Order01. 死の芳香
「――なぁ琴音、”死の芳香”って知ってるか?」
「はぁ?」
アメリカへと向かう双発のターボファン・エンジンのジェット旅客機B-767の中、文庫本に目を走らせているボサボサに吹っ飛んだ黒髪の傭兵、戦部 戒斗は隣のシートに座っていたポニーテールの相棒こと折鶴 琴音にそう、唐突に言った。
「私が知ってるとでも思う?」
「だろうな」
相変わらず本を読み続ける戒斗の意味深な一言が気になったのか、琴音は読んでいた自分の文庫本から目を離し振り向くと、若干不機嫌気味に問いかける。「で、そのなんとかかんとかってのが何なのよ?」
「んぁ。ちょっと思い出しただけさね。ロスに居た時何度か聞いたことがあるってだけさ」
「有名なの?」
「ああ。”裏”で、だけどな。仕事内容は俺達”傭兵”と似たようなもんだ。シカゴにあると噂される”なんでも屋アールグレイ”。完全秘密厳守、匿名での依頼も勿論オーケィ。赤ん坊の子守りから殺しまで。そのなんでも屋を営んでるのが、”白鞘”とかいうヤローと、さっき言った”死の芳香”さね」
「へぇー」
戒斗は文庫本をパタン、と閉じると、溜息を吐きつつ、頭痛でも抑えるかのように頭を上げ眼を覆った。琴音が「ん? どうしたの戒斗?」と問うと、彼は振り向いて、至極面倒そうな表情で言う。
「仕事だよ。仕事。今夜のな」
「ああ……そういう」
戒斗が憂鬱になるのも仕方がない、と琴音はどこか納得した。今回の依頼は『とある筋』――つまりロス時代の知り合いから緊急で、と本日昼前に突如舞い込んだ依頼だったのだ。お陰で休日返上でアメリカ行き。正直勘弁してほしかったが、そうもいかない立て込んだ事情だからこそ、こうして飛行機に揺られているわけだが。
「戒斗の昔の連れがちょっとやらかして、あっちのギャングに目を付けられたんだっけ?」
「ああそうだ。補足すると、ソイツは俺の紹介と、依頼料の半分を負担するって形で事態を収めた。それで俺の出番。ったく面倒くせぇ……」
「で、仕事内容は? 私あんまり聞いてないけど」
「簡単な話さ。抗争のお手伝い」
「はい!?」
ひっくり返りそうな勢いでシートの背もたれに吸い寄せられ、琴音は驚いた。まあそういう反応が普通だわな。戒斗は溜息を吐きつつそう思う。
「依頼主様が目の仇にしてる連中の取引現場を襲うから手伝えだとよ」
「……それなら戒斗を雇う必要、ないんじゃないの?」
琴音の疑問も至極最もであろう。ギャング同士の抗争なら、身内同士で片づけるのが筋ってもんで、部外者たる戒斗を突っ込ませるなど組織にとって恥でしかない。ああ至極当然だ。そうであって欲しかったと戒斗は今更になって嫌になってくる。
「向こうも良い腕の部外者を雇ったって話だ。だからこそ、俺が要るんだろう」
「それが、さっき言ってた”死の芳香”?」
「いや知らん。奴らの本拠地はシカゴだって話だが……そうでないことを祈るよ。で、だ」
「何?」
何食わぬ顔で隣のシートに座っている琴音に、戒斗は呆れたような口調で言う。
「なんでお前が着いて来てるんだ」
「いいじゃないの別に。来るなとは一言も言ってないでしょ?」
「あのなあ……」
単独ならまだ良かったのだが。琴音も着いて行くと言いだしたのだからどうしようもなかった。結局勢いに負ける形で、こうして戒斗は琴音を連れているわけだが。半分喧嘩になりかけた、その時に彼女が言った一言に戒斗は負けたのだが。
『……もう、私だけ置き去りにしないでよ。あの時みたいに』
