東日本大震災
16年後-2011年3月11日 9時
「ただ今より、卒業式を行います。」
父兄たちは生徒たちと一緒に立ち上がった。その中に祐子と守もいた。
今日は、息子「勇人」の卒業式である。…そう、阪神淡路大震災の時に、祐子のお腹の中にいた「息子」だ。それがもう、祐子と守の背を超えて大きくなり、今中学の卒業を迎えている。
「勇人」は名前を呼ばれ、元気に「はい!」と答えて壇上に向かった。そして卒業証書を受け取り、振り返って一礼した。
「…月日の経つのは早いわー」
祐子が思わずそう言うと、隣で守もうなずいた。
震災の時1歳半だった「あやめ」は、この4月から「高校3年生」になる。大学に行かずに就職すると言っている。そのことに、祐子と守は頭を悩ましていた。…しかし、そんな悩みも生きているからできるのだ。
祐子の父親は震災の2年後に脳溢血で死んでしまった。母親は今も健在で、いまだ結婚していない明子が一緒に暮らしてくれている。
…そして、勇人の卒業式が終わったその日の昼…2時46分-
東日本大震災が発生した…。
……
「社長…なんか揺れてません?」
息子の卒業式が終わって、すぐに事務所に入っていた祐子は、斜め前の席に座っている社長に言った。
祐子は今「建築業」の会社で、事務員として働かせてもらっている。
「え?揺れてるか?」
社長がきょとんとして言った。祐子は「気のせいですかね。」と苦笑した。
(私、めまいでも起こしたんかな…。そういや、そろそろ更年期障害になる年やなぁ…)
祐子はそう思いながら、パソコンの画面に向いた。その時、ずっと流れていたラジオから「東北地方で強い地震が起こり…」というようなアナウンスが流れた。
「!?東北!?」
祐子が思わずそう言いながら、ラジオを見た。社長は「東北で地震か…あっちは多いからなぁ」と呑気に言った。
「ちょっと、行ってくるわ。」
「あ、はい!」
祐子は社長が出て行くのを見送った。
……
祐子はラジオを聞きながら、体を強張らせていた。
地震で大きな津波が起こり、数百人の死者が出たという悲痛なアナウンサーの声が響いている。
(…阪神淡路大震災の時、津波はなかったんやったっけ…)
祐子がそう思った時、社長が厳しい表情をして帰ってきた。祐子は「お帰りなさい!」と言った。
社長が、かばんを机の上に置きながら言った。
「…車の中でカーナビのテレビ見てたんやけど…。えらいことになってるで。…津波にやられたら、水掃くのもなかなかできへん…。…阪神の時より被害は大きくなるかもしれんな。」
「!!」
祐子は何も言えず、黙って座る社長の顔を見ていた。
……
社長はその2か月後、仮設住宅のことで「仙台」に行くと言った。それも車で行くという。
…翌週、祐子は「どうだったのか」と帰ってきた社長に尋ねた。
「片道16時間もかかったわ。行きはまだ気が張ってたからええけど、帰りはふらふらや…」
社長は苦笑しながらそう言ってから椅子の背にもたれ、神妙な表情になった。
「…悲惨としか言えへんわ…。外から見たら大丈夫そうなビルでも、中の柱が歪んで潰すしかあらへん。…住宅地なんか土台しか残ってへんのや…。…がれきも半端やない。…どっから手ぇつけたらええのかわからん。」
社長はそう言ってため息をついた。
「阪神の時は、火やったからまだ地盤がちゃんとしてた…でも、津波にやられた向こうは簡単にはなぁ…」
祐子はだまってうつむいた。社長は腕を組み、眉をしかめて言った。
「それも福島の原発のこともあるやろ。」
「…ああ、放射能ですね…」
「ん。俺らみたいな年寄りはええんや。もう後は老いて朽ちていくだけやから。」
…年寄りと言っても、そろそろ更年期障害に入る祐子と年はあまりかわらないのだが…。
社長は腕を組んだまま、少し上を見上げながら言った。
「今の子どもらやなぁ…。なんとか放射能から守ってやらな、将来、夢を持てんことになったら可哀想やで。ただでさえ、この不景気で夢持てんのに…」
祐子は小さくうなずいた。本当にその通りだと思った。社長は机の上に視線を落として言った。
「これで「南海大地震」(※大阪南部に100年に1回起こると言われている)が来てしもたら、日本沈没してしまうかもしれん。…俺ら生きてるうちに、来るやろしな。」
祐子は目を見開いて社長の顔を見た。社長は厳しい表情をしたまま黙り込んでいる。