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件の九段  作者: 明石 凪
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階段を見上げて/てげ上見を談怪

階段を見上げて/てげ上見を談怪


 学校の怪談というフレーズを聞いて学校の階段と脳内変換し、一体全体階段の何が怖いんだ、こんなもの全然怖くないじゃないか、と思っていたのは僕だけじゃない筈。

 そしてある日突然、自分の致命的な過ちに気付く。すなわち、そもそも階段なんて怖いわけがなく、階段だと思っていた単語は階段でなく怪談であり、怪しい話が、怖いんだ。

 僕がいいたのは、なにも、人間馬鹿だと損をする、なんていう話じゃあない。話したいことは簡単な概念で、人間は怖いかどうかを判断する能力を持っているということ。

 階段は怖くないけど、怪談は怖い。そこのところの判断基準を明確にせずとも、いやむしろ、明確にしないからこそ、怪談は怖い。僕たちはそれを知っている。

 恐怖は本能の一部だ。

 人は恐怖を恐れる。

 けれど、考えてみてくれたらわかるんじゃないだろうか。

 もしもあなたが朝、学校でも会社でもどっちでも良い、むしろそこから帰って家族にでも会ったとき、もしくは同級生と街で偶然出会ったとき、そのときにもし、もしもだ、怖がられたら、どうするだろうか?

「君、すごく、怖い。」

 そう言われたら、あなたはどうする。暖かい抱擁で迎えてくれる、自分の存在を許容してくれる、自分のことを知っていてくれる、自分のことを見ていてくれる、そんな存在が自分を見る目は、恐怖色に染まっていた。

 それって、怖いことじゃないだろうか?

 怖いということが一体どういうことを表すのかなんて全く問題じゃない。問題は、怖いということは何も一方通行とは限らないということ。

 けれど勘違いはしないでほしい。そもそも、怖いやつらは、あなたは僕を怖いとは思っていない。あなたや僕がよく知っている知人を怖いと思わないのと同じで、普通は彼らも僕らを恐れない。

 ならば彼らは何を恐れるのか。

 恐怖には二つある。災害を恐れる恐怖と、崩壊を恐れる恐怖。つまり、何が起こるか分からない恐怖と、それが起こってしまえば全てが失われる恐怖。自分の体や心が破壊されるかもしれない恐怖と、自分の思想や主張が破綻してしまうかもしれない恐怖。

 僕たちが僕たちの破壊を恐れるように。

 望んでも叶わないということを、彼らは恐れる。

 あなたや僕が恐れる恐怖たちも、


 本当は、


 怖がられるのを、恐れている。

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