4-3
「こちらです」
林をひたすら歩いて男性の後を着いていき、やがて私達は一つの村へと辿り着いた。家屋はそれなりに見えるのだが、何故か人の気配はない。
「あの……他の人達は……」
「ああ……皆出て行ってしまいまして……今は私と息子の二人だけが暮らしております」
「へえ、じゃあアンタの家以外は全部空き家ってワケ?」
妙に嬉しそうな厘の声に、酷く嫌な予感がした。振り返ると厘は、獲物を狙う獣のような目で周りの家々を見回している。
「だ……駄目だぞ厘、空き巣なんて!」
「空き巣?」
「あ……いや……ええと……」
「アイスなんて別にねだってないじゃない。もういいよ。お兄ちゃんの意地悪」
そう言って、厘はプイッとそっぽを向いた。信じられない言葉を聞いた。何だろう、空腹のあまり耳までおかしくなったのだろうか。あり得ない言葉を聞いた気がする。
「アイス……ですか?」
「確かにアイスは大好きだけど、今は食べられないって事ぐらい私にだってわかるわよ。それをわざわざ意地悪言わなくってもいいじゃない」
「はは……ご兄妹なんですか?」
「あ……その……ええと……」
「そっ! 村で食べるものがないから二人で飛び出してきちゃったの。父さんも母さんも死んじゃったから、お兄ちゃんと私の二人だけが家族よ」
「そう……ですか……」
男性は僅かに笑みを浮かべると、正面へと顔を戻して歩き始めた。信じられない思いで厘の事を振り返ると、厘はこの世のものとも思えないような目で私の事を睨んでいた。
「………………」
(最っ悪……アンタ、何て事を口走るのよ。せっかくのエサを逃がしたりしたらどうするつもりよ)
(エ……エサって……君が馬鹿な事を考えているから……)
(ああ、最悪だわ……誤魔化すためとは言え気色の悪い事を口走ってしまったわ。こんな馬鹿で間抜けなヌケサクが兄なんて嘘でも断じてごめんだわ)
「…………」
そこまで言う必要があるのだろうか。
「さ、こちらです。どうぞ」
男性の後を着いていった私達は、やがて一つの家の前へと辿り着いた。今時珍しい古い型の平屋だった。家の前には畑があり、ネギやキャベツやじゃがいもや白菜やシソ等の姿が見えていた。
「畑ですか。いいですね」
「元々趣味のようなもので作っていただけだったんですが、おかげで息子と二人でどうにか食べていけています。とは言ってもお腹いっぱいという訳にはいきませんが……」
「す、すいません……そんな大変な時にお邪魔するなんて……」
「あ、いや、すいません……そんなつもりで言った訳では……」
「お父さん、その人達お客さん?」
家の扉がガラリと開き、一人の男の子がひょこりと顔を覗かせた。一瞬アラヤとアマラの姿が頭を過ったが、二人には全く似ておらず、二人よりもさらに小さく幼く見えた。
「埃、危ないから中に入ってなさい」
「危ない事なんて何もないじゃん。外にも出してくれないからつまらないよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんは? お客さん?」
「あ、ああ、埃君って言うのかい? 初めまして。私は分。この子は厘だ」
「はじめまして。たいしたおかまいも出来ませんがどうぞゆっくりして下さい」
「こら、埃」
男性は困ったような顔をして扉に立つ少年を諌めた。深く頭を下げた少年は、顔を上げて男性を不満そうな顔で見つめている。
「す、すいません。死んだ家内がうるさかったもので……」
「いえ、礼儀正しいんですね。小さいのにしっかりしてる。埃君はいくつになったんだい?」
「八歳!」
「そうか、本当にしっかりしているなあ」
「お兄ちゃんお客さんなんでしょう? 早く中に入りなよ! ぼくと一緒に遊んでよ!」
埃君は扉から外に飛び出ると、無邪気な様子で私の手を引っ張った。埃君の父親は顔を強張らせて慌てたような声を上げる。
「こ、こら、埃、迷惑な事を言うんじゃない」
「わ、私は別に構いませんが……」
「いいじゃない、ちょっとは遊ばせてやれば? アンタに何か不都合があるなら別に無理強いはしないけど」
「厘、君はどうしてそういう言い方を……」
「あ、いえ、そういうつもりじゃ……では、しばらくお願いしてもいいですか? ただし外には出ないように……」
「え、ええ、わかりました……」
「じゃあ、お兄ちゃん遊ぼう、遊ぼう!」
