死の香り花
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん、どうしたのこーちゃん。漫画読みながら、首を傾げちゃって。
――花を口元にあてている、男キャラの意図が分からない?
ああ、まあ現実じゃそうそうお目にかかれないよね。方言と同じで、キャラの個性を出したい作者が苦心して作った結果、上手く当たった例でしょ。色々な作品で流用されてるくらいだしさ。
キザな奴、ナルシストな奴とかをひと目で表すには、いい小道具じゃないのかな……というのは、ちょっと前までの僕の見解。
最近、その手の花を持つ行為について、少し面白い話を聞くことができたんだ。
漫画読んでるってことは、こーちゃんにとってはネタ集めも兼ねているんだろ? この話、少しでも役に立つといいんだけどね。
花というのは、生きている時から死ぬ時まで、僕たちの生活に深くかかわってくるもののひとつだ。彼らはそばにいることで、主となるものを引き立ててくれるが、主そのものも自分を飾り付けることがある。
最たるものが化粧だ。これも生きている時のみならず、葬られる時に施される死に化粧が存在するのは知っての通り。
死に化粧っていうのは本当に見事なものだ。僕の亡くなったおばさんは、長年の闘病生活を送っていたために、晩年はもう顔を含めた体中が痛ましいほどにやせ衰えていた。
それが、いざ棺に入れられる段になると、昔に顔を合わせていた頃と同じか、それ以上に整った表情をしていて、今にも目を開くんじゃないかと、子供心に感じてしまったくらいさ。
これら最期の化粧技術は、ずっと昔から伝えられ、磨かれてきたものだけど、一部、抜け落ちてしまった手順がある。
これはまだ土葬が主流だった時期のこと。
その日。まだ年若い娘が、急な発作によって世を去ることになった。
母親はわずかな化粧師たちと共に、泣く泣く娘の死出の旅支度を整えていく。そして棺へ入れる直前、化粧師のひとりが道具の入った革袋の中から、小瓶をいくつか取り出したんだ。
その場にいる皆へ、ひとりに一本ずつ手渡されていくその瓶の中身は、植物から作られた当時の日本では珍しい香水だった。
花から果皮まで、様々なものから抽出された液体が、ひとまとめになったもの。それはどこか清涼感よりも、むしろ鼻の奥にひっついて離れなくなりそうな、刺激的な香りだったという。
母たちは手に取ったそれらを、惜しげもなく娘の身体へと振りまき、冷たくなった肌を何度もこすって、存分に皮膚へしみこませた。部屋の中にも件の匂いが立ち込めるほどになった時、化粧師たちは更にもう一本の瓶を袋から取り出し、母親へ握らせながら、こう伝える。
「これを確認のためにお持ちください。葬儀が終わったのち、娘さんを参る際には、周囲の地面に咲く『花』へ気を配り、この香水と同じ匂いがするようでしたら、私たちにお伝えくださいませ」
それから娘の葬儀は滞りなく運び、初七日も済まされる。
母親は毎日のように墓へ参り、娘の冥福を祈りつつも、棺を入れた近辺を見て回ることを忘れなかった。これは何もこの母親に限った話ではなく、この墓へ参った者たちが行っていることだったという。
彼らも故人を送る際、化粧師たちから香水の入った瓶を受け取っている。一族によって異なる香りを醸す液体を。
家族は時々、ふたを開けて匂いを忘れないように努めることが推奨される。もしも、同じ匂いがする花が墓の周りに咲くことがあれば、すぐさま判断がつくようにしていなくてはいけなかったという。
そして娘が土中での眠りについてから、ひと月ばかり経った早朝。桶に水を汲みながら、墓前まで来た母親は、ふと盛り土の脇に生えている一輪の花が目に留まった。
文字通り、三日にあげず墓には参っていた。その時には花はおろか、芽の姿すら確認はできていなかったんだ。
一抹の不安がよぎり、母親はその花へ顔を寄せて、匂いを嗅いでみる。果たして、娘に染み込ませた、あの香水と同じ香りがしたんだ。すわ一大事と、母親は化粧師たちのもとへ走る。
化粧師たちは墓地へ急行。母親からの訴えの通り、香水と鼻の香りを交互に嗅いで、相違がないことを確認すると、僧へ連絡を取ると共に、人手を集めにかかった。その間、母親の瞳はまた涙ぐみ始めていたという。
この香水が、様々なものから抽出したものを、混ぜ合わせて作る意味はここにある。単体ではとうてい醸し出すことのできない香りを作ることで、このような花が「死に花」かどうかの判断をつけるためだ。
この地域だと、故人の墓周りに咲いた花が、死に化粧を施す際に使った香水と、同じ香りをまく時、故人があの世に受け入れてもらえなかったとみなす。
そうなると、花が咲いている墓に埋めた遺体を棺ごと引っ張り出し、葬送の時と同じような列を成して、別の墓所へ運んでいくんだ。
そこで埋め直しが行われた後、再び墓参りに来た人々が、花が咲かないかの確認をし、また同じ事態となれば移動をして……ということを繰り返していた。
