第8話 大家さんは幼女(?)
「それにしても奇遇ですよね。まさか大学まで同じだったなんて」
「ああ……そうだな」
大学の入学式を終えた帰りの電車。須藤は笑顔で俺に語りかけてくる。電車内には人もほとんどいないが、俺は何となく須藤の隣に座るのが憚られたので彼女の正面に立つ形になっている。
「大学生活、楽しみですよね。そう思いませんか?」
「ああ……そうだな」
須藤は俺を見上げる形で話しかけてくるが、俺は須藤の方は水に窓の外の風景を虚ろな目で眺めていた。やがて、まともな返答が来ないと悟った須藤は寂し気に笑って口をつぐんだ。
さっき須藤が言ったように、俺と彼女は同じ大学だった。最初は気付かなかったのだが、式の終了後にばったり遭遇。そのまま流れで一緒に帰ることになったのだ。
しかし、そうなると一つ疑問が浮かんでくる。何だって須藤はレンアイ荘に越してきたのだろうか。別にあそこは大学から近い訳でも無い。俺みたいな少し特殊な事情があってあそこに来たのだろうか。そんなこと尋ねてしまえば早いのだろうが、下手をするとややこしい問題に突っ込んでしまう可能性だってある。ここは訊かないのが吉というものだ。
「まもなくー、奥知ー奥知です。お出口は左側です」
結局、一言二言の会話以外は一切無いまま電車を降りた。アパートまでの道は、俺が少し先を歩いて後ろから須藤が付いてくる。俺に気を遣って並ばず歩いてくれているのだろうか。何だかとても気まずい。
「……ん?」
アパートに近付いてきた所で、俺は異変に気付いた。アパートの玄関の前に、何かが倒れている?
「青木さん、あれ、人が……倒れてませんか?」
須藤が切迫したような声で言う。あれは確かに人のように見える。須藤が俺を追い抜いて小走りで駆けていったので、俺もそれに続いた。
「お、大家さん!?」
倒れている人の元に行った須藤は手で顔を覆って叫ぶ。俺も追いついてその人の顔を見た。その人は確かに、このレンアイ荘の大家である磯崎さんであった。彼の顔面は蒼白で、今にも死んでしまいそうだった。
……これはまずいんじゃないか?救急車を呼んだ方がいいだろうか。あれ、救急車って何番だったっけ?
「あ、あの、救急車お願いします!えっと、住所は奥知の……」
などと俺が混乱している間に、いつの間にか須藤がスマホで救急車を呼んでいた。お、俺はどうすればいい?心臓マッサージなんてやったこと無い。確かAEDとか使えばいいんだっけ?いやしかし、このアパートにそんなものがあるとは思えない。
「大丈夫ですか!?」
既に救急車を呼び終えたらしい須藤は磯崎さんに何度も声をかける。意識はあるようで「うぅ……」と頻りに呻いている。そんな中、俺は何もすることが出来ず……気が付けば救急車が到着して、磯崎さんは運ばれていってしまった。それにしても、何も出来ずにオロオロしていた自分が我ながら情けない。
「大丈夫かな、大家さん」
走り去っていく救急車を見送りながら、須藤は心配そうに呟く。そして俺はそんな彼女の後姿を何も言わずに眺め続けていた。
「……なんだ、騒がしいな」
救急車のサイレンの音が完全に聞こえなくなった時、突然後ろから幼い女の子のような声が聞こえてくる。振り向くと、そこには声のイメージ通りの小さな女の子が立っていた。だがその子はやけに目つきが悪く、生意気に腕組みをしていて……なんと煙草を咥えていた。
「おい、そこのお前。何があった?」
女の子はおよそ年下とは思えぬような高圧的な口調で尋ねてくる。その生意気さに苛立ちを覚えたが、流石にこんな小さな子に文句を垂れるのも気が引ける。
「ここの大家さんが倒れたんだよ」
「そうか……爺ちゃんが……持病があるんだからおとなしくしとっけっつったのに」
その子は小さく舌打ちして言った。爺ちゃん、という事はもしかしたら磯崎さんの孫だろうか。そんな事を考えていると、騒ぎが気になったのか今度はカフェからマスターも出てくる。
「もしかして、磯崎さんが倒れたのかい?」
「ああ、そうらしいですよ。ったく、無理するから……」
「ふむ、心配だねえ。無事ならいいけど」
「心配しなくても大丈夫っすよ。爺ちゃん、ヒョロヒョロに見えるけど案外丈夫なんで」
「それなら安心だ。ずっと近くで仕事してきたからねぇ。先立たれては悲しいものだよ」
「ははっ、流石に爺ちゃんの方が先は短いでしょう」
「それは分からないよ。さて、私は仕事に戻るよ。この仕事が終わればお見舞いに行くとするよ」
「ええ、行ってやってください。お仕事頑張って」
およそ人が倒れた後とは思えぬお気楽なやり取りを終えると、マスターはさっさとカフェの中へ戻っていってしまった。それにしても……一体この女の子は何者なんだ?とてもじゃないが小学生ぐらいの子が取るような態度ではない。マスターとも親しいようだったし……。
「えっと、君は一体……?」
俺の疑問を須藤が代弁する。すると、その子はこちらに向き直ると相変わらずの口の悪さで自己紹介を始めた。
「アタシは万田庄子。磯崎勇蔵の孫だ。で、年齢は……見た目は小六、頭脳は二十歳……ってところかな」
万田と名乗った少女はニヤニヤと悪ガキのような笑みを浮かべながら話す。確かに見た目は小学六年生ぐらいに見えるが……その態度は二十歳とか遥かに超えて四十歳ぐらいの中年おばさんに見える。ていうか、いくら脳内は大人でも煙草は吸っちゃいけないだろ。
