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いや、そんな訳がない。普通の神経の人間ならば、そんな事出来るはずがない、自分が生きるためならば何をやってもいいだなんて、そんな事、許される訳がないじゃないか。
でもお前はそうやって生きているじゃないか。コクウのダッフルコートを着て、死人の家から盗んできた物を食べて、人殺しの少女と共にお前は生きているじゃないか。
私は、少しでも厘から遠ざかろうとするように、何処に行く宛てもなくただふらふらと歩いていった。いつまでこんな日々を送らなければいけないのだろう。一体何のためにこんな日々を送らなければいけないのだろう。生きるため。生き延びるため。ただ明日を生きるため。こんな事をしてまで、果たして明日というものは生きる価値のあるものだろうか。
……いや、違う。駄目だ、一体何を考えているんだ。人間は生まれたその瞬間から、与えられた生を全うしなければいけないんだ。何故なら我々は神に機会を与えられ生きる事を許されている。自ら命を絶つなんて、そんなの生きるチャンスを下さった神への冒涜に他ならない。
しかし、それは罪を犯してまで、貫かなければいけないようなものだろうか。他人の家を漁り、死人の物を盗み、仔犬を殺し、人を殺し、それでもなお生きる事を貫かなければならないのだろうか。違う。生きる事は尊いんだ。罪を犯す程にか。罪を犯す事なく生きる事は尊いんだ。それは罪を犯さずには生きられないなら死ねという事にはならないのか。罪を犯してまで生に執着する事が果たして尊いと言えるのか。食べる物さえろくにないのに。生きる術さえ危ういのに。共に生きるべき家族もないのに、それでも、罪を犯しながら生きる事に価値があると言えるのか。
私は。
ふと、視界に何かが映り込み、私はふらふらとその何かへと歩み寄った。ただ歩いていた時には気付かなかったが、草むらの中にはすでに枯れかけた林が、ただ朽ちるのを待っているだけのように黒くひっそりと佇んでいた。隕石がこの世界に落ちて、被害を受けたのは人間ばかりだけではなかった。動物も植物も、少しずつ、静かに、しかし確実に滅びの道を歩んでいる。だが、不思議な事にそれがいつ始まりどのような経過を辿ったのか、何故だか私には思い出す事が出来ないのだ。例えるなら新聞の記事や写真だけを飛び飛びに覚えているような……だが、映画や小説などでよくあるような、偽の記憶を植え付けられたとかそういう感じでは決してなく、例えるなら十数年前の事を大体語る事は出来たとしても、正確に思い出す事は難しい……そんな感じによく似ていた。
だが、今の私には、そんな事はあまり意味のない問題だった。今の私にとっての問題は、朽ち逝く最中の林の根元に、キノコらしき物体を発見したという事だ。特にキノコに詳しいという訳ではないのだが、丸い傘を天辺につけ、そこから柄が伸びている、見た目にもぷっくりとした感じのする何かを、キノコ以外に表現する方法を生憎私は知らなかった。私は三つぐらい生えている指の大きさ程の物体に近付き、確かめるようにそれらの傍に膝をついた。
どうしよう。これは、食べられるのだろうか。いくらキノコに詳しいという訳ではなくても、キノコには食べられるものと食べられないものとがある事ぐらいは知っている。もちろん食べられないものの中には、少量でも死に至るようなものもあるという事も。
どうしよう。これは、食べられるのだろうか。食べてもいいキノコなのだろうか。食べられるものなら当然食べたい。少しでも餓えを凌ぎたい。けれど、もしも毒キノコならば……毒キノコである危険性を考えるなら当然食べない方がいいに決まっている。けれど、今の段階では、このキノコ以外に食べられそうなものなどこの辺りには存在しない。そしてそれは、仔犬を殺して食べるという少女の行動を肯定する事にもなってしまう。そうしなければ生きていく事さえ出来ないという、少女の躊躇いのない行動を肯定する事になってしまう。
私は。食べられるのか食べられないのかもわからないキノコを前にして途方に暮れていた。一体いつまでこんな日々を続けなければいけないんだ? この先も誰かの家に勝手に入り、物を漁り、食べ物を盗み、人間に殺されそうになり、……人間が殺されるのを目の当たりにし、それを止める事さえ出来ずに、生きていかなければならないのか。盗んだ物を食べながら。盗んだ物で生きながら。そんな薄汚れた生にしがみつく事に何の価値があるのだろうか。いや、違う。生きる事は尊いんだ。例えどんなに苦しくても、決して生きる事を諦めてはいけないんだ。それが罪の上にしか成り立たない生だとしても? …………
私は、食べられるのか食べられないのかもわからないキノコを右手に取った。もしかしたら毒かもしれない。でも毒ではないかもしれない。食べなければわからない。けれど食べてみればわかる。食べてみればいい。これが食べられるキノコだったら、私はこれ以上盗んだものを食べて生きていく必要はなくなるんだ。足下に擦り寄ってきた仔犬を殺して食べる必要もないんだ。私は口を開けて、手にしたキノコを噛み千切ろうと歯を立てる。
「それ、毒ですよ」
林の奥から、朽ち逝く木々が人の声を得たような、妙に渇いてひび割れた男の声が聞こえてきた。見れば、いわゆる作務衣の上に綿入れを着込んだ格好の男性が、落ち窪んだ黒い瞳で私の事を見つめていた。
「それ……毒ですよ。食べると酷い腹痛と吐き気を催し、数時間苦しんだ末に死んでしまいます。自殺したいのであったとしても、もう少し楽な死に方をされた方が……」
「……いえ……すいません、自殺志願者ではないんです。私は……その、あまりにお腹が空いてしまって……」
「分、一体何をしているのよ」
背後から聞こえてきた少女の声に、私は後ろを振り返った。見れば、厘が、少し怒ったような表情で私の方へと近付いてくる。
「厘……」
「何よその顔。アンタがあんまり遅いからわざわざ迎えに来てやったんじゃない。そろそろ先に行く……何よ、こいつ」
「り……厘、何て言い方をするんだ君は。すいません、私達は旅の者で……先を急ぐのでこれで失礼を……」
その時、私のお腹からグウウウウウウと盛大な音が響き渡った。まるで何かを訴えるように。私にはそれが、自分の腹の虫ながら実にわざとらしく聞こえて、あまりの事にこの場から消えたいような気持ちになった。
「お……お腹が空いているのですね……気が利かなくて申し訳ない。大したものはありませんが、よろしかったらうちに来ませんか?」
「えっ!? いや、そんな、お邪魔する訳には……」
「せっかく盛大に腹の虫が鳴ってくれたんだから遠慮なく利用しなさいよ。ねえ、私も一緒に行っていいかしら。まさかこの馬鹿一人だけっていう事はないわよね?」
「え、ええ……もちろん……どうぞ……」
男性は少し……いや明らかに困惑した表情を浮かべたが、心なしか項垂れるようにしながら林の中へと歩いていった。その姿と、頭を冒すような空腹感に、私はとても死にたくなった。




