第三幸 「はじめまして非日常」
※第三幸の冒頭では暴力的及びホラー的(に見える)シーンが一部ございますが、当作はバイオレンス等の18禁要素は含みません。ので、途中変に思われることがあると思いますがその点については問題はありません。その点について気になり控えていた方も安心してご覧ください。
妖怪。それは人間とは異なる生態をした未知的生物であり、実際の所、存在すら疑われている。妖怪とは人間の感情や言動が引き起こすシンパシーが結集、発現した、いわゆる化け物であるとする俗説もある。例としては普通の人間の比では無いほどの長々しい首を持つ女や、八つの頭を持つ仰々しい龍など異形という範疇を遥かに超えた存在があげられる。しかし人々は何故だか人間に対して悪い影響を与えるもの、良い影響を与えるもの、というような善悪二元論的な分別を妖怪に課しているのだ。多くの妖怪は、その元となった人物や存在が当時はどういう存在だったのかで決められている。だが噂というのはいずれどこかで道を間違えるもので、二転三転した挙句本来の意義とは真逆の意味で捉えられてしまうのもいるわけである。
そして今俺の目の前で腕を雁字搦めのごとく物理的に締め上げているこの座敷わらしもまた妖怪の一種なわけで...。
「少なくとも、俺は自分が見えてないと分かっていながら四六時中監視していたやつを好きになる趣味は無い。」
「監視じゃないよ!み、見守ってあげていたの!」
こ、こいつ...。いかにも自分は優しさ愛情一直線!みたいに言っているが、実際ただの恩の受け売りじゃねぇか。
「そうかそうか!ありがとな!じゃ!」
俺は体を翻しその場を去ろうとする。しかし体は強制的に元いた方向へ戻される。
「簡単には逃がさないよ!」
彼女は俺の腕を掴むとジャイアントスイングをするかのような勢いで乱雑に向きを変えさせる。見た目とは裏腹の怪力設定かよ...。
「どうして逃げようとするの?」
おいおい、待て待て顔が笑ってないぞ。普通そこは上目遣いじゃないのか。
だが、強く気を持つんだ。憶乃録!ここで圧されたら思う壺だ。
「だから言ってるだろ。俺はストーカーを愛する趣味嗜好は一切無いっ!」
い、言ってやったぞ...。これで彼女がおとなしく引いて俺は解放、彼女は次の恋へGOでハッピーエンド間違いナシだ。さらば、間違えた青春、こんにちはいつもの日常!
「...。」
「聞き分けが悪いよ。録くん。」
おかしい、予想していた反応と違う...。まるで俺を囲むように全方位から雪女が迫ってきているようだ。
まさに四面楚歌。気付くと、風が吹き始め木々の多くを揺らしている。自然からの警鐘、虫の知らせ。それは俺でも分かった。明らかにおかしいこの状況。はっとして彼女の方を見たときにはすでに遅かった。
「早く私のものになってよ...。」
彼女のぽつりとつぶやいた言葉は風に紛れてかき消されて聞こえなかった。いや、違う。言葉を紛れさせたのは俺だ。先ほどまで樹木達が鳴らしていた葉の擦れる音も、背の高い草の間をかき分け浮遊する蛍の灯火も全て分からなかった。聞こえなかった。見えなかった。それどころか五感全てがやられていたのかもしれない。全身に電流のような激しい痛みが俺の体を電光石火で駆け抜けた後、手足は自由がきかず、意識は朦朧としていた。そして重力に逆らうことも自己防衛として足が出たりすることも無く無条件に彼女の方へと倒れ込む。
「幸せにしてあげますね、私が。」
俺は五感全てがやられていたせいで声を聞くことも、口の動きを見ることも、彼女に触れることもできなかった。そして俺の脳は体が安静になったと判断したのだろうか、俺はついに意識を闇の彼方へと手放した。
見慣れない天井。吹き抜ける風が心地良い。ふわっと藁のような香りが鼻孔を包む。俺はむくっと起き上がり思いっきり背伸びをした。
「んーーっ!」
全身がばきぼきとなり、最後に首を回す。それから俺は辺りを見回した。どうやら俺は寝てしまっていたらしい。だがそこはいつも俺が寝ている自室では無かった。
「じゃあ、どこなんだよ。ここは」
一応屋内だが、造りは現代ではほとんど見かけなくなった昭和チックなやや古くさい雰囲気が漂う家屋である。といっても俺の家の造りはほぼ昭和なんだけどな...。すると不意に背後から陽気、しかしながらどこかダンディな声が聞こえる。
「よう兄ちゃん、目ぇ覚めたか!」
俺が振り返ると、そこにいたのはタンクトップの肩幅が無駄に広いおっちゃんだった。獣耳付きの。おまけに黒い鼻。
「幻視だ、幻視。俺は正常。俺は正常...。」
ぶつぶつ言いつつもう一度それを見る。明らかに狼男だった。
「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁ!」
「っとぉ、どうしたぁ?兄ちゃんよぉ」
狼男は首をかしげて純粋に疑問そうな瞳で俺だけを見つめていた。そのはずなのにどこか睨んでいる用意も見えてしまうから怖い。
「そういやそうと、兄ちゃん大丈夫か?店の前でいつの間にか倒れてるんだから思わず腰を抜かしちまったぜ。」
「腰を抜かすのはこっちの方だ、狼男。そもそも誰だお前!」
「おいおい、助けてやったのにお前はねぇだろ。」
「助けた?」
「そうさ、気付いたらお前さんは俺の店の前に倒れてたんだ。通りかかる人はみんな見て見ぬ振りするもんだからかわいそうに思えてな。とりあえず俺の家で寝かしてやってたってことだぜ。」
どうやら俺を食ったりするつもりは無いらしい。疑問という疑問は山ほどある。だが俺を目の敵にしないだけ、まだ安心はできた。
「そうだそうだ、俺の名前はイワタケル・ワタルだ。好きなように呼んでくれて構わん。」
「俺は憶乃録だ。まぁ、なんつーか助けてくれてサンキューな。」
「サ、サンキュー?まぁ、良いってことよ。」
ウルフ族のような彼―ワタルは親指を立ててにかっと擬音が鳴るような笑顔をした。
「それにしても、ロクはあんなところで何してたんだ?」
俺はこうなるまでのいきさつを話した。まぁ、あんまり細かく話すと返ってこじらせてしまうとも思ったのでいくらか省いた部分もあるが。だがワタルのおっちゃんも割と理解していたらしく話が終わると「なるほどな。」とうなづいてくれた。だが一つだけ疑問に思ったことがあったらしい。
「日本ってどこなんだ?」
「は?この国だろ。」
「いやいや何を寝ぼけてるんだ?少なくともこの世界にそんな土地は無いぞ。」
「はっ?」
「ここはシノノメ家が治めるシノノメ領のシフって街だぜ。」
シノノメ?なんか聞いた覚えがあるようなないような...。だがその前に、日本にはなんとか領みたいな土地の区分はされていないはずだ。なら外国か?いや、現に日本語が通じている。
ということはここは...っ!?
「異世界ぃぃぃぃい!?」