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Aster  作者: 綾里 美琴
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よん

色彩が欠けた世界。

と言っても完全なモノクロというわけでもなくて、なんというか全体的に彩度が低いだけ。モノクロではなくても、限りなくそれに近いそれぞれの色。紫苑の心が映し出されてるからだと聞いて、なるほど、と妙に納得したものだった。でも近頃……というか俺と紫苑がお墓を作った日から、少しずつ変化していってる気がする。彩度が上がったり、桜や彼岸花が咲いたり、動物たちの顔が穏やかになったり。これってかなり良い傾向だと思うわけだ!



「あれ、紫苑寝ちゃった」


遊び疲れてしまったのか、いつの間にか彼女は横になっていた。今は慣れたけど(慣れってすごいと最近よく思う)、初めて彼女の眠る姿を見た時はびっくりした。だって本当に息をしてるのかこっちが焦ってしまうくらい静かに静かに眠るから。ちなみにフクロウはたまに寝言がうるさい。


「しっかし、紫苑って美人だよなあ……」

「襲うなよ」

「襲わないっての! 俺をなんだと思ってるんだよ!」


とはいいつつ、俺は彼女の寝顔から視線を外せない。それもこれも、紫苑がとびっきり綺麗なせいだ。丁寧に切り揃えられた漆黒の髪、長い睫、すっと通った鼻筋、形の良い唇……人が望むものを全て兼ね備えてる気がするのはきっと気のせいなんかじゃない。極めつけは、儚ささえ感じてしまうほど雪のように真っ白な肌。ふと人間離れした神秘的な美しさがこわくなって、彼女の頬にそっと手をあてる。……あたたかい。


「よいゆめを、紫苑」


彼女が風邪を引かないように、ふわりと毛布をかける。彼女の夢の中にはどんな世界が広がっているんだろうか。彼女にとって幸せな夢であればいい。


「でも俺は眠くないんだよなあ……。フクロウ、話し相手になってくれる?」

「知らん」


紫苑を見守るようにずっと隣にいたフクロウだったけど、近くにいては彼女を起こしてしまうと考えたのか、俺の傍に移動してきた。うん、これは「いいよ」ってことだ。なんだかんだで、話しかけたらちゃんと答えてくれる辺りいい奴。いや、いいフクロウ?


「そういえばさ、紫苑の口調ってフクロウのが移ったもの?」


紫苑はあまり口数が多くなかったけど、時々話す言葉はなんというか、随分と古典的だった。「じゃ」とか、リアルに聞くの初めてだったし。一人称がわらわだったのも驚いたなあ……。フクロウにもそんなところがあるから、もしかして、と思って質問してみる。ただ単に暇だったからで、特にこれといって他意はなかった、はずなんだけど。


「……結果的には、そうなるのかもしれぬな」

「そっかー。ずっと二人でいたら移るよなあ」

「二人では、なかったのだ」

「へ?」


今、フクロウはなんて言った? 二人じゃなかった、って……他にも誰かいたのかな。紫苑と、フクロウ以外の誰かが。でもそう考えてみても、全くイメージが湧いてこなかった。だって紫苑もフクロウも、今まで一度もそんな素振りを見せたことがない。二人だけの世界というか、そういう感じだったからだ。俺が考え込んでると、フクロウも同じような顔をしていたのに気付いた。なんで?


「改めて、おぬしに問うが」


フクロウは真っ直ぐに俺を見て、真剣な声で問いかけてくる。な、なんだろうこの緊張感。今から先生に怒られます、みたいな空気だ。……つまり、めちゃくちゃ逃げ出したい。


「な、なにフクロウ」


しまった、おもいっきり声裏返った。そんな俺を気にかけることもなく、フクロウは続ける。


「おぬしは、自分のいた世界に帰りたいのか」

「何をいきなり……。そりゃもちろん帰りたいよ、当たり前だろ」

「主の感情が戻ってきているのは、実に喜ばしい。だが、わしにはそれは崩壊の合図のような気がしてならんのだ」


彼は何を、言っているのだろう。その言い方はまるで、俺を責めているかのようだ。いや実際、そうなんだろう。何で――――!


「で、でも俺に紫苑の感情を取り戻せって言ったのはフクロウだ。そうするしか帰る術がないっていったのも……!」

「ああ、確かに言った。事実、それ以外に方法はない。だが」


手が、震える。嫌な汗が、背中に伝う。頼む、頼むから。それ以上はもうやめてくれ。聞きたくない、聞いちゃいけない。俺はまだ、知りたくない!


