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疚市(旧)  作者: 雪虫
24/36

4-5

 数十分後、私達の前にはそれなりの量の枝と枯れ草が積み上がっていた。これで足りるかどうかはわからなかったが、空腹の私達にはこれでも精一杯だった。


「荷車か何か……欲しい所だね……」


「どっちにしろ、一旦帰った方が良さそうね。風呂は私が先に使わせてもらうわ。さすがに気持ちが悪いもの」


 厘はそう言い捨てて、率先して先を歩いていった。当然、腕には何も持たずに。これは……私が荷台を借りて枯れ草を運ぶ事になるのだろうか。いやでも、それぐらいはやらねばなるまい。仮にも私は男で、厘は一応女の子なのだから。


「え~、もう帰っちゃうの~」


「後で荷車を借りてもう一度来るよ。その時また一緒に来よう」


「うん!」


 埃君は嬉しそうに返事をすると、私の左手を掴んできた。その無邪気な様子はアマラの事を思い出させた。アマラもこうやってよく、私の手を掴んできた……


「お兄ちゃんどうしたの? 泣いてるの?」


 埃君が私を心配そうに覗き込み、私は慌てて目元を拭った。頬と右手は濡れていた。私は無理矢理笑みを作る。


「ご、ごめん。一緒に暮らしていた子の事を思い出して……」


「誰かと一緒に暮らしてたの?」


「ああ。十歳の双子の男の子と女の子と、十四歳の女の子と、十七歳の男の子。それと、私の五人で」


「今は一緒にいないの?」


「ちょっと事情があってね、一緒にいられなくなっちゃったんだ」


「寂しくないの?」


 埃君の言葉に、私の目に再び涙が浮かび上がった。寂しい。寂しい。会いたい。会えるものならば。しかしどんなに会いたくても、あの子達はこの世の何処にももう居てくれさえしないのだ。

 

 そんな言葉が浮かんだ瞬間、私の喉は詰まってしまった。けれど、泣き崩れる訳にはいかない。この子の前で泣き崩れて、心配させる訳にはいかない。


「……寂しいよ。寂しい。会えるものならもう一度会いたい。私は君のお父さんが羨ましいよ。大切な家族と、こうして一緒にいる事が出来るんだから」


 私が呟くと、埃君はわからないという顔をした。私は笑みを浮かべて、埃君と手を繋ぎながら彼の家へと戻っていった。扉を開けると厘が、玄関に座り込んで何かをスプーンで掬いながら食べていた。


「…………」


「……何、さも言いたい事がありますって顔してんのよ。とっとと帰ってこないアンタが悪いんじゃない」


「いや……ああ、何でもないよ……」


「お帰りなさい。すいません、何か余計な事をさせてしまって……」


 廊下の向こうからお盆にお椀を乗せて現れた沙塵さんは、埃君の姿にそれとわかる程にほっと目を和ませた。しかし一方の埃君は、聞こえるか聞こえないかの声で小さく「ただいま」と呟くと、沙塵さんを避けるように部屋の中へと入っていった。


「……あ、ああ、大丈夫です。ところで荷車とかはありますか? 枯れ草を運ぶのに使いたいんですが……」


「荷車ですか……ちょっと待って下さい。あ、あとこれ、よろしかったらどうぞ」


 沙塵さんはお盆の上に載せていたお椀を私に差し出した。私が受け取ると、沙塵さんは私と入れ違うように外へと出ていった。


「とりあえず食べれば? 腹減ってるんでしょう。いらないなら私がもらうわよ。ないよりマシだし」


「あ、あげないよ。っていうかないよりマシだなんて失礼じゃないか、せっかく作って頂いたのに」


「食べた感想がそれしかないんだから仕方ないじゃない」


 本当に……一体どういう言い草だろう。私は厘の横に座り、お椀に入っていたスプーンを使って一口分掬って口に入れた。それは、家の前にあった畑から取ったであろう野菜を、適当に切ってただ煮ただけのものだった。お世辞にも、おいしいとは言えない。まずいという次元のものでもない。野菜を水で煮て、塩を振っただけ、それ以外の表現が存在しない料理だった。しかも所々火が通っていないものもあれば、煮込み過ぎてどろどろに溶けているものもある。私がお椀を見つめたまましばし言葉を失っていると、がちゃりと扉を開く音が聞こえてきた。


「すいません、ただいま戻りました……」


 顔を上げると沙塵さんが、心なしかおどおどとした表情で立っていた。そして私の手の中にあるお椀を見つめ、悲しそうに眉根を下げる。


「すいません、そんな物しか出せなくて……」


「い、いえ、そんな事は……」


「いいんです。息子にもいつもまずいと言われていますし……私ももっと色々作ってあげたいんですが、どうにも上手くいかなくて……食材も野菜と塩しかありませんし……」


 沙塵さんは心の底からすまなそうにそう言った。その表情だけで、その言葉だけで、目の前にいるこの男性の苦労の全てが滲んでいるような気がした。一生懸命野菜を育て、不器用ながら料理を作り、それを何より大切な息子にまずいと面と向かって言われ、色々と食べさせてあげたくてもそれさえ叶えてやる事が出来ない。私は酷く悲しくなった。


「やっぱり、男親は駄目ですね。いえ、世の中には男手一つでも子供を立派に育てる人もいると聞きます。駄目なのは男親ではなく私です。以前なら近所の人が何かと世話を焼いてくれましたが、今となっては……」


