自殺
死のうは一定
人はいずれ死ぬ。
人は不老不死などにはなれない。
歴史には不老不死の薬を探した始皇帝や、西洋でも錬金術に賢者の石などの伝説がある。
それらを探し求めた者も、もはや誰も生きていない。
人はいずれ死ぬ。
それを理解と言うべきか、宗教の世界では輪廻という思想がある。
人が生まれ、そして死に、巡り巡って次の生を受ける。
死を踏まえて、その生を謳歌する。
前世の行為で、次の生が決まる。
輪廻転生、そういった考えもあるようだ。
なら俺の次の人生はどうせまたろくでもないだろう。
「まぁ、いいさ。」
俺は死のうとして車を走らせている。
とりあえず海にでも行けばなんとかなるだろうと、少し遠い海に向かっている。
近くにも海はあるが、砂浜で死ぬのは難しそうだ。
昔のドラマによくある崖なんか、死ぬにはちょうどいいんじゃないかと妙な期待もしている。
死にたい理由は簡単、生に希望を持てないからだ。
希望が無いならまだしも、生きている意味を感じられない。
食べて寝て、仕事に行き、また食べて寝る。
もしかしたら、それだけで幸せなのかもしれない。
いやきっと幸せなんだろう。
世界には貧困で食べられない子供や、戦争で苦しむ人はたくさんいるだろう。
もちろん、テレビを通してしか見たことがない。
でも、本当にそんな人達いるのか。
会おうとしたことなんかないけど、本当にそんな人達がいるのか疑ってすらいる。
ぐるぐると思考が頭を巡る。
何が正解なんか分からない。
だから、俺は死を選ぶ。