「ん?ああこれ、心配しなくても煙草じゃなくてココアシガレットだから。いくら実際は二十歳だろうとこの身体で煙草は色々とマズいからな」
「は、はあ……」
須藤もすっかり圧倒されてしまっている。当然、俺もだ。小学生にこんな生意気な態度を取られたんじゃ普通は腹立つものだが、彼女のそれはどうも『本物』に見えて、文句を言う気も起きないのだ。
「ん~まあ、とりあえず管理人室に来い。お前らここの住人だろ?だったら色々言っておきたい事があるからな」
それだけ言うと、万田は咥えていた煙草……では無くココアシガレットをバリボリと食いながら管理人室に入っていった。俺と須藤は何も言わずに顔を見合わせた後、万田の後に続いた。
万田は小さな冷蔵庫からジョッキとビール瓶のようなものを取り出すと、並々とそれを注ぎ、それを持って卓袱台の元にどっかと座る。
「まあ、お前らも座れ」
万田はそう促しつつ、ビールを一気飲みし、満足そうに「ぷはーっ」と息を吐く。
「ああ、安心しろ。これはビールじゃなくて子供用のビールっぽい炭酸飲料だから」
万田は俺が疑問に思っていることを先回りして言ってくる。俺は色々納得いかないながらも万田の反対側に座り、須藤もそれに続く。
「あの、大家さんは大丈夫なんでしょうか?」
須藤はまだ心配だという風に万田に尋ねる。しかし須藤はもしかしてたとえ相手が年下であろうと敬語を使うのだろうか。いや、単に相手がこの万田だからなのかもしれない。確かに敬語を使いたくなる気持ちは分からんでもない。
「ああ大丈夫大丈夫、いつもの事だから。持病があってね、そのせいでよく倒れるわけ。だからもう休んで管理人業はアタシに任せとけっつってんだけど聞かなくてさあ。ま、流石に今回ので懲りてくれると嬉しいんだがね」
万田は呆れたような口調で喋る。その様子はさながら井戸端会議を繰り広げるおばさんのように見える。まあそんな事は口が裂けても言えないけど。
「まあ……という訳で、だ。今日からこのレンアイ荘の大家はアタシだから。以後よろしく」
そう軽い口調で告げると、万田は服のポケットから小さな箱を取り出すとココアシガレットを取り出してまた咥え始める。これが癖なのだろうか。いや、そんな事よりも。
「おい、お前。今『お前みたいな小学生が大家なんて出来るわけねーだろ』って思っただろ?」
万田は不機嫌さを隠そうともせずに俺に指を指して言う。まあ確かに今そう考えようとしていたところだったが、あんたは人に指を指すなとは教わらなかったのか?という別の疑問が新しく浮かんできた。
「どうやらさっきのアタシの言葉がうまく伝わってなかったようだな……まあいい、じゃあこう言えばどうだ?アタシは『呪い』に罹っている」
俺はそのワードについ反応してしまう。『呪い』、このレンアイ荘に住む人に必ず罹るもの。確かにそれなら彼女にも『呪い』が罹っていて然るべきなのだろうが、その内容はなんだ?
「あ、もしかして」
須藤が何かを察したかのように声を上げる。マズい、俺はまだ分かっていないというのに。
「どうやらそっちの男はまだ分かっていないようだが、まあいい、答え合わせだ。アタシはね『成長を止められる呪い』に罹っているんだよ。これで分かったろう?アタシは十二歳で成長を止められた。でも、ちゃんと成長し続けていればもう二十歳なんだよ」
そこまで言われてようやく俺にも分かった。大人ぶりたいだけのガキかと思い込んでいたけど……実際は本当に年上だったということか。それにしても……まさか八年も成長を止められ続けているのか。俺は途端に恐ろしくなった。俺も今は気付いていないだけで成長を止まられてしまっていたら……なんて冗談じゃない。
「そ、それは大変でしたね」
「ふん、同情はいらないさ。アタシは別に今の身体も嫌いじゃないし。ま、煙草も吸えないわビールも飲めないわってのは厄介だけどな。それに、あんただって何かの呪いに罹ってるんだろう?なら、『同族』同士仲良くしようや」
「は、はい……そうですね。これから宜しくお願いします。大家さん」
須藤は丁寧に頭を下げる。俺も慌てて「宜しくお願いします」とだけ言って頭を下げた。
「よせって、照れるからさあ」
万田さんは本当に照れているようで、顔を少し紅潮させて顔を上げるように促した。俺はやっと見た目相応の表情を見ることが出来た気がする。
「あ、そうそう。最後にこれを伝えとかないとな」
万田は思い出したように言うと、床に散乱していた書類の内の一枚を掴んで卓袱台の上に乱暴に置いた。それはいかにも手作り感満載なチラシが置かれていた。チラシの中央には鍋と肉と卵の絵が描かれており、上の方には『すき焼きパーティー開催!!』と書かれている。
「……これは?」
「見て分からないか?すき焼きだよ、す・き・や・き。アタシの大家就任記念パーティー。明日の晩やるから。500円用意して来いよ。ちな、住人は全員強制参加だから」
万田はまさに悪ガキのようにニッと満面の笑みを浮かべて言う。ああ、自分の歓迎パーティーなのに金を取るんだな……などと思いつつ、これからこの人に振り回されて生活していくという事実に大きなため息を吐いた。