Order04.アールグレイ・ハウンド
ここはシカゴ郊外、三番地倉庫。アールグレイはシノ・フェイロンに、戒斗は『マスター』ことギルベルトに肩を借りつつ、満身創痍の二人は倉庫を出た。戦闘時こそコンバット・ハイからか普通に動けていた二人であったが、いざ緊張の糸が解けてしまうと、やはり多大に蓄積していた疲労とダメージがドッと噴き出し、こうして肩を借りねば歩くのもままならない程である。倉庫に放置してきた死体の処理が気になるところではあったが、その辺は『なんでも屋』に任せるとしよう。
倉庫の外にはアールグレイのモノと思しき黒いアウディ・A6と、蒼穹の如く蒼いボディーカラーに裸電球の淡い光を反射する、リサの愛車であるマクラーレン・MP4-12C。そして、戒斗のアメリカンなマッスルカー、深い赤のボディに黒いセンターラインが二本走った、第五世代型シボレー・カマロZL1が駐車されていた。その三台の内、アウディの助手席側ドアが開いたかと思えば、中から姿を現したのは――
「ぐ、グレイっ!」
「どわっ!? シエラ、なんでここに!?」
『ウェッソン鉄砲店』で戒斗とも面識があったシエラ・ウェッソンが、傷だらけのアールグレイの胸へと飛び込むように抱き着いていた。この場に彼女が居ることも十二分に驚くべき想定外の事態だったが、それよりも……
「なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」
肩を借りる『マスター』へ、他に聞こえない程度の小声で耳打ちすると、彼は「お察しください」と老成した温和な笑みでそう返した。
と、いうことはつまりだ。あの”死の芳香”アールグレイ・ハウンド様とシエラ・ウェッソンはそういう関係だった……? それなら、相当の修羅場を潜り抜けてきた筈のアールグレイ・ハウンドがあの時無抵抗でむざむざ捕らえられたのも納得がいく。ウェッソン鉄砲店の中に居た彼女を庇ったのだ。要は。成程合点がいった。
「マスターがあたしを連れて来てくれたの。最初に狙われるかもしれないのはあたしかもしれないから、って」
「アンタ……ったく、余計な気を遣わせちまったようだな」
「いえ、お気になさらず。私としてはお二人が幸せになってくれるのが一番ですから」
「そりゃどうも」
そう言ったアールグレイの顔は、どこか照れくさそうだった。シノ・フェイロンから組んでいたアールグレイの肩を渡されるシエラの表情は、嬉しさと少しの恥じらいと共に、やはり安堵の気持ちが強く垣間見える。やはり辛いものなのだろうか。鉄火場で命を張る男を待つ女の立場というものは。ふと思い戒斗が横目で琴音をチラリと見ると、彼女はどこか疲れたような、それでいて清々しい表情をしている。
「シエラ。気持ちは嬉しいが……俺は、お前をこんな危険な目に遭わせたかねぇ。今後はこういう事は止してくれ。シエラの身に何かあったら俺は……今度こそ、俺が俺で居られなくなっちまう」
「ご、ごめんグレイ。でもつい心配で……」
今度こそ。彼は確かにそう言った。アールグレイの一言にどこか引っかかりを感じていたのは戒斗だけでは無かったようで、リサも視線で戒斗に目配せをしてくる。しかしまあ、このいい感じな雰囲気でソレを訊いてしまうのはナンセンスであろう。敢えて掘り返すことなく、二人はただ無言で頷き合うだけだった。
「シノ。私たちも是非抱き合いたい」
「……止せ、止せ。止してくれヘルガ。俺が恥ずかしくて死ぬ」
人目を憚らずイチャつくアールグレイとシエラを眺め、かたや淡白ながらも中々にお熱いやり取りを交わすシノ・フェイロンとヘルガ・サンドリア。
「い、いいなぁ……。私も恋人とああいう事したいなぁ……」
かたや、夢遊病患者のように空を見上げ、うわ言のように呟くソフィア・エヴァンス。そして……
「わ、私だって、か……って何言わせんのよ!」
「ふぬぁッ!? おいゴルァ琴音ェ!! 仮にも怪我人の俺になんてことしやがるッ!!」
ソフィアと似たような反応をしたかと思えば突然取り乱し、戒斗を叩き飛ばす琴音と、割とマジで痛がる戒斗。
「ほっほっほ。若さ、というモノは、やはり見ていて良いものでありますのぅ」