「おぬしは、この世界を壊す者だ」


無情にも、フクロウは止めてくれなかった。突き放すような一言が俺の頭の中でリフレインして、やがて視界から色を奪っていく。

紫苑の心の中が鮮やかになっていくことが、嬉しかったし楽しかった。三人で話したり遊んだりするのがいつからか自然になっていて、ほんの少しだけ、このままでもいいかな、なんて思ったりもした。でも単純に喜んでた自分の浅はかさを、ここで知る。


「……なん、だよ、それ……!!」


いつまで経っても俺は「間違ったもの」で、紫苑とフクロウは「正しいもの」。どうやっても、同じ場所には立てない。どれほど願っても、俺は認めてもらえない。俺は、俺は……!


「大声を出すな。主が起きる」

「……っそもそも俺だって、好きでこんな世界に来たわけじゃない!!」


感情に任せて叫んでしまった後、小さな物音が、俺の耳に届く。さあっと血の気が引いていくのを感じながら、ゆっくりと振り返った。


「紫苑……」


彼女の紫の瞳は、俺を映したまま大きく揺れている。俺今、何を言った……? とんでもなくひどいことを、いわなかったか。


「紫苑、ごめん、俺……いま」

「……すまぬ」


彼女は弱々しい声で謝ると、固まったままの俺の横を通りすぎて外へと出て行く。あ、と漏らしたときには、既に姿がなかった。……当たり前だ、彼女の作り出した世界を俺は否定したも同然なんだから。神である彼女の力が足りないから俺は帰れないのだから。でもそれは、いくら事実でも口にしちゃいけなかったものだ。

紫苑だって全く罪悪感がなかったわけじゃない。そんなこと、彼女と過ごしているうちに気付いた。ただ彼女はそれを上手く形に出来なくて、方法すらも分からなかっただけ。なのに俺は、無遠慮に彼女を傷つけた。やっと戻りかけていた繊細な心を、粉々に砕いたんだ……!


「紫苑……っ」


彼女に、謝らなくちゃいけない。あの子は決して人形なんかじゃない!


「待て」

「待てって、どうして!」


彼女を追いかけようと一歩踏み出した俺を、フクロウが止める。ああもう、空気読んでくれ! つーかそもそもの原因はお前だから!


「何も知らぬおぬしが行ったところで、恐らく意味はない。おぬしは、きちんと知るべきなのだ」

「なん、だよ。教えてくれなかったのはそっちじゃんか」


当てつけめいた言い方になってしまったのは、自覚してる。ほとんど八つ当たりにも近い。でも仕方ないじゃないか、何もかも受け止められるほど俺は人間出来ちゃいない。どこにでもいる、普通の子供だったんだから。


「そうだな、おぬしに黙っていたのはこちらの方だ。だからこそ、包み隠さず話そう。主の感情が失われてしまったのは、主の前の神が亡くなった時だ」

「前……? 亡くなる……? なんだそれ、神は代替わりする、ってこと?」


フクロウは何も答えなかった。無言の肯定と取っていいんだろう。じゃあ、さっき話してた「もう一人の誰か」は前の神様、ってことか。その人がいなくなってしまったから、紫苑の感情は失われた。そう考えると、引っかかっていた何かが解消されていく気がする。

本当は、こんな風に立ち止まってる場合じゃないのに。彼女を追いかけないといけないのに。それなのに俺は、「知りたい」と、強く感じてしまっていた。


「以前、おぬしは問いかけたな。自分と同じ境遇の者がいたのか、と。答えをやろう。彼女は、今もまだここにいる」

「え、でもこの世界で人の形をしてるのは…… ……っ!?」

「主の力は半減している。そのせいで境界線が脆くなっていると見ていい。――――紫苑に、この世界は重過ぎるのだ」


あちこちに散らばっていた幾つものパーツが、一つ一つ確実に同じ場所に集まっていく。俺はようやく、自分の身に起きたことを本当の意味で理解できた気がした。

俺と紫苑は、最初から一緒だったんだ。違いなんか何もない、勝手に絶望してたのは俺の方。ひどい言葉を投げかけたのも、俺だ。知らなかったから、は免罪符にはならない。マジで何やってるんだよ、俺……


