第1話 冬の日課
目の前には敵がいる。
今までの人生で100パーセント敵と認識できるものはほとんどいなかったが、今回だけは断言できる。ここに敵がいると。
辺りでは火の手が上がり、いつも穏やかである街がまるで地獄であるかのように見える。
そんな地獄のような場所にはほとんど人がいない。皆、ある一点に集まっているからだ。
だが残念なことに俺の周りには人がいた。
見慣れない鎧の兵士が俺に向かって剣を構えている。
何故俺は戦っているんだろう。
いつも守ってくれる姉ちゃんも、大人のくせにヤンチャな兄ちゃんも、真面目で優しい兄ちゃんもいない。
いつも守ってもらっている俺がなんで後ろの人たちを守るために戦おうとしているのだろう。
それでも、戦わなければ殺される。
死ぬのは怖い。
それでも、いや、だからこそ、俺は戦わなければならない。
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ヒロユス王国。五大国の一つとして知られているこの国は武力、生産力共に平均的な国家だ。四季のあるこの国の冬は寒く、用のないものはなるべく出歩かなくなる。
だが、そんな国の一角に熱気の溢れた場所があった。
「久しぶりの稽古だけど、僕に勝てそうかい」
優しそうな笑みを浮かべながら、彼が問いかけてくる。向かい合っている2人は対照的であった。1人は争いごとが向いているとは思えない優男であり、もう1人は獰猛な笑みを浮かべている骨格ができつつある少年というには少し年が高いと思われる青年である。
「負けるつもりはねぇぞ」
対極的な2人であるが、両者が纏う雰囲気は同等のものであった。
「まぁそろそろ僕程度には勝ってほしいかな」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで行くぞ!」
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「やっと互角かー、できれば僕を軽く倒せるくらい強くなってほしいなー」
2人は闘技場に大の字になって倒れていた。両者とも大量の汗をかき、それにより地面を色付けている。
「うるせぇ!大将のくせに学生の俺と互角って時点で終わってんだろ」
「まぁ僕は肉体派じゃなくて頭脳派だからねー、それに比べてカイル君は肉体派なのに僕に負けてていいのかなー」
「負けてねぇし、引き分けだろうが」
「まぁまぁ、どちらも強いでいいじゃないですか、そしてアーロンさん、私の稽古にも付き合っていただけると有難いです」
大の字に寝ている2人の元に歩みやってくる男、エリックがアーロンに問いかける。
「うん、すぐやろうか」
「お手柔らかにお願いします」
頭脳派二人はこのままチェス盤の前でにらめっこすることが必須だと判断したカイルは一人黙々と稽古に励む。アーロンとの訓練で体力を大幅に失っているにも関わらず、彼の振るう槍はとてもキレのあり、繊細な動きであった。これがカイルの冬の期間中の日課であった。
カイルとエリックはこの国の兵学校の生徒である。カイルはアーロンと義姉や義兄の英才教育により、学生とは思えないほどの実力を持っていた。そして戦争中のこの国家はそんな戦力を見逃すわけがない。
彼らはすぐに戦争に駆り出されることとなる。
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「私たちはいつ、どこに配属される予定なんですか」
真剣な表情で盤を見つめながらの問いかけにアーロンは溜息をこぼしつつも、少しエリックの駒を咎めるような手を打つ。
「君たちはまだ学生なんだからもう少し隙があってもいいんじゃないかねー、普通学生なんだから後2年は戦場行くの遅いんじゃないかなー」
カイル、エリックの通っている兵学校は三年制であり、カイル、エリック共にまだ2年生なので、本来なら戦場に出るのはまだ早い。
「私たちの能力と今の戦況を見れば、もうそろそろ呼ばれてもいい頃合いだってことぐらい分かりますよ、それに」
アーロンの手を的確に捌きながら、
「早く本物の戦場というものを味わってみたいですからね」
エリックは強烈な一手を打つ。
「あちゃー、そこに打たれちゃったかー」
アーロンを唸らせたことでエリックは勝利を確信する。学校でも武術では勝てないこともよくあるが、座学、特に戦略やチェスの授業では教員にすら無敗であるエリックにとってこの一手は必殺の手応えだと確信した。
「まぁ君たちに早く戦場を味わってもらいたいっていうのは僕も思ってるよ、今の君たちでもそこそこは戦えると思うしね」
この一手に対する最善は逃げること、それでも逃げ切らせることはさせない、エリックはそう思っていた。
それなのにこの男は、
「でも、まだそこそこ程度かな」
エリックの予想もしなかった攻めの一手を放つ。
その瞬間、アーロンから発せられる大きな雰囲気に息を呑む。エリックはこの手を悪手だと判断しようとして思いとどまる。この手は自身の思考の外側。だが、この手こそが最善手だったことを理解する。エリックはアーロンのこの手に対してなんとか対処しようとする。
「君は少し自分を過大評価しすぎかなー、本物はもう少し甘くないさ」
アーロンが駒を動かすたびに傾いていく戦況。エリックは必死に起死回生の手を打とうとするが、ことごとくアーロンに先読みされ、追い詰められて行く。
どんどん崩壊していく自軍に対してエリックは手も足も出なかった。
「最短で15手で詰みかなー、君たちが行くのはこの冬が開けたら。僕と同じ第一軍、カイユーリ防衛だよ。君達とあと何人か連れて行く予定さ」
アーロンは先ほどの真剣な言葉が嘘のように微笑んだ。
「君たちは僕達を超えるほどの伸び代があると僕は思っているよ。自分の実力に慢心せずに頑張りなさい。そうすればきっとすぐに追いつくよ」
そのような言葉を受けてもエリックはまだまだ追いつけるビジョンが見えない。
自分の実力を片時も疑わなかったエリックは理解する。自分はこの男の足元にも及ばないことを。この国の軍の頭脳の強さを。