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疚市(旧)  作者: 雪虫
19/36

3-6

 厘は、足を持ち上げ、男の腹を蹴り飛ばした。呻き声を上げた男の体を足だけで仰向けにし、今度は男の腹を上から何度も踏み付ける。


「死ね! 死ね! 死ね! 死ねッ!」


「うごッ! ごはっ! ゲボッ……」


「り……厘、止めろっ! それ以上やったら死んでしまう!」


「はあ? 殺す気でやってんのよ。別に死んでもいいじゃないの」


 そう言って、少女は足を持ち上げ、今度は男の顔を踏み付けた。何かが砕けるような音がした。このままでは……このままでは……また人を殺してしまう。


「厘、厘、止めろォッ!!」


 手を伸ばして厘に駆け寄ろうとした瞬間、私の目の前には何故か厘の背中があった。突然現れた厘の背中に混乱したが、そんな事は言ってはいられない。私はダッフルコートを着た少女を後ろから羽交い締めにする。


「アンタ……瞬間移動したの?」


「知らないよそんな事は! とにかく止めろ、止めるんだ! もう顎が砕けてしまっているじゃないか!」


「うう……あがが……ごうう……」


「…………ああ、そうね。顎砕けちゃってるわね。でももう病院なんてないし……殺してやった方がいっそ親切ってものじゃない?」


 ゾッ……とした。一体何なんだこの少女は。どうして、そんな、何の光も見当たらない、なのに妙にギラギラとしたような真っ黒なだけの瞳で人を殺すなんて言えるんだ。少女を止める腕さえ、震えて離れそうになったが、離す訳にはいかない。これ以上人が死ぬ事を許してしまう訳にはいかない。


「……っ、治療なら、私がする。元に戻るかはわからないけど……出来る限りの手当てはする。だからもうこんな事をするのは止めてくれ。君も、もう、人を殺すな。残りの時間を罪を償うために使ってくれ」


「…………」


 沈黙が降りた。一体どうすればいいのかわからず、私も口を閉じるしかなかった。けれど諦めるつもりは微塵もなかった。尽くすんだ。二人を止められるように、必死で言葉を尽くすんだ。厘は話にもならないなんて言っていたけれど、そんな事はない。私達は人間なんだ。最初はいがみ合っていたとしても、きちんと言葉を尽くしさえすれば、いつか、絶対にわかり合える……


「ははは」


 私の思考を遮ったのは、私に羽交い締めにされている、少女の、笑い声だった。少女は黒い髪を揺らし、真っ黒な髪の隙間から真っ黒な瞳で私の顔を覗き込む。


「アンタ……ふっ、ふふふ……何て言えばいいのかしら……ふ、ふふふ……あははは……」


「な……何を……笑っているんだ……」


「ははは……いや、アンタに掛ける言葉が見つからないだけよ。まあでも、これだけはあえて言ってあげるわ。こいつに罪を償うための残りの時間はもうないわよ。だってこいつ、




もう死ぬもの」


 その時、男が「ぐ……グエエエエ……」と悲鳴を上げながら何かを吐いた。タールのように黒い何か。それと同時に男の指が、唇が、目が、徐々に黒く染まっていく。


「な……何だこれは……!?」


「知らないわよ。ただ、どうもこの疚っていうヤツは、感染したヤツが行動不能になると侵食が早まってしまうらしいの。ま、つまり死ぬって事なんだけど。


 だから気を付けてね。アンタも足の一本か二本骨折した程度で、多分死ぬって事だから」


「ガ……何だよごれ……ゲボッ……ガッ、ギャ、ギャアアアアアッ!」


 男は、自分を見下してきた人間を思いのままに殺した男は、黒い血を吐き出しながら床の上を転げ回った。そこにいたのは人殺しではない、今まさに死んでいく途中の、ただのちっぽけな人間だった。


「あが……あが……何で、はんで、はんで」


「アンタ、死ぬのよ」


「…………は?」


「アンタ、死ぬのよ。疚って知ってる? アンタの能力は疚によるものなの。それが原因でアンタ、死ぬのよ」


 厘の言葉に、男は大きく目を見開いた。そんな男の全てを塗り潰していくように、男の肌の上を重く黒が侵食していく。


「ぎ……聞いでねえぞ……ぞんな……ぞんな……」


「アンタねえ、大事な事は全部誰かが教えてくれるとでも思ってんの? アンタが聞いていようとなかろうと、アンタは今、ここで死ぬのよ」


「…………! い、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だいやだ! 助げでぐれよ、助げでぐれよ、頼むがら俺を助げでぐれよッ!」


「無理よ。それに嫌よ。アンタを助ける方法なんて知らないし、例え知っていたとしても激しく気分が乗らないわ」


「ぞん……グボッ、ゴハッ! ゲェエエ、ゲェエエ、ゲェエエエエッ!」


 男はさらに口から黒い塊を吐き出し、厘、の後ろの私を見つめた。口から黒い血を流し、目から黒い涙を流し、必死に手を伸ばそうとする。


「だ……だああんだ……助げでぐれ、助げでぐれ、悪がっだ、助げでぐれ、だずげで……」


「アンタ、自分に命乞いをしたヤツを助けたりした? 可哀想だって助けてあげた? 自分が死にそうな時だけ命乞いして他人に助けてもらおうなんて、虫が良すぎるとは思わない?」


