クラーケンの宿
幸いなことに、それほど苦労することなく、宿は見つかった。これは、わたしの方向音痴が克服されたからでも、事前に地図を見て綿密に調べておいたからでもない。一件明白に冒険者らしい一団を見つけたので、ついていっただけ。すると、運よく、「冒険者の宿」にたどり着くことができた。
冒険者の宿とは、宿泊施設に食堂と情報屋を兼ねたようなもので、通例、2階建ての1階部分が食堂(情報屋も兼ねる)、2階部分が宿泊施設となっている。つまり、宿泊に加え、食事をしながら(冒険に必要な)情報を収集することもできる施設である。また、宿泊料は、貧乏な冒険者に配慮しているわけではないだろうが、割安に設定されているらしい。イメージ的には、いわゆるひとつの木賃宿に近いだろうか。
ちなみに、「全国『冒険者の宿』ギルド」なる組織もあり、冒険者の宿を経営する場合には、事実上、加入が義務付けられている。未加入で営業すると、なぜだか、暴力的秘密結社(例えば、シーフギルド「カバの口」)の怖いお兄さんたちに、強制的に排除されてしまうからだ。
わたしは、宿の入り口に掛けられた「クラーケンの宿」という看板の下で、
「見た感じは下等な宿だけど、野宿よりマシよ。入りましょう」
ところが、プチドラは、なぜか、気乗りがしない様子。うつむいたまま、無言でうなずくばかり。
「プチドラ、どうしたの? 元気がなさそうね」
「いや、元気がないわけじゃないんだけど……」
プチドラはわたしの腕の中から身を乗り出し、周囲をキョロキョロと見回した。
「う~ん、やっぱり気のせいかなあ……」
「気のせい?」
「実は、さっきマーチャント銀行に入った時に、なんと言うか……チクッと刺すような視線を感じがして、その時から、誰かに監視されているような気がしてたんだ。でも、単に『気がする』というだけで、それ以上のものではなくて……」
「そういえば、プチドラ、確か、帝都の中庭でも、同じようなことを言ってたわね」
「うん。漠然とした予感だけど、今回は、なんだかヤバそうな気がするんだ」
「でも、引き受けた以上、ヤバイなんて、言ってられないわ。結果までは求められないにせよ、一応、アリバイ作りくらいはしておかないと」
わたしにも、なんとなく漠とした不安はある。でも、考えても分からないものは分からないのだから、ここは、「男は度胸、女も度胸」の精神で、いくしかない。
「こんにちは……」
まさか、入ったところで、いきなり刺されることはあるまい。わたしは、クラーケンの宿の建て付けの悪い入り口のドアを開けた。