そんな妙に憂いだ表情でそのことを言われると、戒斗にはぐうの音も出ない――彼女の言う『あの時』とは、少し前、戒斗のロス時代の知り合いだったロス市警刑事、『エミリア・マクガイヤー』にあらぬ罪を被せられ、凶悪逃亡犯とされてしまった時のこと。その時は緊急時ということもあり、止む無く琴音を放って逃げざるを得なかったのだが……どうやらそのことが、何故だか知らないが彼女にとって相当キテいるらしいのは、表情を見れば明らかだ。
「ハァ……本来俺の最優先事項はお前の護衛でもある訳だし……まあ、構いやしないんだけどな」
そして時間は流れ、約十時間のフライトを終えた戒斗達はアメリカ・シカゴ国際空港に到着していた。途中すれ違った、刀袋のような妙に長いモノを担いだ長身の銀髪の男が妙に気になりつつも、荷物と、傭兵の資格を使って無理矢理持ち込んだ、シグ・ザウエルP220自動拳銃――の、日本・ミネベア社(旧社名:新中央工業)の自衛隊向けライセンス生産品であるミネベア・シグを初めとした銃器類を受け取った。
国際空港の外に出て適当にタクシーを拾い、予約してあった観光ホテルへ。軽いチェックインを済ませ部屋の鍵を受け取ると、戒斗はその部屋へと向かい荷物を投げ込む。すると彼は即座にベッドへゴー。眠りに入ってしまった。
「え!? ちょっと戒斗、もう寝るわけ!?」
戒斗の唐突にして意味不明な行動に、琴音は驚きそう言う。だが知ったことか、俺は眠いんだ……戒斗の意識は、数分で闇の深淵へと堕ちていった。
そして観光などを適当に楽しみ、数日が経過。嫌なことを待つ間は何故か時間の流れが速く感じると人は言うが、まさにその通りだ、と戒斗は身を以て実感している最中だった。只今現地時間午後九時ちょっと過ぎ。夜中ってただでさえ面倒な時間帯の仕事なのに、依頼主様は正直言って関わりたくないような、それこそ依頼料抜きで皆殺しにした方が後腐れなさそうな連中ときたもんで。こんなに憂鬱な仕事は、もしかしたら彼にとって初めてかもしれない。
琴音を連れ部屋から出、ホテルから程近い場所に位置する駐車場に駐車されている、二台の車。その内一台、深い赤のボディに黒いセンターラインの走った車へと戒斗は近付くと、キーロックを解除した。琴音の背負ったガンケースをトランクに放り込むと運転席に乗り込む。第五世代型シボレー・カマロZL1。それがこの、赤色の如何にもアメリカン然としたマッスルカーの名だった。アメリカに一旦帰るからと父である戦部 鉄雄に言って運んでおいて貰っておいた、ロサンゼルス時代の戒斗の愛車である一台だったのだが……見るからに整備が行き届いている。戒斗不在の間も、鉄雄が整備を欠かさずに行ってくれておいたのだろう。
「それで琴音、装備は結局何にした?」
シートベルトを締めつつ、隣の助手席に座った琴音に戒斗は問う。
「ん? ああ。ええと確か……いつも通りのPx4と、結構狭いとこだって、それと近接戦闘もあり得るからって言ってたから戒斗の417借りたわよ」
彼女の選択に間違いはないと、改めて戒斗は琴音の師匠でもある、今はロスに戻った旧友リサ・フォリア・シャルティラールの手腕に感心した。幾ら元々の才覚があったといえ、あの短期間でここまでの狙撃手に仕立て上げるとは。
エンジン始動。ボンネット下に鎮座するスーパーチャージャー付き、6.2Lの大排気量を誇るV型八気筒LSAエンジンが躍動する。この振動も久々で、心地がいい。まるでカマロが、戒斗の帰還を歓迎しているかのようだった。水温が十分温まるまで暖気し、数分の間待つ。