 厘は、そう言って足を持ち上げ、男の頭を踏み付けた。男の顔面は床にめり込み、そして、二度と、動かなかった。腕から力が抜け、私は厘から腕を離し、その場に力なく尻から落ちた。また、人が死んだ。助けてくれと腕を伸ばしてきた人間が、もう二度と動く事のない物体へと変わってしまった。


「ああ、無駄足踏んだわ。さあ行くわよ。早く疚売りを探さなきゃ……」


「何で……何でまた殺したんだ! どうして!」


「さっき言ったでしょう。疚は感染者が行動不能になった時点で進行が早まるんだって。まあ、こいつの足首刺した時点かふくらはぎ割いた時点かは知らないけれど」


「そん……な……だ、だったら、疚が進行しない程度に……」


「何? 適当な疚人を捕まえて、どれだけ痛めつけたら死ぬのか実験でもしろっての?」


 厘の言葉に、私は両手の指に針を撃ち込まれたような怖気を感じた。黒い瞳の少女は、残酷な言葉を吐きながら何も変わらぬ表情で私の前に立っている。


「何を……何を言っているんだ! そんな事、していいはずがないだろうっ!」


「そんな事をしなければ、疚が進行しない程度に痛めつけるにはどの程度まですればいいのかなんてわからないわよ」


「…………!」


「自分が出来ない事を、しようともしない事を他人に要求するんじゃないわよ。そんなにやりたいならアンタがすればいい事じゃない」


 厘は、そう言った。まるで「当たり前」とでも言うかのように。……違う。違う。そういう事じゃない。そういう結論を望んでいる訳じゃない。何かが違う。違うんだ。私が望んでいるのはそういう結末なんかじゃない。


「違う……そうだ、そもそも攻撃しなければいいじゃないか! 攻撃しなければ疚が進行する事もない! 話し合えばいい! 人間なんだ! 話し合えばきっとわかり合える……」


「アンタ、私が後ろから声を掛けなければ、こいつに殺されていたって事を忘れたの?」


「…………え?」


「玄関で待っていろって言ったのに、何故か三階から声がしたから窓をよじ登ってこの教室までわざわざ来てやったんじゃない。そうしたらこの男がアンタに掴み掛かろうとしていたのよ。私がそのまま放っておいたら……今頃アンタこうなっていたのよ?」


 そう言って、厘は足下の人間の残骸を踏み付けた。眩暈がする。吐き気がする。寒気がする。意識が遠退く。どうして? どうして私はこんな場所に立っていなければいけないんだ?


「話せばわかる、わかり合える、言葉だけはご立派よ。でもね、わかり合うっていう事は『分かち合う』っていう事よ。『分かち合おうという意思が互いになければ成立しない』。自分を殺す気満々のヤツが、命乞いをする人間を笑いながら殺すような人殺しが、他人を殺すなという考えを分かち合うとでも思っているの?」


「…………」


「マンガや映画のヒーローだって、悪を倒すのにはまずは戦闘不能になるまで敵をボコボコにしてるじゃないの。話し合えばわかり合える? 争いは無くなる? 平和な世界が作れる? 馬鹿言ってんじゃないわよ。そういうのは力で敵をねじ伏せ、打ち負かし、戦闘不能に追い込んで始めて成り立つ事なのよ。何の力もない無力な弱者が泣き喚いた程度で争いが無くなると言うのなら、貧困も戦争もとっくの昔になくなってたわよ。もっとも、戦争に関して言えば、戦争を起こす人間自体が死滅したから今ではもう無いけどね」


「…………」


「わかったらとっとと行くわよ。ただでさえ時間を無駄にしたのに、これ以上無駄にしたくはないわ」


 言い捨てて、厘は床から視線を逸らし、入り口に歩いて行こうとする。涙が出る。鼻水が出る。苦しい。どうして。どうして。どうして。どうして。


「ま……待って……くれよ」


「……今度は何よ」


「この人を……弔わないと……」


「はあ? 何で」


「例え人殺しだって……死んでしまえば皆平等な人間だ……ちゃんと弔ってあげないと……」


「何を今更。アンタの家族とやらを殺した疚人も、一昨日のヤツも、この町の住人も、弔いもせずにそのまま放置してきたじゃない。今更『一体』土に埋める事に何の意味があるって言うのよ」


「…………!」


 どうして。


 どうして、そんな事を言うんだ。どうしてそんな事も許されないんだ。どうしてこんな事をして生きていかなくちゃいけないんだ。死んだ人の家から盗んだ食糧で食い繋いで、人を殺して、弔う事さえろくに出来ず。どうして。何だここは。一体私は何処にいるんだ。どうして。どうして。どうして。どうして。


「ほら、早く立ってよ。時間がないって言ってんでしょ。私達が生き延びるためには早く疚売りを探さなくちゃいけないんだから」


「……私は!」


 逃げたい、そう思った瞬間、厘の姿はそこにはなかった。座り込む私の目の前には、使う者がいなくなった朽ち逝くだけの建物があった。


 その三階の窓の一つから、真っ黒な影が顔を出した。影は私を見て、口を開け、座り込む私の姿を笑う。


「ハハハ! アンタの能力、便利でいいわね。アンタを引きずっていく手間が省けて助かったわ。今からそっちに行くから動かないでよ!」


 厘は、そう言い残して窓の向こうへと姿を消した。私は泣いた。涙も、鼻水も、唾液も全て垂れ流して、声の限りに泣いた。


 しかしどんなに泣いても、現実は、私の前から、流れていってはくれなかった。




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