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「ちょ……ちょっと待ってくれ……」
「何よ」
「い、祈りを捧げた後……穴を掘るのを……手伝って……」
「穴を掘る? 何を馬鹿な事言ってんのよ。そのままそこに置いておけばいいじゃないの」
少女の言葉に、私は耳を疑った。少女が何を言っているのか咄嗟に理解が出来なかった。
「な……ん……」
「同じ事を二回言わせないで。そのままそこに置いておけばいいじゃないのよ」
「か……ぞくだぞ、家族を……! こんな、何もない所にそのまま置いていける訳がないじゃないか!」
「あら、そうなの? 教会が汚れるのが嫌で外に出したのかと思ったわ」
頭の中が真っ白になった。彼女が何を言っているのか、全く理解が出来なかった。遠くから「だってアンタ使父でしょう」、などという声が響いてきて……目の前の黒い少女はかりかりと首の後ろを掻いている。
「あー、……そう。わざわざ埋めるためにねえ。でも、土の上に置こうが土の下に埋めようが、どうせ土に還るのは一緒じゃないの。なんでわざわざ穴を掘るなんて手間を掛けなくっちゃいけないの? 馬鹿馬鹿しい」
「…………」
「それに、どうせ死体なんて野犬に掘り返されて終わりじゃないの。そのまま野晒しにしておけば? それだけ野犬やカラスが寄ってきやすいのは確かだけれど、野犬も掘れない程の深さの穴を四体分も掘るなんてめんどくさ……」
「君は……人が、家族が、死んだ事を、一体何だと思ってるんだッ!!」
「自然の摂理、それ以上もそれ以下もある?」
「……、……ッ! フザけるなッ!」
私は立ち上がり、思わず彼女に殴り掛かった。少女は、厘は、私の拳を、避けもせず、そのまま左の頬で受け止めた。少女を殴った事に、私ははっとして動きを止め、そんな私に厘は、右の拳を握り締めて私の頬を殴り抜いた。
「ガッ……」
「アンタが私を殴ったので、私もアンタを殴りました。『目には目を歯には歯を』とか言うでしょう?」
少女は言い捨てると今度こそ本当に家へと入って行こうとした。骨を的確に殴られた痛みに頭がガンガンしていたが、私はハッとして縋り付くように少女の背中に声を掛ける。
「……ま、待ってくれ!」
「何よ。頼まれても穴掘りなんかしないってば……」
「も、もう一人……」
「もう一人? ああ、疚人の事? 『アレ』に人手はいらないわよ。箒とチリトリ持っていきなさい。口と鼻は布で覆っておく事をオススメするわ」
「箒……?」
「見ればわかるわよ」
少女は、そう言うと今度こそ本当に家の中へと入っていった。コクウ達を運び出す手伝いをしてくれた事に、本当は優しさもあるんじゃないか……などと思った私が馬鹿だった。人の心があるだなんて思えない。人の心がある者が、家族を野晒しにしておけなんてそんな酷い事を言うはずがない。人の皮を被った獣とか、……我ながら酷い言い草だとは思うが、そんな恨み言がよぎるのも仕方がないと思ってしまった。
とりあえず、疚人とやらの事は一先ず後回しにするとして、私は先にコクウ達のための穴を掘る事にした。彼女はああ言っていたが……家族をこのままにしておくなんて、当然出来るはずもない。とは言っても一人で穴を掘るのは思ったよりも力が必要で、それもコクウ達が入れるだけの穴を四つ分ともなれば……穴を掘り始めて少しもしない内に手が痺れ、しばらくすれば土を持ち上げるだけの力もなくなり、ようやく穴が一つ出来上がった頃にはすでに私の心は折れそうになっていた。けれど、止めるわけにはいかなかった。私がやらなければコクウ達を弔ってくれる人はいないのだ。彼女が手伝ってくれる気がないのは再び聞かなくても明白だ。疲れても、辛くても、私がやらなければならないのだ。