「久しぶりね。二人だけでこなす依頼って」
「そういや遥の奴、私用で今アメリカに居るって話だが……どこに居るのやら。まあ何にせよ、久しぶりだな」
水温計で十分温まったことを確認し、戒斗は本革のフィンガーレス・グローブの嵌った手でシフトノブを操作。ギアを一速にシフトし、アクセルを踏む。駐車場を出て、戒斗のシボレー・カマロZL1は走り出した。夜の静寂に包まれたシカゴという異郷の地に、マフラーから奏でられるV8エンジンの咆哮を叫ばせて。
カマロを適当なところに停め、指定された場所へと赴く二人。そこにはやはり予想通りというかなんというか。黒いバンが数台と、”いかにも”と言った感じのギャング達が数十人。その間を割って入り、依頼主の所へと戒斗は向かう。
「時間ピッタリだな。”黒の執行者”」
「そりゃどうも」
依頼主から段取りの概要を聞いた後、適当にプランを練ると戒斗は「そいじゃあ、そういうことで」とだけ告げ、集団から離れていった。
「で、どんな感じなの?」
琴音が問うと、戒斗は先程までの営業スマイルじみた薄い笑いを崩し、至極面倒そうに言った。「くだらねえ。実にくだらねえ」
「いやだから、どんな内容なのって」
「んああ。簡単な話さ。十分後、奴らが先に突っ込む。危なくなったら呼ぶからその時は敵を皆殺しに。それだけ」
「それだけ?」
「それだけ。お前は後方の適当な位置で狙撃支援。すぐに逃げれる位置に陣取っとけ」
そう言って戒斗はいつも通りの無線機とインカムを琴音に手渡すと、裾の長いロングコートを翻し、どこかに立ち去ってしまった。
きっかり十分後、ギャング達は各々の小火器を持って倉庫へと突っ込んでいった。すぐに聞こえる幾多もの発砲音と怒声、そして断末魔。
「このままアイツらが片付けてくれりゃ、楽なんだがな……」
組織所有の黒いバンにもたれ掛かって腕を組む戒斗は、やはり至極面倒そうにそう呟いた。しかし都合よく行かないのが現実というモノで。
「――おい! 奴を呼べ!」
すぐにお呼びがかかった。戒斗は気怠そうに身を起こしつつ、フィンガーレス・グローブの嵌った手でロングコートの下、ショルダーホルスターから自動拳銃、ミネベア・シグを抜くと倉庫へと走り出す。
「琴音、狙撃支援だ。やれ」
≪了解≫
そして後方から響く、一発の重い発砲音。琴音のスコープ付き、狙撃仕様のHK417自動小銃から放たれた7.62mm弾だった。
「ご用命ありがとうございますっと」
「よぉしよく来た! 早速仕事だ!」
近くに居たギャングの一人の肩を叩き、依頼を再確認する戒斗。
「それで、ここら辺の連中を全員殺ればいいんだな?」
「ああそうだ! 高い報酬払ってるんだから頼むぜ!」
「はいはい」
それだけ聞いた戒斗は走り出し、目の前に広がる敵組織の構成員らしき男達へとミネベア・シグの銃口を向ける。
「悪く思うなよ」
片手でグリップを保持したまま、親指で撃鉄を起こし、フィンガーレス・グローブに包まれた人差し指を引き金に掛ける。
「こっちも仕事なんでね」
続けざまに二発発砲。この距離で外す筈も無く。一発一発が吸い込まれるようにギャングの頭へと吸い込まれ、頭蓋を貫き脳を破壊。即死へと追い込んだ。嫌な仕事とはいえ、仕事は仕事。冷え切った表情のまま、軽快なリズムでも刻み躍るかのように発砲。次々とギャング達に9mmのフルメタル・ジャケット弾という、あの世への片道切符を大盤振る舞いでプレゼントしていく。
「死ねやオラァ!」