「全く、ね。そいじゃあお二人さんとその他大勢、帰るとしますか」
ほっこりとした笑みを浮かべる『マスター』と、呆れたような表情で言うリサ。先に歩く連中の後を追い、彼らも各々の車に乗り込む。
「すまねぇが遥、カマロ回してくれ。どうやら今の俺じゃあ、このじゃじゃ馬小僧は御せそうにねぇわ」
「御意。どのみち行きも私が運転しました。問題はありません……部屋にあったキーで、無断借用に等しいですが」
カマロZL1の助手席に苦労して乗りつつ、戒斗は隣の運転席に座った遥に言う。「構わねぇよ。それよりあの嬢ちゃんのとこに置いてきちまったコルベットはどうした?」
「既に回収済み。駐車場に停めてあります」
「上出来だ。助かるぜ。それじゃ頼むわ」
エンジン始動。前方ボンネット下に鎮座するスーパーチャージャー付き、6.2Lの大排気量を誇るV型八気筒LSAエンジンが、まるで戒斗の生還を祝福するかの如く鼓動を刻む。そしてサイドブレーキを降ろし、クラッチを繋ぎつつシフトを一速へ。アウディにMP4-12C。そしてカマロZL1の三台は列を成し、マフラーから奏で出すエンジン三台分の三重奏を轟かせ、夜明け前のシカゴの街へと繰り出した。ここに、『戦部傭兵事務所』そして『なんでも屋アールグレイ』の奇妙な共同戦線に、終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
一応怪我人である戒斗とアールグレイの二人はすぐに、聖フィリア総合病院とかいう医療施設へと運び込まれた。『なんでも屋』が知り合いで、事前に連絡していたのか、異常なまでのスムーズさで彼ら二人は診察室へと通される。
二人は揃って『この程度は掠り傷以下だ』と主張したが、シエラと琴音の、半ば脅しに近い命令によって、結局強制的に治療を受けさせられることになる。
「あら、こうして運ばれるのは二回目かしら? グレイ」
「不本意ながら、なんだけどな。シエラが行け行けうるさくてよ」
予想通り、診察室の中に居た『アンジュ』という名の女医はアールグレイの知り合いだったようだ。当然のような顔で彼の打撲やらを診ている辺り、彼の稼業の内容を知っているのであろう。
「ハッ、オッサンには丁度良いだろうよ。年老いた身体に気遣ってくれるなんてなぁ、良い女じゃねえの。泣けちゃうねぇホント」
「だからオッサンじゃねえって何度言えば分かんだよ後輩君。いくら君でも俺怒っちゃうよ?」
最早恒例となった戒斗の茶化しと、反応するアールグレイ。
「いいぜ。この際だ。有耶無耶のままだった決着、ケリを付けてやろうじゃねえの」
何故か寝かせられていた二人は身を起こし、結構アレな形相で今にも取っ掴み合いそうなまでの距離で睨み合う。
「ふふ、二人とも喧嘩両成敗」
「あだっ!?」
「ふぬァ――ッ!?」
アンジュとかいう女医に背中を思いくそ叩かれ、悶絶する二人。なんだこの怪力……女の力じゃねえ……ッ!
うふふふ、と笑う彼女は表情こそにこやかだったが、その眼鏡のレンズの向こうに覗く瞳は威圧感丸出し。畏怖すら覚える。
「な、何しやがんだ、この女狐……!」
「あら? そんな名前で呼ばないで欲しいわぁ。私にはアンジュ・フェルメールってきちんとした名前があるのに……。お姉さん悲しいわぁ」
戒斗も戒斗で、悶絶しつつアンジュ・フェルメールとか言う女医を睨み付けるものの、彼女が臆するはずもなく。眼の死んだ笑顔のまま、彼女は治療室の棚から消毒薬と包帯を取り出した。
一方のアールグレイは叩かれた痛みに未だ悶絶し、地鳴りのような呻き声を延々上げている。耳元で聞かされる戒斗にとっては騒音公害でしかない。なんだお前は。怪獣か何かか。
「グレイー? このままだと本当にオジサン認定されちゃうわよぉ?」
「だ、れ、が、っ! オジサンじゃぁぁぁゴルァァァァァァ!! シエラとまだ一線超えてねえんだよぉぉぉぉぉ!! 初心な男の子のままなんだよぉぉぉぉ!! チックショォォォォォォォ!!!!」