私は埃君に腕を引かれるままに家の中へと入っていった。玄関に入って靴を脱ごうとした所で、ようやく私は自分が泥だらけであるという事に気が付いた。当然と言えば当然だ。家を出てからずっと着のみ着のままで、疚人に襲われてあちこち転げ回っていたのだから。とりあえずダッフルコートとズボンの泥ぐらい落とさなければ家の中になんて入れはしない。
「お兄ちゃん、何やってんの?」
「あ、ごめん。ちょっと泥を落としてから……」
「何やってんのよ。とっとと中に入るわよ」
そう言って厘は、私の横をすり抜けて家の中へと入ろうとした。外から入ってきたそのままで。
「ちょっと待て! 靴ぐらいは脱いでくれ!」
「一体……何処触ってんのよ!」
「ぐふっ!」
反射的に手を伸ばした瞬間、胸に厘の靴がめり込んだ。息が詰まり、その後に胸に痛みと衝撃が押し寄せる。
「ど……何処って……腕を掴んだだけじゃないか……」
「いきなり触ってくるんじゃないわよ! 私は他人に触られるのが嫌いなのよ、覚えておきなさいっ!」
そういう事は蹴る前に言って欲しい……等と口に出せる訳もなかった。何か野生動物の後ろにうっかり立って蹴られでもしたような気分だった。こんな理不尽な事があるのだろうか。
厘は痛みに悶える私を置き去りに家の中へと入っていった。玄関に靴を一組置いて。何だかんだ言いながらきちんと靴を脱いでくれた事は意外と言えば意外だった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんと仲悪いの?」
「悪いと言うか……良くはないかな、確実に」
「あ、あの、どうかしたんですか?」
背後から男性の声が聞こえ、私は「いえ、何でもありません」と答えながら靴を脱いだ。そう言えば今私の臭いは一体どうなっているのだろう。全く気にしていなかったが、もうずっと風呂に入っていない。相当酷い事になっているだろう事は予想に難くなかった。
だが、今のこの状況で、「お風呂を借りてもいいですか」と、聞いていいのかどうかもわからなかった。私の住んでいた場所はライフラインが整っていたのでまだ良かったようなものの、地域に寄ってはガスも電気も水道も断絶した所もあると聞く。そしてそのほとんどは、国によって管理されているライフラインに頼っていた地域だった。私の住んでいた所は辺境にあった事もあり、独自のライフラインを築いていたが……それでも、むしろそれゆえに、食料不足はいかんともし難いものであったが……、ここはどうだかわからない。もしかしたら風呂を沸かす事さえ難しい場所なのかもしれない。
「お兄ちゃん、臭いから遊ぶ前にお風呂入った方がいいんじゃない? お父さん、ぼくお風呂沸かしてもいいよね?」
先に埃君に言われてしまった。そしてやはり臭いらしい。埃君が父親のいる方へと声を飛ばすと、慌てたような表情で男性が顔を出してきた。
「あ、危ないから止めなさい! 気が付かなくてすいません。今すぐに沸かしますから……」
「い、いえ!お構い無く! 自分で沸かしますから、どうすればいいのかだけ教えて頂けないでしょうか?」
本当は「自分で沸かす」とも言わない方が余計な気を遣わせなくていいかもしれないと思ったが、一週間近くも風呂に入っていない人間二人が傍にいたら、埃君達が迷惑してしまうに違いない。いや、私達二人がお邪魔している時点ですでに迷惑極まりないのだろうが……何か、自分がここにいるという事だけで罪悪感を覚えてしまう。
「あ……実は燃料も何もほとんどなくて……」
「取ってきます。小枝や枯れ草でいいですか? あ、差し支えがなければですが……」
「す、すいません。よろしかったらでいいのでお願い出来ますか? 家に招待しておいて申し訳ないのですが……」
「いえ、そんな……私達が押し掛けて、お風呂までお借りするのですから当然です……」
「アンタ達、そんなまどろっこしい会話していてよく飽きないわね」
厘が、呆れたような顔をして襖から顔を覗かせてきた。本当に、一体どういう神経をしているのかと思ってしまう。僅かな食糧をわけあいながら生きている親子の家に上がり込んでお風呂を貸してもらおうという時に、恐縮しないで一体いつ恐縮すると言うのだろう。いや、この少女には恐縮するという考え自体が存在しないのかも知れないが……頼むから少し黙っていて欲しいとさえ思ってしまう。