弾切れ。スライドがホールドオープン――タイミングを見計らったかの如く、隠れていたギャングの一人が物陰から飛び出し、手に持った鉄パイプを戒斗へと振り下ろした。しかし彼は動じず、冷え切った表情のままだった。
「残念。それは愚策でしかない」
振り下ろされた鉄パイプを保持するギャングの腕を、ミネベア・シグを保持した右手首の裏で払いつつ、戒斗は黒い革パンの左後ろポケットから小型のナイフを取り出し展開。その湾曲した刃を軽く振り、ギャングの右腕筋肉の腱を断裂させた――グリップエンドにリングがあり、獣の爪や牙の如く湾曲した刃を持つその折り畳みナイフは、東南アジア発祥のカランビット・ナイフ。その中でも一流とされるエマーソン社の、スーパーカランビットと呼ばれるモデルだった。
「うあああああああああああああ!!!」
腱を断裂された痛みに叫び、鉄パイプを取り落すギャング。しかし戒斗の辞書に『容赦』の一言はほぼ存在しない。そのままカランビットを振り、脇腹、太腿の内側を刺し抉った後引き倒し、最後に、リングに人差し指を通し逆手に持った刃で首を掻っ切って絶命させた。
「相手が悪すぎた。お前のせいじゃない」
死者の亡骸を蹴っ飛ばしつつ戒斗は再び走り、カランビットを持ったまま弾倉交換。空の弾倉をロングコートのポケットに投げ入れつつ、新しい弾倉を装填。スライド・ストップを解除し、9mmルガー弾の初弾を薬室に送り込んだ。発砲しつつ、逃げ出そうと試みたギャングの首根っこを後ろから掴み、胸に軽くカランビットを突き立てつつ敵の方へ向け肉の盾とした。他のギャング達が撃つのを躊躇う中、戒斗は冷静に狙いを定め一発必中で排除していく。
「チッ」
再びホールドオープンしたミネベア・シグを一旦ポケットに放り込み、拘束している怯えたギャングの右手からブラジル製のベレッタM92コピー、タウルスPT92を引っ手繰るとダブルタップの要領で素早く連射。フルメタル・ジャケット弾が一発放たれるごとにスライドが前後し、9mmルガーの真鍮空薬莢が宙を舞い床に落ちる。
「PT92、悪い銃じゃない。中々良いセンスだ」
「やめろ……分かった、何でもするから殺さないでくれ!」
余裕綽々で奪った銃の評価を呟く戒斗と対照的に、拘束され胸にカランビットを突き立てられたギャングは必死の命乞いをする。すると戒斗はニヤリ、と不敵な笑みを浮かべて言った。「なんだ? 今何でもするって言ったか?」
「ああそうだ! 何でもする! 俺は雇われただけなんだ! だから助けてくれ! 頼む!!」
自分が助かる一筋の希望が見えてか、男は裏返った声でそう言った。他の奴らを全滅させた戒斗は「しょうがねえなぁ。それじゃあ一つ、聞いてもらおうか」と言うと拘束を解いて、ナイフをポケットへと納めた。ギャングは突然拘束を解かれたせいか、前のめりになって床に倒れ込む。
「よ、よし! 何だ! なんでも――」
その言葉が最後まで紡がれることはなく、乾いた一つの音によって永遠に遮られてしまった。微かに漂う硝煙の香りと、遠くで真鍮が落ちる軽快な音が響く。
「――さっきの奴らに、地獄で花束でも渡しといてくれや」
弾が切れてホールドオープンし、無用の長物と化したタウラスPT92を投げ捨てた戒斗はミネベア・シグを再び取り出し、弾倉交換。
「これで仕事は終わりか?」
「よし! 助かっ――」
戒斗が仕事の確認を近くに居たギャングの一人にした瞬間、ソイツの頭が”弾けた”。突然何かで引っ叩かれたと思えば頭の側面から脳漿交じりの血を噴き出し、眼球を飛び出させつつ地へと伏せったのだった。割れたサングラスが床に落ちる。
