アイデンティティをほとんど失いました。
今現在、私のアイデンティティはほとんど失われている。
私は岐阜県に住んでいて、たまには三鷹や三軒茶屋にお出かけをする。愛車は赤いセリ○。そして、どこでも私は人気者だ。1978年~1979年にかけての頃なんて、子供たちに大人気だった。私は日本で初めて、という存在だったこともあって、その世界ではまさしくセンターアイドルそのもの。今でもその世界では第一線を張っている。他にも人気者はいるけど、トップは私。私のことを知らない人なんてほとんどいない。みんな私のことを知っている。私のペットが話題になったこともあった。でも、ペットの話題はすぐに衰退して、今では知っている人なんてあまりいない。それでも、私は忘れ去られない。なんてったって、センターアイドルだもの。
そして、私には大きなアイデンティティがある。それは大きなマスク。春でも夏でも秋でも冬でも、お正月でもバレンタインでもお盆でもクリスマスでも、私はいつだって大きなマスクをつけている。だって、私はセンターアイドル。もしもバレたら大騒ぎになる。だからいつもお忍び。その為にはサングラスよりもマスクが必要だった。それでも、溢れ出る私のオーラは隠しきれないし、私が大きなマスクをしているという噂も広まったみたいで、バレちゃうこともあった。いくらセンターアイドルといったって、世間の評価はやっぱり気になる。だから、バレちゃった時は開き直って、「私、キレイ?」って聞いてみることにした。すると、みんな私のことを綺麗だって褒めてくれた。中には、大好きなべっこう飴やチュッパチャッ○スをプレゼントしてくれる人まで。まあ、プレゼントをくれる人たちは恥ずかしいのか、私が喜んでいる間に逃げちゃったけど。兎に角、私は確固たる地位を築いていた。そして、私にとってマスクは手放せないものになっていた。大きなマスクをつけている、それこそが私の最大の個性。大きなマスクは私の象徴、私のアイデンティティなの。
そういえば、センターアイドルの私は怖いものなしだと思われる。でも、そんな訳ない。私はポマードの臭いが苦手。それと、田中さんも苦手。田中さんについてはあんまり深く聞かないで。思い出したくないし。まあ、兎に角ポマードと田中さんは苦手なんだけど、そんな私を守ってくれるのも大きなマスク。マスクはポマードの臭いをシャットアウトしてくれるし、顔の下半分を覆い隠してくれるから田中さんにあっても私だと気づかれない。マスクって素晴らしい。そして、何度も言うけど、私のアイデンティティは大きなマスクなの。
私の人気は不動のもの。2014年にはとある展示会にもお呼ばれした。でも、その時は不満なことがあった。実は、私にはマスク以外にもアイデンティティがあるの。それは、服装がいつも赤いコートに白いパンタロン、そして赤いハイヒールを履いているってこと。でも、展示会は夏だったから、暑苦しいって赤いコートが取り上げられ、ついでに物騒で危険だからって私の大事な宝物である鎌も取り上げられちゃった。まったく、センターアイドルである私になんてことをするのかって思った。でも、流石に私の最大のアイデンティティであるマスクは取り上げられなかった。おかげで田中さんに見つかることも、ポマードの臭いを嗅ぐこともなかった。やっぱりマスクって最高。くどいようだけど、大きいマスクは私のアイデンティティだしね。
でも……最近は困っている。お店に行ってもマスクがないのだ。ドラッグストアを回ってみても、入荷待ちばっかり。マスクがないまま外には出られないから、最近は外出自粛状態。外に出たい、みんなに褒めて貰いたい、べっこう飴やチュッ○チャップスを食べたい、そんな欲望はあるけど、私はアイデンティティであるマスクを失っているから何もできない。家の中で毎日どよーんとした陰気な空気を放つだけ。
「毎日どよーんとしてるばっかりじゃ、空気が悪くなりますぜ、姐さん。」
わたしの放出している陰気な空気が嫌だったのか、ペットが声をかけてきた。
「マスクがなくちゃ外に出られないんだから、仕方ないでしょ。ほっといてよ。」
「『ほっといてくれ』は俺の台詞ですぜ、姐さん。」
「うるさいわね。黙ってなさいよ。私は世界の不条理とアイデンティティの喪失を防ぐ方法について考えるのに忙しいの。人面だからって調子に乗らないで。」
私は視線を鋭くしてペットを睨む。ペットである人面犬は一瞬竦んだような顔をしたが、それでも言い返してきた。
「マスクがなくたって外に出りゃいいんじゃないっすか? 姐さんの口が裂けてるのを隠す必要が今更あるとは……」
「黙りなさいって! マスクをつけてなかったら大騒ぎでしょ! 誰かに見られた瞬間に不審者扱いまっしぐらじゃない! 初の純国産都市伝説であり、都市伝説界のセンターアイドルでもあるこの私、口裂け女が不審者扱いなんて、耐えられないわよ!」
私はイライラを人面犬にぶつける。最近は私よりずっとオカルトチックな都市伝説の奴らがのさばっているから、ただでさえ活躍の場が少なくなっているっていうのに、アイデンティティのマスクまで失われて人間と触れ合えなくなったら、いくらセンターアイドルの私でもずっと記憶に留まっていられるかは怪しい。
「……兎に角、私はマスクを探してくるわ。その間、留守番お願いね。」
「あい。行ってらっしゃいっす、姐さん。」
私は残り少ない大きなマスクを装着し、裂けている口を隠して街へ繰り出した。私のほとんど失われたアイデンティティを取り戻すために。
「今日は売っているといいんだけど……」