「ぼくも行く!」
再び靴を履こうと玄関に顔を向けると、後ろから埃君の元気な声が聞こえてきた。父親はまたも慌てたように悲鳴混じりの声を上げる。
「あ、埃! お前は止めなさい、危ないから!」
「お兄ちゃんも一緒なんだから、危ないワケがないじゃないか!」
「いや、外は危険だから……」
「危険? 何かいるんですか?」
「え、ええ、実は野犬が住み着いていて……だから埃、お前は行くんじゃない」
「だったらお兄ちゃんも危ないよ! お兄ちゃん行っちゃ駄目! 臭くてもいいからぼくと一緒に遊んでよ!」
「え……でも……そういう訳には……」
私は困って男性を見た。野犬がいるのは物騒だが、風呂にも入らずこのまま家に上がると言うのも躊躇いを覚える。意見を請おうと男性を見ると、男性も困りきった表情をして私の事を見つめていた。
「あの……野犬って……一体どの辺りにいるんですか?」
「実は……空き家をねぐらにしてしまっているんです。空き家に近寄りさえしなければ安全なので、枯れ草や枝を集めてきて頂けますか?」
「お父さん、ぼくも行く! 野犬には絶対近寄らないから!」
「…………わかった。すいません、埃の事をお願いします。空き家には絶対近寄らせないように」
「ええ、わかりました。ええと……」
「ああ、すいません。私の名前は沙塵と言います。くれぐれも空き家には近寄らないよう、よろしくお願い致します」
そう言って男性は……沙塵さんは頭を下げた。よっぽど埃君の事が心配なのだろう。心底困ったように眉根を下げ、見ていて可哀想になってしまう程おろおろと埃君の事を見つめている。早く帰ってきて沙塵さんを安心させてあげなければ……と思いながら靴を履き、すでに出掛ける準備を終えている埃君へと視線を向ける。だが、外に出られる事に跳び跳ねる様子さえ見せている埃君とは裏腹に、厘は襖から顔を出す事さえしなかった。
「厘! 何をやっているんだ。早く行くぞ!」
返事がない。聞こえていないのかと思い靴を脱いで襖を開けると、厘は汚れたダッフルコートを着たまま体育座りをして膝に顔を埋めていた。
「……って、何を寝ているんだ! 厘、起きろ!」
「……何よ。飯が出来た訳でもないのに起こさないでよ」
「何で寝てるくせにそんな事はわかるんだよ。じゃなくて、薪や雑草を集めに行くんだ。早く起きてくれないか」
「何で私がそんな面倒な真似をしなくちゃいけないのよ」
「君だってお風呂に入るだろう。それぐらいは働くべきじゃないのか」
「そんな面倒な事させられるぐらいなら入らなくて結構よ」
言い切って、厘は再び膝に顔を埋めようとした。どう……いう神経をしているんだ……この少女は……こんな泥だらけのままで……いい訳がないだろう。しかも、その泥だらけのまま絨毯の上に座って寝ようとしているなんて冗談じゃない。私は厘の腕を掴んで無理矢理立たせようとした。
「ちょっと、一体何すんのよ、気安く触らないでってば……」
「我が儘を言うんじゃありません! こんな汚れたまま絨毯の上に座ったら、沙塵さんや埃君に迷惑が掛かってしまうじゃないか。食事をご馳走してもらうんだ、きちんと綺麗にしてお手伝いするのが人としての礼儀だろう!」
言ってから、私はハッとした。まずい、蹴られる。こうやって反論して何度口撃を喰らい、時には暴力を振るわれたかも忘れ、うっかり子供達を叱るように叱ってしまった。思わず目を瞑って厘の攻撃に身構えた私に、しかし予想していた衝撃も痛みもいつまで経っても襲ってこない。
(……あれ?)
恐る恐る目を開けると、そこに厘はいなかった。まさかまた瞬間移動してしまったのかと思ったが、見える光景は目を瞑る前と全く変わりはしない。違うのは厘がいない事だけ。
「何やってんのよ。早く行くわよ」
玄関から声が聞こえ、慌てて声のした方に向かうと、そこには厘が靴を履き終えた状態で立っていた。
「何ぼけっと突っ立っているのよ。行くんだったら早く行くわよ」
「え……ああ、うん」
「全く、どうせまたすぐに履かなきゃいけなかったのなら、靴を脱ぐ面倒なんてさせないで欲しかったわ」
苛立だしげに言いながら、厘は扉を開けた。埃君は仔犬のように厘の後に着いていく。私も慌てて靴を履き、二人の後を追う。厘が私の言う事を聞いてくれたという事に、確かな驚きを感じながら。