「クソッタレ!」
条件反射に等しい速さでミネベア・シグを向ける戒斗。その先では同じく、回転式拳銃――S&W M586の銃口を戒斗へと向けた、その辺に転がるあからさまにチンピラ然としたギャング共と雰囲気の異なる、黒いコートの男が一人。
「アンタ……”死の芳香”か?」
「ご名答。そういうお前は”黒の執行者”だな?」
戒斗の問いかけに、コートの彼はそう答えた。冗談よしてくれ……と戒斗は心底思う。何を隠そうこの男こそ、”死の芳香”――裏世界にその名を轟かせる『なんでも屋アールグレイ』こと、アールグレイ・ハウンド本人。彼が戒斗の異名である”黒の執行者”を知っていたのはある意味光栄ではあるが……厄介な奴を敵に回してしまったようだ。
銃口を向けあったまま睨み合っていると、グレイがニヤリと笑う。その意図を直感的に汲み取った戒斗も動き、二人の姿が揺らぐ。すると銃声が二つ。一つは9mmルガー、もう一つは.357マグナムのそれだった。彼ら二人は少し身体をズラしたかと思えば、互いの背後に居たそれぞれの敵の額を撃ち抜いたのだった。
そして彼ら二人、戒斗とグレイは再び、各々の得物の銃口を向け合う。
「やるじゃん高校生?」
「うるせーよ、オッサン」
「なっ!? 俺結構若い方なんだがなぁ……」
結構ショックだったのを隠そうともせずに言うグレイは、噂に聞いていたよりもよっぽど気さくでフランクな人間に戒斗は思えた。
「知るかよ。それより、とっとと死んでくれるか」
しかしそれとこれとは話は別。依頼内容は”皆殺し”。それにはこの男――アールグレイ・ハウンドも含まれているだろう。ここで躊躇して殺さずにおいてはならない。
「嫌だ、って言ったら?」
「力ずくで――――」
そう言いかけた瞬間、戒斗は背筋に鋭いナイフでも突き立てられたかのような、寒気のする殺気を覚えた。殆ど脊椎反射と言ってもいいような反応速度で咄嗟に戒斗が身を捩らせると、一瞬前まで彼の身体があった空間を一筋の刃が一閃した。
「……何だと」
「へぇ、シノの刀を躱すとは本当に将来有望だなぁ」
戒斗は飛び退き、膝立ちになりつつ再びミネベア・シグを構えた先には、アールグレイ・ハウンドとその近く、いつの間に現れていたのか銀髪で長身の男が一人、どうやら日本刀らしいモノを携え立っていた。
「チッ、余裕綽々ってか。気に食わねぇ」
(”白鞘”――シノ・フェイロンかよッ!)
表面上では冷えた表情を浮かべつつも、内心戒斗は酷く焦っていた。この長身で銀髪のサムライもどきじみた男の名はシノ・フェイロン。”死の芳香”アールグレイ・ハウンドの片腕とも言うべき、『なんでも屋アールグレイ』の片割れこと”白鞘”。流石にこの二人を同時に相手にして生き残る自信があるほど、戒斗は楽観主義ではなかった。
「ま、これで形勢逆転だ。どうする? 高校生?」
そして突きつけられる、グレイのM586。その身体の向こうでは、彼の社員らしき女の子と共に敵方ギャングが巻き返し始めている光景があった。半分諦めかけた中、戒斗の視界にとある何かが映る。
「ッ!? グレイ、伏せろっ!!」
「どわぁっ!?」
咄嗟に気付いたらしい”白鞘”シノ・フェイロンに押し倒されたグレイの首のあった空間を、鋭く速い何かが斬り裂いた。
「いつもいつも、私が訪れると危険な目に戒斗は遭っている。これは偶然? それとも必然?」
