きな奇跡になると命を削らなければ難しい。
聖女としては、ギリギリ及第点といったくらいの力だった。
そして最後にもうひとり。
彼ら三人の反対側に立っている私の父と同じ年代と思われる男性。彼を見て、私は思わず声を上げそうになった。
なでつけられた黒髪と、青色の瞳。表情はとても穏やかで、威厳があった。
一度も会ったことのない人のはず。
だがその顔に、私は確かに見覚えがあった。
――テオ。
これまでも何度も思い出していた私付きの神官。
テオドア・リッジベルトがそこにはいた。