第七幸 「勇者の巣立」
「今日は何人だ」
「はい、領主様ァ。本日はァ、三人執行する予定でェございマす」
冷酷な指導者に従事する赤虎はややエコーの利いた声で応える。その表情はいつも通りの嬉々として狂気に満ちていた。
「わかった。下がれ」
「はいィ」
一人佇む空間は今にも凍り付かんとする雰囲気を醸し出している。恐らくこの領域に足を踏み入れようものなら誰もが背筋を凍らせてしまうだろう。それ故、民共は反抗できないのだ。完全なる独裁体制は彼の性格そのものであると言っても過言ではない。いや、むしろこの領内はすべて彼のもの、つまりは〝所有物〟であるのだ。使える駒は使い潰した後に排除する。これが彼のやり方である。そう、先日潰れたシノノメ領内のシフという街も10年ほど前は辺境の街ながらその特性を活かし、隣国の民を受け入れる玄関口として領内有数の観光都市だった。だが荒廃したものは即排除、シフの壊滅指示をした張本人こそ彼である。
彼は自慢の白い八重歯を剝き出しにして嘲る。
「今日も楽しい一日になりそうだな」
勇ましく返事を返したのは昨日のこと。今思うと完全に場の雰囲気に流されたと言う他無い。
時刻は早朝5時。今日の朝8時にはシフを出るつもりである。実際はこんなに早く起きる必要はなかったのだが、どうもそわそわして寝られなかった。
そういえばもうサクラコは起きているだろうか。昨日は4時には起きていたっていうし、とりあえず馬の鼻向け程度にサクラコの頭を撫でておきたい。我ながら親バカだと自負はしている。だが仕方ないものは仕方ない。だって可愛いのだから。
「サクラコー、起きてるかー」
居間に入ると同時にサクラコを呼んでみる。
「......。」
返事はない。昨日は夜遅くまでおっさんから話を聞いていただけあって寝るのが遅くなってしまったからだろうか。サクラコも俺が寝るまで頭をこっくりこっくりしながら話を聞いていたのだ。無理に起こすのもよくない。
その時ふと腕に何かが絡みついてきた。
「おはよぅ...。お兄ちゃん.......。」
サクラコが腕に絡みついている。いや、待て。
「お兄ちゃん!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「お兄ちゃん、うるさいぃ.......。」
そういって小さな手で拳骨を作りこつんと小突いてきた。寝ぼけているのだろう、手には全く力が入っていない。
「サクラコー、とりあえず顔を洗ってきなー」
しゃがんで目線を合わせてそう言うと、サクラコは目を閉じたままこくんとうなづいて洗面所へふらふらしながら歩いて行った。
「お、お兄ちゃん......。」
俺は変態なのかと自問自答して、そして俺も顔を洗いに行った。
「そんじゃ、行ってくる」
「行ってくるね!おじちゃん!」
二人の未熟な人間がいざ大人にならんと道を歩みだそうとしている。
「おうよ!」
俺は陽気に、大きな声でその決意に応える。本当は行かせたくない。だが彼らの決めたことに今更横槍を入れても無駄だろう。
「ばいばーい...!」
俺は二人の背中が見えなくなるまで手を振り続けた。
そのとき彼は陽気な声や態度と裏腹にこう呟いていた。
「帰って来いよ......必ずな」
そんな声など既に背が見えなくなった彼らには届くはずもない。だがシフの街の町長として、そして一人の人間として彼を応援すると決めたのだ。なぜ俺がそう呟いたのか。それは俺が領主に会ったことがあるからだ。冷酷無比で極悪非道。彼を語るにはこれだけで十分なほど悪い意味で率直な男である。もし今回の襲撃で街の騎士団でも派遣していようものなら、彼は直属の騎士をすべて引っ張り出してきて町民の首を残らず刈り取っていたことだろう。対抗したら一瞬で命はないと言われるほどだ。
だが今、牙を向けた一人の少年がきっかけで何かが変わるかもしれないのだ。だったら諦めずにここの街は俺が責任もって立て直す。勇者の凱旋を笑顔でできるように。
「今はこの辺か」
俺とサクラコは地図を開き場所を確認する。シフを出て30分ほど経っただろうか。山道を黙々と歩いてきたわけだがそれなりに人も多く、サクラコを連れているせいか妹と散歩だと思われ様々なところで食糧やらお菓子やら大量にもらった。何より山道ですれ違った天狗族の若者が「妹君と登山か。ご武運を祈るでござる!」と鼻を高々に声をかけてきたことには腰が抜けそうになった。
そしてこの山道のおおよそ中腹にある休憩所に至る。
俺は現在地に指をさす。
「今いるのがこのシフ・アレイア山道だな。領主のとこまでは結構あるな...」
予想していなかったわけじゃないがやはり近くの村や街の宿屋を転々としながら進まないと一晩じゃ到底たどり着けないらしい。
「サクラコ―、今日はこの先にあるアレイアの街まで行こう」
「私は倒れちゃうよー。あー。もう歩けないー。」
ちらっ。
今あいつ絶対こっち見ただろ。学習してるなサクラコめ。俺がサクラコのお願いを断れないことを利用していやがる。だが、ここでまんまと引っ掛かっては半人前の保護者にもなれん。兄として父親として、時には厳しくすることも重要である。俺は自己暗示を済ませ、意を決してサクラコのほうへ振り向く。
「サクラコっ!.....え」
振り向いた先にはサクラコの顔があった。距離にしてわずか15cm。あまりの可愛さに思わず了承してしまいそうになる。土俵際まで押された俺は必死に歯を食いしばって抗おうとする。だが、サクラコは目元に涙を溜めた。そしてとどめの一撃。
「おにぃ...ちゃん......だめ...?」
結果、轟沈。
先ほどの休憩場所から歩き始めて数分。いや、まだ数分。まだ数分なのに俺の体力、精神力はすでに完全に欠いていた。一方俺の背中で景色を眺めては逐一報告してくるどこぞの妹君はそれはそれはもうハイテンションで騒いでいる。よく考えれば、荒れたシフの街で生き延びていた少女がたかがこんな緩やかな斜面で疲れるはずなどない。本当に、よく考えればわかることだった。
唯一の救いがあるとすれば、それもまた俺の背中にいる乗客の笑顔である。もはや俺を元気づけたいのか、はたまた俺を疲れさせたいのかよく分からない。が、それでもサクラコがいることで楽しいのも事実である。
「ロク!ねぇ、ロク!」
「はいはーい、どうした?」
「街が見えてきたよ!」
「本当か!ようやくかぁ」
思わず立ち止まってしまう。まだ山道の途中であるにも関わらず疲弊した俺は既に帰宅モードに入ってしまっていた。というか俺はまだ生い茂る木と平坦な一本道しか見えていない。
するとサクラコは俺の背中から降りた。
「ねぇロク、もう疲れちゃったの?」
「ああ、元々運動とかしないからな」
いや、本当は現実世界で毎朝ランニングは欠かさずしていたので体力にはそこそこ自信がある。だが、サクラコのせいにするのも気が引けるのでそういうことにしておいた。
「しっかたないなぁ~」
サクラコは俺の手を握った。
「ほらほら、いくよお兄ちゃん!」
俺は脳も疲弊していたのか、ただの単純バカになっていた。「お兄ちゃん」の一言で無駄に元気が出てくる。おい俺、ラストスパートだぞ!
「おう、しっかり頼むよサクラコ!」
二人はお互いに手を繋いで、夕陽に照らされながら一歩ずつ歩いて行ったのだった。