聞き覚えのある、抑揚の薄い彼女の声。自らの主を戒斗に宿命めた忍者の末裔たる一人の少女。既に見慣れた、和服じみた忍者装束を身に纏い、その手に日本刀型高周波ブレード『一二式超振動刀”陽炎”』を携えた長月 遥が戒斗に背を向け、立っていた。
「さあな。まあ助かったぜ、遥」
そう言って戒斗は立ち上がり、再びミネベア・シグを構える。逆転に次ぐ逆転。どうやら勝利の女神は未だ見捨てたわけでは無いらしい。
「おいおい、うちのサムライに続いて、今度はニンジャかよ。ジャパニーズカルチャーが一度に二回も見れるなんてお得なツアーなこった」
「冗談はいい。あの娘は俺が相手する。グレイは執行者を頼むぞ」
「お前ロリコンだったの? 引くわ」
「後で叩き斬る」
どうやら遥の相手はあの”白鞘”ことシノ・フェイロンらしい。少し首を傾け戒斗に視線を送る遥に頷いてやると、遥は横っ飛びに走り出す。”白鞘”の刀と斬り結びつつ、彼女は倉庫の奥へと消えていった。
「やっと二人きりになれたんだ、先輩が後輩君にレクチャーしてやるよ。まずはレッスン1。"先輩は敬え"」
「これでも十分尊敬してるさ」
牽制射撃を交えつつ二人は距離を取り、コンテナの後ろに滑り込んだ戒斗は三発、9mmルガー弾をグレイに向け放つ。しかし彼はそれを避け切り、M586のシリンダーに収まった.357マグナムを全弾ブッ放した。
(リロードか。奴の弾は6発。こっちもまだ6発。勝機は――あるッ!)
「そうら、こっちだ!」
戒斗の姿が見える位置に移動したグレイは、2発を続けざまに放つ。ギリギリを掠めた弾がコンテナに当たり弾痕を穿つと共に、戒斗はミネベア・シグの引き金をダブルタップで引き絞る。
「うおっ!? あっぶねー」
それをすんでのところで回避するグレイ。
「今の避けるとは、さすが先輩だな」
接近してくるグレイに向かって、戒斗も走り出す。互いに放つフルメタル・ジャケット弾がそれぞれの腿や肩を掠めるものの、いずれも致命傷には至らない。ナイフを展開している余裕は無かった。二人は互いの最終兵器、握り締めた拳をぶつけ合う。銃撃を交えたワンツーをグレイは払いつつ、同じように接射を狙った銃撃交じりの格闘。互いが互いの拳と銃を払いつつ、一進一退の格闘戦へ。
「よそ見してる場合かッ!」
「ぐぉっ!?」
一瞬の隙が見えたグレイへと戒斗は横殴りの回し蹴りを叩き込む。クリーンヒットした彼は軽く吹っ飛び、コンテナの壁へと叩き付けられた。
「……へっ。時間切れみてーだな」
「何?」
血を吐き捨て、不敵な笑みを浮かべそう言ったグレイ。不審に思った戒斗は目だけを走らせ周囲を窺った。するとそこに、先程まであったギャング達の姿は消え失せている。
「ソフィア! シノ! 撤退だ! 」
「なっ、テメェ!」
戒斗が視線を逸らした一瞬の隙を突き、グレイは白煙手榴弾を投擲。すぐさま視界が白一色に染まった。逃がすまいと当てずっぽうに撃つ戒斗であったが、既にそこにグレイの姿は無く。煙が晴れた頃には、彼ら『なんでも屋アールグレイ』は影も形も無くなっていた。
「……戒斗。敵は撤退した模様。我々も退くべきかと」
いつの間にやら戻ってきていた遥が戒斗の前で膝立ちになり、進言をする。どうやら彼女も”白鞘”を取り逃がしたらしい。まあしかし、かの有名なシノ・フェイロンと一戦交えて傷一つない辺り、彼女はやはり優秀だと改めて感じた。戒斗はうーん、と一瞬唸って考えた後、「そうだな。帰るか」と言って、倉庫の出口へと歩き始めた。
「……クソッタレ。あのオッサン存分に撃ち込んできやがって。何が先輩だ畜生」
「戒斗、そっちは大丈夫?」