そうやって自分を騙し励まし、全ての穴を堀り終える頃には、太陽は空の中心から少しズレてしまっていた。再び穴を埋め終わる頃には、太陽の位置は中心からさらに西へと傾いていた。これだけ時間が経ったと言うのに、あの短気で粗暴な少女が一言も言いに来ないのが今更ながら気に掛かったので、あの『男』の事は一先ず置いて家に戻る事にした。家のリビングを覗き込むと……一人の少女が、黒いダッフルコートに埋もれるようにテーブルの上で眠っていた。
「……」
「う……何、終わったの? 遅過ぎるんだけど。今日出発するのはもう無理じゃない。時は金なりって言葉を知らないの? 貴重な一日を無駄にしたわ」
少女は眠そうに頭を振ると、「ああ眠い」と心底機嫌が悪そうに呟いた。しばらく目を瞑り、この世の全てを睨みつけるような鋭い眼差しで目を開き、それから、入口で立ち尽くしている私へとに気だるそうに視線を向ける。
「暗くなる前に集められるものだけ集めておきましょう。勝手に漁っても良かったんだけど、一人で全部やらされるなんて腹が立つし……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。君の様子を見に来ただけなんだ……まだ、あの『疚人』を埋葬し終わってな……」
「ハア!? たかが死体の後始末程度でどんだけ時間掛けてんのよ! だからそのまま放置しとけって言ったのに! グズ! ノロマ! ナメクジ以下! 信じらんないぐらいドン臭い! これ以上私に迷惑を掛けないで頂戴よ!」
あまりに酷い物言いに、さすがに私の中で何かが切れた。この少女が何者なのかさえ未だによくわからないが、死んだ人間を、もう生きる事をさえ許されない人間を、ここまで口汚く冒涜する理由があるだろうか。
「い、一体……どういう神経をしているんだ君は! 時間、時間、時間って、人を弔う事より時間の方が君には大事だとでも言いたいのかッ!?」
「私はこのまま行けばあと半年で死ぬんだけど。それとも何? アンタはまだ生きられる可能性のある人間を生かすより、死んだ人間の方に時間を割く方が大事だとでも言いたいの?」
少女の言葉は、私からありとあらゆる言葉を奪うのに十分だった。ダッフルコート姿の少女は、屍肉を漁る烏そっくりの鋭い瞳で私の心を覗き込む。
「まあアンタの『常識』で行けば、まだ生きてる人間よりも死んだ人間に時間を割くのが『正しい』のかもしれないけれど、生憎私はアンタの『常識』に沿ってやる義理もなければ暇もない。あと半年で死ぬの。これでも結構焦ってんのよ」
少女は刃を向けるように鋭くそう言い放つと、盛大なため息を吐きながら物憂げにテーブルに肘をついた。私が戸惑っていると、少女はジロリと苛立だしげに私の顔を睨み上げる。
「要するにまだアンタの『くだらない』用事は終わってないんでしょ? とっとと行って来なさいよ。もう気は済んだっつうなら話は別だけど」
「…………」
「行くの? 行かないの?」
「……行って……くるよ……」
私は、辛うじてそう呟いて、家の外へと出て行った。とても、重い気分だった。例えるなら目が覚めたら暗い路地裏にいたような。帰る場所も待っている人もなく、暗く冷たい路地裏で膝を抱えている自分の姿を急に突き付けられたような。
言葉が出てこなかった。割り切れない、片付けられない、折り合いのつけられない、そんなどうしようもない問題が、次から次へと息をつく間もなく降り注いでいるようだった。片付けなければいけないのに、整理しなければいけないのに、まるで降ってくるブロックを並べて消していくゲームのように、こちらの意図などおかまいなしに次から次へと積もっていく。