「ああ……いなくなったと……おっしゃってましたね……沙塵さんは、その……皆さんと一緒にこの村を出ようとは思わなかったんですか?」


 私の言葉に、沙塵さんは首を振った。


「いえ、私には……私にはそんな勇気はなかったんです。ここを出ていけばもっといい場所に辿り着けるかもしれない。けれど、死ぬかもしれない。そんな一か八かの賭けに、埃を連れて行く事は出来なかった……」


「でも、ここにいても、食べる物がいずれ無くなるかもしれないわよ」


「けれど、ここを出た所で、もっといい場所に辿り着けるとは限らない」


 厘の言葉に、沙塵さんは力なく笑った。


「情けないと思われるかもしれませんが、私にはもっといい場所を求めて、今私のいるこの場所を捨てる事は出来ません。私は臆病者でしょう。ですが誰しも勇敢という訳ではない。いつ尽きるかもしれないという恐怖に怯えながら、それでもそこにしがみつく事しか出来ない人間もいるのです」


 暗い目だった。何かに諦めを抱きながら、しかし別の何かを諦められず、その諦められないという事自体に諦めを抱いているかのような……言葉にする事は難しいかもしれない。けれど何とも言い難い。例えるのであれば、そう、僅かな希望にすがりついている事自体に絶望を抱いているような……


「あ、ああ、すいません。変な話をしてしまいましたね。枯れ草なら私が取ってきますので、どうかゆっくりしていて下さい」


「いいわよ。私が行ってくるから」


 沙塵さんの言葉を、思い掛けない人物の二言が遮った。厘はお椀を置いて立ち上がると、沙塵さんを押し退けて外に出て行こうとする。


「え、いや、しかし……」


「アンタは風呂に使う水を用意しておいてくれない? 私にはどうすればいいのかわからないし」


「あの……」


「何」


「くれぐれも空き家には近付かないようにして下さい。危ないですので……」


「ああ、野犬ね。はいはい」

 

 そして、厘は出ていった。意外と言うより他になかった。てっきり私が取りに行くものとばかり思っていたのに……一体厘の中にどんな変化があったものか、私にはさっぱりわからない。


「あの……」


 困ったように沙塵さんに声を掛けられ、私ははっと顔を上げた。


「す、すいません! 厘が失礼な口を! い、今食べて手伝いますから!」


「いえ、ゆっくり食べて下さい。枯れ草も集めて頂いた上に、埃の面倒も見て頂いて……」


 沙塵さんは呟くと、何とも言い難い顔をした。申し訳なさと、やるせなさと、悲しさと、何もかもに疲れたような。こんな、見ているだけで悲しくてたまらなくなるような表情を、果たして普通の人間が浮かべたりするものだろうか。


「苦労……されているんですね」


「埃には……すまないと思ってはいるんです。外にろくに出しもせず、遊んでやる事もほとんどなく、一日中家の中に置き去りにしているような状態で……」


「……仕方ありませんよ。野犬がいるんです。危なくて外に出せないと考えるのは当然です」


 私が言うと、沙塵さんは力なく笑った。今突然死に絶えたとしてもちっとも不思議じゃないんじゃないか、そんな疲れきった、擦り切れきった、渇ききった笑みだった。


「分さん……私は、あの子がいつかいなくなってしまうような気がして怖いんです。私を置いて何処かに行ってしまうような気がして……私はあの子を守るためと言うよりも、私の恐怖のためにあの子をこの家に閉じ込めているような気がするんです。私は怖いんです。何もかもが怖い。あの子が私の元からいなくなる事が。あの子を失ってしまう事が。あの子は私の全てです。あの子がいなくなってしまったら私は生きていく事さえ出来はしない……」


 沙塵さんは、両手で顔を覆って、それから拭うような真似をした。そして、また力なく、疲れきったような笑みを見せる。


「すいません、変な事を言って……あの子以外の人間に会ったのは久しぶりでしたから、何か話したくなってしまったのかもしれません……」


「いえ、構いませんよ。少しでもお役に立てれば……元々、そういう立場の人間ですし」


「……と、仰いますと?」


「実は私、使父なんです。と言ってもご覧の通り威厳なんて全くないですから、あまり人の役に立てた覚えはありませんが……」


 私は、伊達眼鏡を掛けていない目で目の前の男性の顔を見つめた。使父の服を着た私の前には、本当にこんなヤツに相談して大丈夫なのかと、そう言いたげな人々の顔がいつだって向かい合っていた。しかし、今目の前にいる男性は、過去に見てきた誰でもない顔で首を静かに横に振る。


「過去のあなたは知りません。けれど今のあなたは、胸の内の苦しみを打ち明けたいと思うような顔をしていると思います」


「……え?」


「何故かはわかりませんし、……いえ、それを言う事はあなたにとって失礼かもしれないので言いません。けれど、もしかしたらあなたは、これから先多くの人に苦しみや悲しみを訴えられるかもしれませんね」


 男は、そう言ってまた力なく笑った。


「何度も変な事を言ってすいません。粗末な物で申し訳ありませんが、どうかごゆっくりお食べ下さい。私は水の用意をしてきますので……」


 そして、男は出て行った。私を一人置き去りにして。お椀の中身は冷めていた。


 男の残していった言葉に、私は何か生温い泥の中に浸かっているような気分になった。

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