第八幸 「誓いを胸に」
一昨日は隣の老紳士、昨日はさらにその隣の若い女性。今日は誰なのだろう。私はふとそんなことを思う。不謹慎であることは分かっているけれど、何か自分の中に湧き出てくる感情を押し殺すために柄にもないことを考えてしまうのだ。私が今考えていたのは昨今で死刑が執行された人たちのこと。刻一刻と迫る死の宣告に怯えない囚人などいないだろう、普通ならば。だが私は少なくとも今は死がすぐに来るとは微塵も予見していない。私はあくまでも領主の妹だ。兄上もそこまで簡単に殺せないはずだ。だからといってそれを逆手に取るような作戦もまた、あの残虐貴公子の前では意味を為さない。何せ死刑という名の人殺しを毎日執り行う人間だ。私を邪魔だと感じれば、その瞬間に彼は欲望のままに銃口を私の額に向けるだろう。
だから私は大っぴらな反抗は一寸たりとも許されない状況に置かれているのだ。だが、最近私は牢獄の中で黙って瞑想らしきことをすることが多くなった。そのおかげか能力の制御が以前よりは安定してきているのだ。だから私は毎日、監視員の目を盗んでは能力を少し応用して発信しているのだ、彼に向かって。
私の夢見の能力―《幸夢伝授》を限界まで弱めて特定の波長を流すのだ。そうすることで傍受する側からすれば脳内で声が聞こえるといった効果をもたらす。また特定の波長とはある個人の脳波にのみシンクロするもので私は彼の、録の脳波を向こうの世界で無断だけど勝手に頂戴してきたのだ。
お、お嫁さんだもん!これくらいいいよね!
だけど精神的にきていることは自分でも実感しているのだ。怖い。逃げたい。助けてって。
だから私はいつも彼にこうメッセージを伝えるようにしている。
〝助けて。私もあなたを助けるから〟と
領主打倒作戦、二日目。
「本日は晴天なりー本日は晴天なり―」
今日も山道が続く中、サクラコは笑顔でこのセリフばっかり言い続けている。どこで聞いたんだそのセリフ。本当はそのセリフ、無線用語では雨でも雪でも使うんだけどなぁ。まあ、このことは置いといて。
「サクラコ、疲れてないか?」
「大丈夫だよー!それよりロクは大丈夫?」
「大丈夫だよ...」
本当は腕に血液が流れていないんじゃないかと思うほど、右腕が上がらない。というのも昨晩は宿がどこもほぼ満室状態で一部屋しか借りることが出来なかった。俺はサクラコとは別々の部屋(心配だったので隣室にするつもりだったが)に泊まるつもりでいた。だが部屋は一部屋。ベッドはもちろん一つ。そこでサクラコが腕枕して!と言ってきたのだ。娘のお願いを断るわけには、と俺の脳内制御システムが作動したのか腕枕を潔く敢行した。その結果がこれである。内出血とかしてないよね。
俺らはシフの隣町、アレイアを出てさらに隣町―ヴィティニアを目指している。ヴィティニアはシノノメ領主のお膝元と呼ばれ最も領主の館に近い街である。それ故ヴィティニアはとても栄えていて物流は領内一で治安も安定、隣国の領主達も理想郷と謳うところである。らしい。すべてはワタルのおっさんから聞いたことである。信憑性はあるだろう。
だが昨日の通り、ヴィティニアまでは相当以上の距離がある。直線距離ではシフ―アレイア間とさほど変わらないのだが、問題が一つあるのだ。それはアレイア―ヴィティニア間に荘厳とそびえるハラフ・シノノメという山が関係している。ハラフ・シノノメとはシノノメ領内の民の信仰の中心になっている云わば神体山なのだ。そこはシノノメ領主が厳密に管理しており一般人はおろか高位の領官や聖職者さえも立ち入ることを許されない。なので一般人である俺らはハラフ・シノノメを迂回してヴィティニアに向かわなければならないということだ。
「とは言っても、これ丸二日はかかるぞ...」
「サクラコは大丈夫、ロクとなら一日で行ける!」
「若いのはいいな。俺は無理だ。」
「がんばろーよー...。あっ」
咄嗟にサクラコは顔を俯ける。どうしたのかと思って近寄ってみた。
「がんばろ?おにいちゃん?」
突然少女から放たれた涙目という名の精神攻撃。そこに加えたおにいちゃん呼び。残念ですが俺はもう...
「おう!というか余裕だぜ!」
手遅れでした。
まあ、俺より幼い子が頑張ろうと元気づけてくれているのだ。ここは年長者としての義務でもあるかもしれない。俺はサクラコの後を追うように走っていった。
進み続けること一時間、俺は疲れを感じていながらも一つの疑問を解消しようとしていた。それはカザリのことだ。出発の前日、ワタルのもとに行く前にシフの広場で聞いた言葉。
『...、...ク、ロク、どうか聞こえていますように。私を助けてっ』
あれだけが未だに解せない謎である。俺が初めて聞いたとき俺は能力のことについて無知というか存在すら知らなかった。だとすればあれがカザリの能力による仕業なのだろうか。そもそも彼女がこの世界にいるのかどうかさえ定かではない。あっと俺は小さく声を発する。俺の能力は《聖霊引導》、聖霊による導きで分かるかもしれないのだ。使ったときもし聖霊自体が出てこないのなら、それは不可思議、つまり彼女がこの世界にいないことになる。思ったよりこの能力は俺にとっては便利だとそう思う。よし。
「サクラコ、少し休憩しよう。俺疲れちゃった。」
「わかった!水筒ちょーだい!」
俺はサクラコに水筒を手渡すと少し離れたところで聖霊を召喚する。
「《聖霊引導》っ!」
途端に以前と同じ蝶が眼前に舞い始める。俺は求める答えを告げるよう命令する。
「カザリの居場所を教えてくれ」
蝶は再び舞い始める。すると五匹の華麗に舞う聖霊は一斉に列を成し、一つの方角に飛んで消えていった。俺はすぐさま鞄から地図を取り出し方角とその直線上で交わる地域を合致させる。
「え...」
言葉が出なかった。愕然となり、思わず地図を落としてしまう。彼らが示した方角は北東。俺らが向かおうとしているヴィティニアはこのまま北にある。なのでヴィティニアじゃない。そう、彼らが示していた方角の先、それは。
「シノノメ領 領主邸...」
ふと彼女の言葉を思い出す。
『私を助けてっ』
領主の館...。私を助けて...。領主......っ!?
俺らが対峙しようとしているのは冷酷無比な指導者。そこにカザリが...いる!
俺らはすぐに荷物をまとめサクラコを担いで疾走を始める。
「はぅっ!?」
「こうしちゃいられない!行くぞ、サクラコ!」
幾らか昔少女はこう言った。
『責任、とってくれますよね?』
それはこういうことだったのか。なら仕方ない。ちょっくら俺の本気出すとするか!
「サクラコ、絶対掴まってろよ!今から俺の〝嫁〟を助け出す!」