だが、私の思考は、一先ず考える事を放棄した。家族を失った事だけですでにいっぱいいっぱいなのに、それ以上の事を考える余裕など私には存在しなかった。……そう、いっぱいいっぱい。家族を失った事でいっぱいいっぱい。少女の言葉も、厘が半年後に死ぬという事も、私自身もあと一年の命らしいという事も、そんなの、とても受け止めている余裕なんて私の中には存在しない。私はフラフラと教会に入り、「とりあえず、『片付けないと』」程度の思考で『疚人』の亡骸も外に運び出そうとした。結局、この男が「何」だったのか、何処から来たのか、名前も、何を思いながら死んでいったのかも、何もわかりはしなかったが、それでも、……この男はもう死んでしまったのだ。この男が例え罪人だったとしても、私に彼を裁くような資格はない。裁きは神に委ねられるべきだ。私に出来る事はせめて彼を弔い、神の元に導く事だけ……そう思い、私は男が死んだ辺り、切り倒された聖母像へと足を進めた。
しかし、足を進めるごとに、形容しようもない酷い臭いが私の鼻腔を刺激してきた。例えるなら卵の腐った臭いに、さらに胃液と血と腐った水と廃液とヘドロを混ぜたような……臭いが目に染み、堪らず目をつむろうとすると、背後から布のようなものが私の口元に迫ってきた。慌てて振り払おうとすると「暴れんじゃないわよ」とくぐもった声が聞こえ、振り返ると厘が……黒いダッフルコートを着た少女が私の背後に立っていた。
「こんな事じゃないだろうかと布を持ってきてやったわよ。鼻と口に当てなさい。少しはマシになるはずだから」
少女は私の口元に当てている布から手を離し、私は慌てて当てがわれた布を自分の顔へと押し付けた。少女の言う通り臭いは大分マシになり、私は薄っすらと目を開ける。疚人の死体があったはずのそこには、腐液色のタールに肉片をいくつか無造作に浮かべたような、見ただけで吐いてしまいそうになるような異様な物体が広がっていた。
「…………」
「あーあ、やっぱり腐ってたわね」
「腐……」
「疚人は、死ぬとさっきみたいな焼け焦げたミイラみたいな姿になるんだけど、その後段々腐っていって、最後には完全に液状化しちゃうのよ。まあ液状化するのには一日もかかりはしないんだけど、とにかく臭いが酷くてねえ……でもま、自殺予防にはなるんじゃないの? 十人中五人ぐらいは嫌がりそうな死に様だからね。『どうせ死ぬなら綺麗に』なんて言う馬鹿がいるけれど、三ヶ月放置した腐乱死体みたいな姿にたったの数時間でなるんだもの。おちおち自殺も出来ないわね」
少女の言葉に何処か嘲りの色を感じ、私は信じられない思いで少女を見た。こんな状況で笑っていられるなど正気の沙汰じゃない。そんな風にしか考えられない。
「よく……笑っていられるな……」
「だったら泣いてみせたらいい? 『そんな死に方絶対嫌!』……なんてダダでもこねて見せればいい? そんなクソの役にも立たない女々しい真似はしたくはないわ。だから事実を事実として受け止める事しかしない」
「…………」
「とりあえず、とっとと出ましょう。さすがにこれじゃあ『回収』なんて不可能でしょう? それより私を手伝いなさいよ」
「まだ……やるのか……?」
「『まだ』? 今までのはアンタが好き好んで勝手にやってただけじゃない。私は死体を外に出すのも手伝ったし、アンタの『雑事』が済むまで辛抱強く待ってもやった。それとも、使父っていうのは人の恩もろくに返さない恥知らずの別称なの?」
少女の言葉は、もう聞いているだけで暴力というレベルのものになっていた。もう嫌だ。休ませてくれ。何も考えずに眠らせてくれ。そう言いたかった。けれど、それを言って彼女が聞いてくれるとは思わなかったし、反論するだけの気力もなかった。彼女が何をする気かは知らないが、適当に付き合って、終わったら眠ろう……そんな風に考えていた。