「この世界は主が作り出す世界。主がおぬしに会いたいと望むのならば、おぬしは彼女の元に辿り着けるだろう」

「でもフクロウは、紫苑が大事なんだよな。だから、俺を遠ざけようとしてた。もし本当に崩壊してしまったら……」

「たわけ。大事だからこそ、やはりわしは主にあんな顔はしてほしくない」

「フクロウ……」


彼の心は、本物だ。俺と、人間と、何も変わりはない。


「前の主が居た時のように、ただ笑って欲しいのだ。今それを叶えられるのは、おぬしだけなのだろう。智也」


そんなことを言われても、正直俺に何が出来るのかなんてわからなかった。でも紫苑を傷つけてしまったのは俺で、無知だったのも俺なんだ。なら、謝らないといけない。

許してくれるかはわからないけど、きみに、会いに行くよ。


「ありがとう、フクロウ!」


それと、八つ当たりしてごめん! そう言い残して、俺は駆け出す。そんな俺を、フクロウが優しく見守っていてくれてる気がした。


**


「辿り着けるだろう、ってフクロウは言ってたけど……紫苑どこいった……!」


これってもしかして、紫苑は俺に来てほしくないってことなんだろうか。うわ、そう考えると結構てかかなりへこむんだけど……。けどそれでも、諦めるわけにはいかない。

彼女の姿を探して、俺は森を走り回る。きっと遠くまでは行ってないはず。近くにいるはずなんだ。なのにどこへ行ったんだ、紫苑――――!


「あ、れ?」


心の中で彼女の名前を呼んだ瞬間、目の前の景色がまるでドミノ倒しのように勢いよく変わっていく。灰色から、紫へ。木々から花へ。突然の現象に俺は戸惑いながらも、ゆっくりと先へ進む。


「これ、全部同じ花……?」


辺り一面を埋め尽くした花には、どこか見覚えがあった。ずっと前、植物図鑑で見たことがある。

名前はアスター。これはギリシャ語で星を意味する単語。花言葉は「君を忘れない」 和名は、そう……


「紫苑……!」


淡い紫色が、彼女の瞳の色とよく似ていたから。だから彼女にその名前をあげた。刹那、花がしおれていく。ねえ紫苑、これが今の君の心なんだろうか。


「紫苑っ!!!」


自分が今出せる精一杯の声で、彼女の名を呼ぶ。すると花は瞬時に消えていき、先にいた一人の女の子が姿を現す。女の子は、花を一輪胸に抱えていた。


「あの人を失ったとき、胸にぽっかりと穴があいたような気持ちになったのじゃ。あれが、全ての色がなくなった日だった」

「紫苑……」


彼女は俺に気付いてるはずだけど、でも俺の方は見ない。ぽつりぽつりと、まるで独り言のように零していく。


「わらわは長く彷徨ってしまってな、あの人と出会った時にはもう帰ろうとも思わなかった。そんなわらわを、あの人は快く迎えいれてくれたんじゃ。フクロウとわらわと三人で、あの場所で過ごした」


彼女の表情に変化はなかったけど、ほんの少し、哀愁が紛れているように感じた。俺はその人を知らないけど、きっと良い人だったんだろうなとは分かる。だって紫苑に慕われてたんだから。


「でも、早く気付けばよかったんじゃ。わらわがこの世界に来てしまったのはあの人の力が弱まってしまっていたからなのじゃと」

「たいせつな、人だったんだね」

「あの人を想う気持ちをそうだというのなら、そうなんだと思う」


彼女の口調がばらばらになってきていたのは、彼女本来の口調が混じっていたからなのかもしれない。きっと彼女も俺と同じで、どこにでもいる女の子だったんだ。


「すまぬ。わらわの力が未熟なばかりに……今のわらわではおぬしを帰すことすら出来ぬ。すまぬな」

「俺こそ、さっきはごめん……」

「かまわぬ。全ては、わらわのせいなのだから」

「そう、じゃなくてっ! 俺、ここに来て楽しかったんだ!」

「……え?」


きょとん、と目を丸くする彼女に、俺は笑みを作る。気を抜くとセキを切ったように喋ってしまいそうなのを必死に抑えて、一個ずつ自分の中で整理しながら彼女に話した。


「俺さ、流されるようになんとなく生きてて。でもそれって多分、未知の世界を避けてただけなんだ。だからここに来てしまった時、ひたすらに怖かった。目を背けてたものがすぐそこにあるんだから」

