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疚市(旧)  作者: 雪虫
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2-4

「それで、行くの? 行かないの?」


 少女の言葉に、私はテーブルの上に落としていた視線を持ち上げた。あの後五分ぐらい泣きじゃくり、「いい加減泣いてんじゃないわよ」と頭を叩かれようやく私は泣くのを止めた。五分待っていてくれた事に、思う所がないわけでもなかったが、……それを、セイジョウのダッフルコートを着ている少女の背中に、告げる気になどなれなかった。


「……行くよ」


「…………」


「君の言うとおり、私は……使父は、自分で命を絶つ事は出来ない。それは、この世に生きるチャンスを下さった神に対しての冒涜だから……それに、君と出会ったのは、神の思し召しかもしれない。みんなを救う事が出来なかった私の、贖罪のために神が君をここに導いたのかも知れない……」


「反吐が出るような言い様ね。アンタ、私が糸で操られるマリオネットだとでも言いたいの?」


「ど、どうしてそういう解釈になるんだ!?」


「だって運命って、『アンタは所詮糸に操られる意思のない人形にしか過ぎません』って意味でしょう?」


「な……んでそういう悪辣な解釈をするのかな……違うよ。そういう意味じゃなくて……」


「ああ……はいはい、わかったわかった。つまりアンタは生きる事も私と行動する事も全部『神』なんつー居るかどうかもわからない存在にこじつけようって言ってんのね」


「こ……こじ……君……なあ、いくらなんでも、神の存在を否定するのは……」


「言葉が過ぎたわ。神がいないとは思っていない。ただし、『人間を救う神がいるとは微塵も思ってない』けどね」


「……え?」

 

 少女の言葉は、私にはよく聞こえなかった。一応聞き返そうかと思ったが、その前に少女の言葉が私の言葉を遮った。


「まあ、いいわ。とにかくとっとと出発するわよ。もう未練はないでしょう?」


「ま、待ってくれ。そんな、まだ、心の準備が……」


「…………」


「…………」


「……まあ、いいわ。昼までなら待ってあげる。昨日みたいにいかにも頭回ってませんって顔されても迷惑だしね」


「……あ、そう言えば私は、一体何時の間に寝ていたんだ? 確か君について二階に上がって、……?」


「無理に思い出さなくていいんじゃないの? わざわざ思い出さなきゃいけないような事なんて、多分大した事はないのよ。二階はもう用はないでしょ? アンタの部屋から適当な服ぐらい見繕ってあげるから、それ以外にやりたい事をやっとけば?」


「あ、ああ。……ありがとう……」


 少女の言葉に、私は素直に頷いた。私を気遣ったというよりも、むしろ私にこれ以上時間を掛けたくないといった雰囲気が漂っていたが、どんな理由にしろ自由に使える時間が増えるというのはありがたい。教会……にはさすがにもう入る気はしないから、時間は『みんな』と過ごすために使う事にした。


 私は申し訳程度の朝食を終え、皿を洗った。少女が「もう誰も住みやしないのに」と文句を言ったが、自然に荒れ果てていくのと、蝿が集るような状態を残していくのとは話が違う。リビングに飾ってあった写真を写真立てから外して懐に仕舞い、それ以外は……置いていこう。みんなとの思い出はたくさんあるが、全部は持っていけないし、探していたらそれだけで離れ難さが募ってしまい、ここから旅立つ事さえ出来なくなってしまいそうだ。全部終わったら、必ずここに戻ってこよう。他の思い出を振り返るのは、その時でいい。来るのであればその時でいい。


 少女に声を掛けられるまでは『みんな』の傍にいるつもりで、私は思い出の詰まった家に対しても別れを告げた。それから、昨日みんなを埋めた所まで歩いていって、『みんな』の前にしゃがみ込む。花壇の花でも手向けようかと思ったが、切られて萎れていく花よりも、ずっと咲いている花の方がみんな寂しくないだろうと思って、結局手ぶらのままに『みんな』の前に腰を下ろす。


「えっと……私は、ここを離れる事になったよ。あの子の……厘の言う事が本当なら、私はあと一年の命らしいんだ……うん、意味わからないよな……」

 

 言いながら、自分が何を言っているのかもよくわからなくなってしまった。いやそもそも、自分が何故ここにいるのか、よくわからなくなってきた。それでも、後になって『後悔』したくないから、思い付くままに言葉を並べる。


「みんな……こんな私の傍に、ずっと居てくれてありがとう……家族で居てくれてありがとう……守ってやれなくて……う…………うぐ……守って……まもって……やれなくて…………」


 胸が詰まって、それ以上言葉が出なかった。鼻が詰まって、胸が痙攣したように忙しなく動いて、息を吸う事さえままならなかった。どれぐらいそうしていただろう。肩を小突かれ、私は何時の間にか膝に埋めていた顔を上げた。背後には少女が、黒いダッフルコートを着た少女が、足下にリュックサックを二つ置き、太陽の光に背を向けて私の背後に立っていた。


「気は済んだ? 済んでないと言われてもこれ以上待つ気は微塵もないけど」


「……ああ、行く、行くよ。行くよ。行く。行くよ。行く。……何処へでも」


 立ち上がった私の前に、少女が黒いダッフルコートを差し出した。驚いて顔を上げると、太陽に背を向ける少女は忌々しそうに顔を歪める。


「必要ないなんて言わないでよ? アンタのために一応探してあげたんだから。寝袋なんて便利なものはないし、野宿して当たり前になるからね。ちょっとガキっぽいけど、丈夫だし、下手な防寒具着るよりよっぽど夜でも暖が取れる……」


「あ、ありがとう。何処で見つけてきたんだい?」


「……いちいち言わなきゃいけないの?」


「いや、もうこの辺の店でダッフルコートなんて取り扱ってはいないだろう? 君の着ている物も昨日より随分キレイだし、何処で調達してきたのかなって」


 少女は、少し驚いた顔をして、眉を顰めて私を見つめた。どうすればいいのかわからずしばし見つめ返していたのだが、少女は一層、顔を顰めて私の事をじっと見ている。


「アンタ、私が昨日言った事は覚えてるわよね」


「私と君は『疚』というものに罹っていて、君はあと半年の命、私はあと一年の命。その解決策を探すために、疚売りを探しに行く……」


「アンタも来るのはわかってるわよね」


「うん。だからこうして、みんなとのお別れの時間をわざわざ用意してくれたんだろう?」


「……ああ、それだけわかっていれば十分だわ。じゃあさっさと行くわよ」


「……うん」


 私は最後にみんなを振り返って、最後に「ありがとう」とそう言って、少女が渡してくれたダッフルコートに腕を通してボタンを閉めた。前に、みんなで買った中古のダッフルコートに似ている気がしたが……ダッフルコートなんてどれも似ているし。


 きっと、そうに違いない。


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