この確認の期限は、故人が亡くなった年も含めて十三年を数えるまで。これは法要の十三回忌を意識しているのだとか。この間、いかに移動を繰り返したとしても、そのたびの生者の活動が追善となり、大地から拒まれ続けた死者にも、許される時が訪れるのだとか。
この役目は、故人の家族が代々受け継いでいくのが望ましいとされ、事実、その通りにされてきた。しかし、世が戦国を迎えた時、この村も侵攻してきた軍の攻撃を受けてしまう。
数えきれないほどの馬蹄と草履が、主だった場所を蹂躙。墓周りも荒らされて、件の花の香りを確かめるすべが、うやむやになってしまったんだ。
元々住まっていた家族や、化粧師たちも離散してしまい、香水の管理もおぼつかない。逃げ散ってしまった人々を、すぐさま受け入れてくださるように、僧を初めとする者が訴え出たが、簡単には受け入れてもらえなかった。
統治も固まらないうちに、外からの住民を導き入れるなど、それに混じった間者を取り込むことにつながりかねない。そこから情報が漏れることを、侵攻した武将は警戒していたそうだ。
十日が過ぎ、二十日が過ぎ、労力や食料などの供出を強いられる僧たちの顔は、じょじょに青くなっていく。墓の跡地には、あれから新しく特徴的な香りがする花が咲く様子はなかったが、それが戦闘当時の安全を保障してくれる証拠となりはしない。
そして、ひと月あまりが過ぎた頃。かの村にほど近いところにある、草深い城の門前で。
不寝番を仰せつかっていた兵が二人。火を焚きながら立っていたところ、「がさり」と音を立てて、左手の草むらの一角が揺れた。
兵二人は示し合わせて、一人が草むらをのぞきに行く。槍の先で草を分けていくと、明らかに場違いなゴギョウの花が一本だけ生えていたらしい。その茎は、槍が触っていないにも関わらず、左右に大きく振れていたという。そこからは、くしゃみ一歩手前までを強いてくる、強烈な香りも放たれていたとも。
このゴギョウが単体で動いただけでは、あのように大きく草むらを揺らすことなど、できるわけがない。彼は更に怪しいものがないか、引き続き周囲を掻いてみたものの、不審者の影は見当たらなかった。
仕方なく、門の前へと引き返す兵だが、待っていた片割れの様子がおかしい。先ほどまでは槍を持って直立不動の姿勢だったのが、今は門の脇の柱に寄りかかり、槍を今にも投げ出さんばかりに、手のひらを開いてしまっている。
「大丈夫か? 具合でも悪いのか?」と近づいていった彼。相方の、ほとんど伏せている顔をのぞきこもうとした時、唐突に「がっ」と両手で喉を掴まれたんだ。
両者の槍が地面に転がる。とっさのことで反応ができなかったが、己の首の骨がきしむ感覚に、ほぼ本能で相手の腕を引きはがそうとする。
「……入れない……どこにも、入れない……入れて……入れて……」
首を絞めてくる相方は、うわごとのように、そう繰り返してくる。その目は血走って、口の端からはよだれが垂れている。毒か何かに冒されているように、彼には見えた。
尋常ではない様子に、彼は思い切って腰に手を伸ばし、短刀を抜くと相方の足を刺す。さすがにこたえたと見えて、腕の力が緩みかけたところを、訓練で身に着けた要領で、地面へ組み伏せた。
同じく腰に提げた連絡用のほら貝も吹き鳴らし、応援を要請。相方はほどなく、連行される運びとなったらしい。
それからも同じようなことが、侵攻してきた兵たちの間で、時々起こったらしい。いずれも室外でのことで、後から現場を改めたところ、いずれも場違いな花が、付近に一本だけ生えている。種類こそまちまちだったものの、鼻の中へへばりつきそうな、強烈な香りがしたことは共通していたらしい。
僧たちが話していた事態の通りになり、被害にあった一部の兵は陰謀説、反逆説をわめいたりしたが、武将はもう一度、彼らの話を詳しく聞いてみることにしたそうだ。
その後、様々なすり合わせの結果、化粧師たちを呼び戻すことはできたが、肝心の家族はなかなか戻ってこない。
幸い、香水の原料はまだ生き残っており、記録を辿りながらそれらを再現。化粧師たちが地区ごとに配置され、彼らが香水の作成、及び花の見張りを兼任することになったという。
墓の周囲以外にも花が咲くようになったことで、その仕事量は膨大のひとこと。担当の区域ごとに、あちらこちらを回る彼らは、一年の大半を、様々な花を抱え、その香りを嗅ぎながら過ごしたという。
江戸時代の末期まで続いたといわれるこの仕事だが、火葬が主流になるのを機に、少しずつ花を確かめる機会は減っていったそうだ。
火葬された人につけられた香水と、同じ香りを持つ花は、不思議と生えてこなかったらしい。
ある人は「死者が限りのあった大地を介さず、煙と共に、限りなく広がる空へ直接のぼることができるようになったから、追い出されてしまうことがなくなったのだろう」と、語ったとか。