「それはわらわが……」

「正直、俺は今でも帰りたいと願ってる。やり残したことが沢山あるんだって、気付けたんだ」

「……奪ってしまって、ごめん」

「そうじゃないよ。俺、ここに来なかったら日常に疑いすら持たなかった。当たり前のものなんて、あるはずないのにね。教えてくれたのは、紫苑とフクロウだよ。ここへ来て二人に出会えたこと、心からよかったと思ってる」


嘘偽りない、俺の想いだった。彼女に伝わるだろうか、彼女は信じてくれるだろうか。


「どう、して……! 何もかもわらわのせいじゃ!」

「俺さ、思うんだ。それはきっと、君が自分以外の誰かを求めてたからなんだよ」


だって、一人は寂しい。フクロウは彼女から離れなかっただろうけど、それだけじゃ埋められない心の隙間だってあったはずだ。世界の管理者だとか、神だとか、そんな肩書きの前に彼女は一人の人間なんだから。

孤独をおそれてた、ひとりぼっちの女の子。


「俺を選んでくれて、ありがとう。紫苑」


君に会えて、よかった。一人なんかじゃないと、どうかそれだけは知っていて。


「……っ大馬鹿ものじゃ! おぬしは大馬鹿ものじゃ!」

「せ、せめて馬鹿にしといてくれないかな……。その涙は、うれし泣き?」

「知らぬっ! おぬしなど大馬鹿もので良いんじゃ!」

「ああもう、こすったらだめだって」


柔らかな花の香りが、俺たちを包み込む。花はもう枯れない。

「……あれ?」


瞳をあけたら、さっきまでと違う場所にいた。そこまで汚くはないけど、まさに男の部屋といった感じの乱雑ぶりは、間違いなく俺の部屋だ。今度掃除しよう……ってそうじゃなくて。


帰って、これたんだ。


「あら、トモ起きたの? もう、帰ってくるなり寝ちゃうんだもの。晩御飯できてるから、着替えたら来なさい」


きっと俺を起こしに来たんだろう。俺にしてみれば随分久しぶりに見る母さんの顔は、優しさで溢れてた。懐かしさで、胸がいっぱいになる。


「あの、母さん。いつもありがとう」

「なあに、急に? おかしな子ねえ」

「なんでもない! すぐに行くよ」


母さんは首を傾げながら、「温めておくわね」とキッチンに向かっていく。俺はほっと息を吐き出して、ポケットから携帯を取り出す。日付を確認するためだ。

裏の世界は、表とは時間の流れが異なるらしい。それを聞いたとき俺はすごく心配したものだけど、戻る時に流れは正されるはずだって言ってた。その言葉の通り、携帯が示す日付は俺がマンホールに落ちた日と一緒だった。帰ってきてすぐ寝た、って母さんが言ってたし、少しだけ時間が経ってるようだけど、まあ誤差の範囲だろう。ああ、よかった……!


まるで夢のような、あの世界での出来事。もしや本当に俺が見てた夢なんだろうか、と一抹の不安が胸に過ぎった時、俺の左手に巻かれたミサンガが視界に入った。俺が作り方を教えて紫苑が作った、ミサンガ。あの世界とこの世界を繋ぐもの。そっと撫でれば、二人がこたえてくれた気がした。


「紫苑とフクロウ、どうか元気で」


**


俺的にはあの世界の思い出を忘れないように日々を生きようと、まあそんな風に格好いいことを考えてたわけなんだけど。


「あー、また負けた!」

「わらわの勝ちじゃな。これでお菓子ゲットじゃ」

「これけっこー高かったのに……。よし、もっかい!」


結局俺は、またこの世界にいる。

フクロウいわく、「主がおぬしが来るのを望むようになった」らしくて、そのせいか俺は扉を開きやすくなってしまったらしい。前みたいにマンホールから落ちたり、玄関を出たら景色が変わってたり、方法は様々だ。でも今の紫苑は俺を帰せるし、特に気にする必要もなくなったのでしょっちゅう行き来するようになった。まあ、こういうのもアリだよな。きっと。


「ってああ、フクロウにもあげてるし! 俺まだ食べてないのに!」

「ふん、知らんな」

「騒ぐな、智也。おぬしにもやるぞ」

「ありがと、紫苑。ん、うまい!」


めぐるめぐる、二つの世界のお話。


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