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◇◇◇
「お邪魔します」
兵士が来た次の日の午後、訪ねてきたのは昨日の警邏隊の彼だけではなかった。
彼が伴ってきたのは、銀色の長いローブを着た背の低い神官。深くフードを被っているので、顔はよく見えなかった。
警邏隊の彼は申し訳なさそうな顔で私たちに向かって頭を下げた。
「すみません。その……神官様に案内するよう言われまして」
そうして、「昨日の代金です。お釣りは要りません」とカウンターの上に、国王の顔が刻印された金貨を一枚置いた。
父がそれを受け取り、昨日預かっていたネームプレートを返す。彼はホッとした顔でプレートを首から掛けた。
「昨日はありがとうございました。おかげで、仲間は皆、助かりました」
「それは良かったです」
助かったという言葉を聞き、ホッとした。昨日のことをもっと聞こうと思い、カウンターから身を乗り出す。
だが、それまで大人しくしていた神官が、私たちの会話に割り込んできた。
「申し訳ありません。その件についてお聞きしたいことがいくつかあります」
「はあ……なんでしょうか。神官様にお話できるようなことはありませんが……」
父が怪訝な顔で返す。
実際、一般庶民である私たちが、エリート中のエリートである神官にかかわることは殆どない。
特に彼は、ローブの裾に青い花の刺繍が入っている。
神官は刺繍の色で位階が分かるようになっており、青の刺繍は、彼が神官、その中でも内神官の地位にあることを示す。
ちなみに赤が神官見習い。緑が外神官。紫の刺繍は、神官長の証である。
見習いではない神官がわざわざこんなところまでやってきた。
その用件はひとつしかないような気がしたが、はっきり言われたわけではないのだ。
誤魔化せるなら誤魔化してしまおう。そんな風に考えていた。
「申し遅れました。私は、リアリム・サティスファリと言います。階級は、内神官です」
名乗りながら、神官――リアリムは懐から一枚のカードを取り出した。ついでにフードを取り払う。
「……」
現れたのは黒髪黒目のとても美しい少年だった。私より少し年下だろうか。前世の私付きの神官だったテオを思い出す。リアリムと名乗った彼は長い黒髪を後ろでひとつに束ねていた。
そうして、取り出したカードの裏面を見せてくる。
「あ」
彼が見せたのは、神官用の魔術カードだった。片手で持てる大きさの長方形のカード。
魔術はカードを通して発動される。癒やしの魔術を使う神官は一枚。攻撃魔法を使う魔術師は計六枚のカードを持っており、皆、それを使って魔術を行使するのだ。
魔術カードは、特殊な金属で出来ていて、基本的には一度しか発行されない。だから兵士たちのネームプレートと同じで、彼らの身分証も兼ねている。
見せられたカードの裏面には彼の名前が筆記体で彫られていた。
初めて見た神官用の魔術カード。父が感嘆の息を吐きながら言う。
「確かに、本物の神官様のようです。で? 神官様がうちの薬屋にどんなご用件が?」
「その前に聞かせて下さい。この薬瓶に見覚えはありますか?」
「え?」
彼が取り出したのは、うちの店のマークが描かれた薬瓶だった。瓶を受け取り、マークを確認した父が頷く。
「ああ、はい。うちの店のものです」
「そうですか。では、この薬を調合した方はどちらに? 昨日、警邏隊の兵士に薬を渡したという女性は、彼女で間違いないのでしょうか」
「昨日の? はい、調合したのは娘です」
不思議そうな顔をしながらも父が首を縦に振る。神官が私を見た。
「あなたが? この薬を調合した方ですか?」
「……はい」
先に父に聞くというのがいやらしいなと思いながらも、誤魔化しようもなかったので頷く。リアリムは後ろに控えていた警邏隊の彼に向かって問いかけた。
「ウェレン。間違いありませんか?」
「間違いありません。私は確かに昨日、彼女から薬を受け取りました」
「そうですか……分かりました」
警邏隊の彼――ウェレンの言葉にリアリムは頷き、私たちに向き直ると淡々と言った。
「昨日、私は警邏隊から出動要請を受けました。出動要請から神官長の許可を得て、実際の出動まで約半日。二名が大怪我を負ったと聞いており、半日が経過してしまったことにかなりの焦りを感じていました」
「はあ……」
やはり、出動まで半日掛かってしまったのか。
それだけ神官長を捕まえるのが難しいということなのだろうが、大怪我した人を半日待たせたという事実に渋い顔をしてしまう。
今の神官長は誰なのだろう。興味がなかったから覚えてないけど、昔の知り合いだったりするのだろうか。
「もしかしたら、私の治癒の魔術は間に合わないかも。そう思い、城の医務室へ向かいました。怪我人は医務室に運ばれたと聞いたからです。一体どんな大怪我をしたのか。戦々恐々としながら医務室に入った私は驚きました。それは何故だと思いますか?」
「さ、さあ……」
年下の少年にじっと見つめられ、思わず目を逸らす。
次に言われるだろう言葉はなんとなく予想がついた。
「私たちに出動要請が掛かるほどの大怪我を負ったはずのふたりの兵士。彼らがピンピンと元気にしていたからです」
――やっぱりね!
思った通りの答えに、天を仰ぎたくなった。
昨日私は、医者に渡すと言われたもの全てに奇跡の力を付与した。ひとつひとつは些細なものだ。だが、集まると無視できないものになる。
つまり効きすぎてしまったのだ。
――なんとなくそんな気はしてた!
己の失態に乾いた笑いしかでない。
だけど仕方ないではないか。医者が必要としているものがどれなのか分からなかったのだから。全部に奇跡の力を付与しておけば、どれか当たるだろう。
それくらいの軽い気持ちだったのだ。
もう何も言えない私に、リアリムは更に続ける。
「ひとりは、足の骨を折る重傷。もう一人も全身打撲で動けない状態でした。そう、彼らからは報告を受けています。なのにそれが医者から治療を受けただけで治った? あり得ない。そんなこと、癒やしの魔術でも使わない限り、あり得ないのです」
――だ★よ★ね! 知ってる!
ダラダラと冷や汗が背中を伝っている。
リアリムの言う通りだ。
医者が治療したとしても、骨折が数時間で治るなんてことはあり得ない。
それを可能とするのは、治癒の魔術かあとは――聖女の奇跡の力のみ。
そして治癒の魔術を使っていないのなら、考えられるのは新たな聖女の存在。
「我が国の聖女、カタリーナ様は昨日は一歩も神殿を出ていらっしゃらない。それなら誰が彼らを治療したのか。私は彼らに尋ねました。どうしてその傷が治ったのかと。彼らは言いました。『同僚が持ってきてくれた薬がとてもよく効いたのだ』と。あっという間に傷は塞がり、骨はくっつき、まるで癒やしの魔術を掛けられたようだったと、彼らは言っていましたよ」
「そ……そうですか」
完全にやり過ぎである。
怪我人が無事助かったことは本当に良かったけれども、昨日の私に言ってやりたい。
もっと自重しろと。
後先考えないで、まあなんとかなるだろうで行動するからこういう目に遭うのだ。