悪態を吐きつつ歩いていると、合流してきた琴音が言った。「かすり傷が幾つもやられた。琴音の方は何も問題ないか?」と戒斗が問うと、琴音は意外にして間抜けな回答で返してくる。
「何にも。あたしソフィアちゃんって子と仲良くなっちゃった」
「アホかお前は」
「あいたぁ!」
余りに阿呆な一言に思わず琴音の頭にチョップを叩き込んでしまう戒斗。いつも通り間の抜けた二人の問答を一瞥し、遥は負傷しているらしい依頼主の元へと向かう。
「……傷の方は?」
「な、なんとか治りそうだ。応急処置はしてある」
遥が見た限りでも、確かに問題は無さそうだった。銃創が二か所、脇腹と腿の外側、浅い部分にあるものの、いずれも拳銃弾による貫通銃創で弾は抜けており、部下達により止血処理済。後は医者に向かうなり、自分らで縫うなりすれば問題なさそうだった。
「よう。仕事はミスっちまったし、報酬は半分で構わんよ」
遥が行ったのを見て依頼主へと歩み寄った戒斗がそう告げると、当の依頼主は激昂し顔を真っ赤にして叫んだ。「半分でいい、だと? こっちは依頼主だぞ! そんな偉っそうな態度が通用するとでも思ってんのかァ!」
「じゃあ三分の一だ」
「1セントも払ってやるかよ、クズが!」
その横柄な態度にいい加減溜まった怒りと鬱憤の栓が吹っ飛んだ戒斗のミネベア・シグが、依頼主に突き付けられる。周囲に控えていた部下達は解き放たれたように各々の持った突撃銃AKMやイスラエル製の短機関銃、UZIの銃口を凄まじい視線と共に向けてくるものの、依頼主は彼ら部下を制す。
「……ちっ、分かったよ。指定の口座に振り込んでおく」
「それでいい。懸命にして利口な判断だ。長生きするぜ、アンタ。それと依頼を果たせず、すまなかった」
依頼主の一言に満足し、戒斗はミネベア・シグの銃口を逸らした。
「失せろ。謝罪の言葉なんていらねェ」
「あいよ。今後とも、戦部探偵事務所をごひいきに」
捨て台詞に等しい定型句を吐き捨てつつ、戒斗は琴音と遥の二人を連れて倉庫を出ていく。舌打ちを交えつつ、ミネベア・シグのデコッキング・レバーを操作。撃鉄を安全な位置に戻してからショルダーホルスターに収めた。
「さてと。さっさと帰りますか。運が良いことに今日はコルベットじゃなく、4シーターのカマロだ。遥、お前も乗っていけ」
「……では、お言葉に甘えて」
「はいはい。安全運転でお願いね、戒斗?」
二人を連れて紅いカマロの元へ戻ると戒斗は運転席に滑り込み、エンジンをスタート。6.2LのV8エンジンが再び鼓動を始める。遥が助手席に、琴音は後部座席へと座った。
「それじゃあ僭越ながら、我が二人の姫君をお送りさせて頂きますか」
「も、もう! やめてよ戒斗ぉ!」
「お姫様だなんて、照れる」
顔を真っ赤にして叫ぶ琴音と、いつも通りの無表情だが少しだけ頬を紅潮させる遥。対照的な反応を愉しみつつ、戒斗は「……はぁ。そういう事にしといてくれ」とだけ言って、サイドブレーキを降ろしミッションを一速へ。カマロを駆動させ、公道へと出て走り出した。
「……”死の芳香”、ね」
「ん? 何か言った?」
右手をハンドルに、左手をシフトノブに置いたワンハンド・ステアで先を見据えつつ呟いた戒斗を不思議に思った琴音はそう言うが、彼は何も口にしようとはしない。
「……いいや、別に」
それだけ言ったきり、戒斗は再び黙りこくってしまった。
『なんでも屋アールグレイ』と、”死の芳香”アールグレイ・ハウンド。彼の顔が、何故だか戒斗の脳裏に張り付いて離れなかった。