全身全霊、全力全開の魂の叫び声を上げ立ち上がるアールグレイ・ハウンド……もとい、阿呆のオッサンを聞き流しつつ、アンジュは淡々と戒斗に治療を施していく。湿布やら軟膏やらガーゼ、それと包帯を巻かれつつ、戒斗は呆れたように呟く。「墓穴掘るどころか貫通させてんじゃねえか。シールド掘削機か何か? その上とんでもねえ事口走りやがったぞ、青函トンネルジジイ。アホだ。やっぱりただのアホだわあのオッサン」
「ふふ、かわいいわね」
相変わらずのにこやかな笑みでそう言うと、アンジュは処置が終わったことを戒斗に告げる。彼は立ち上がり、上着を羽織ると「助かる。おいオッサン、先に出て待ってるぞ」と一言告げてからドアへ向かい歩き出す。「お……おう……時間掛かるかもしれねーから、頼むわ……」とアールグレイ。
「あいよ」
後ろ手に振って応えた傍から「痛ぇっ」とかいう声が聞こえるが、聞かなかったことにしておいた。
「終わったか。調子はどうだい?」
診察室から出ると、すぐ傍の長椅子にリサが腰掛けていた。彼女のすぐ隣の壁にもたれ掛かると戒斗は「ぼちぼちだな」と返す。
「そういえば、琴音はどうした?」
リサ以外の姿が見えないことに気付き、戒斗は問う。「もう遅いからな。ソフィアちゃん達も帰ったし、ハルカに先にホテルまで送らせた。帰りは私のマクラーレンさね」とリサ。
「マクラーレンのMP4-12Cか」
「いいだろ。結構高かったんだぜ、アレ」
「楽しみにさせて貰おう」
そして、一時の沈黙。それを破り、リサは思い出したように一束の書類が入ったクリアファイルを戒斗に手渡す。
「なんだ、突然」
「ま、色々と調べることもあってな――吸うかい?」
そう言ってリサは胸ポケットから紙巻き煙草を一枚差し出すが、彼はそれを手で制す。「俺は吸わねえ主義だ。それに――病院は、禁煙だろ?」
「ちっ、連れないねぇ……ここじゃなんだ。外で話すとしようぜ」
ファイルを手にしたまま、戒斗はリサに続いて病院の外へ。吹き付ける風はどこか冷たく、東の空は少しだけだが薄明るくなってきている。夜明けが近かった。
紫煙を燻らせるリサの隣の壁面にもたれ掛かり、改めてファイルの中身に目を通す戒斗。
「――グレイ・バレット」
視線は向けずに、リサは呟く。丁度戒斗が、書類の一枚目にクリップで挟まれた写真へと視線を移した時だった。「コイツ……アールグレイ・ハウンドじゃねえか」戒斗は驚愕の表情で呟く。
「グレイ・バレット。奴の本名だ。『対テロ特殊部隊”ハウンド”』――名前ぐらい、聞いたことがあるだろ」
「ああ。かといって名前ぐらいなもんだがな……」
資料のページを繰る度、戒斗の表情に段々と陰が濃くなる。孤児である事実。士官学校卒の後、米陸軍入隊。そして培った人間関係と、そして転機となった引き抜き。『対テロ特殊部隊”ハウンド”』創設と、過去の作戦。そして――
「ラインハルト・フリューゲル……」
書類に添付されていた、アールグレイ以外のもう一枚の写真。切れのいい目と整った顔立ちの金髪男の写真を眺め、戒斗は呟く。
「”ハウンド”もう一人の生き残りにして、国家反逆罪やらその他諸々が適用されて絶賛逃亡中の、国際指名手配犯さね」
リサが言う。これでようやく、戒斗の中で合点が行った。パズルの欠けていたピースが揃った感覚。まさにそれだった。『アールグレイ・ハウンド』の表面に浮かぶフランクな印象と、その裏に隠れた、煉獄の炎のような感情――『グレイ・バレット』。彼の奥に潜む何かが、出会った当初から気になっていた戒斗だったが、これなら納得が出来る。二律背反する二人の『グレイ』。それが彼であり、『グレイ・バレット』、そして『アールグレイ・ハウンド』なのであろう。
「結局――結局奴も、復讐という十字架に囚われてるってことか……」
俺と、同じで――言いかけた戒斗は拳を握り締め、書類を全てファイルの中に戻し、リサへと返した。「なんだ、要らねぇのかい?」と意外そうなリサだが、戒斗はそれを無言で突き返す。
「俺は俺の、奴には奴の。それぞれの『復讐』がある……俺が、どうこう言う筋合いはどこにも無いさ」
ひとりごち、戒斗は歩き出す。「帰るのかい?」と問うリサに、戒斗は振り向かず答えた。
「――今は、さっさと一眠りしたい気分でな」
太陽は、既に昇っていた。