もどかしい思い
「守さんって、冷たい人やねぇ。」
石油ストーブをつけながら、祐子の母親が言った。
「え?」
「電話も掛けてこうへんなんて…」
…その時、誰も電話がつながらなくなっているなんてことは、全く思っていなかった。
「大阪は震度弱いみたいやし…気付いてへんのちゃうの?」
「でも、テレビくらいは見るやろ?」
「!…そういや、そうか…」
父親と妹は、寒いためか何も言わない。母親は祐子に「あんたがあやめを抱いてここに座りなさい。」と言った。
「お腹も冷やしたらあかんし。ほら。」
祐子は何か申し訳ない気がしたが、石油ストーブの前に座った。まだ電気もガスも通っていないため、底冷えがひどい。一応皆、分厚い半纏を着てこたつに入って入るが、それだけでは温まらなかった。
…しばらくして、石油ストーブのおかげで、少しずつ空気が温まって来た。
「ポットのお湯が冷めへんうちに、あやめのミルク作っておかなね。」
母親はそう言って立ち上がった。元々気の利く方だが、こういう時そんな母親が本当に頼もしく感じる。
「食べるもんとか大丈夫なん?」
祐子は、機嫌よく膝に座っているあやめの体をさすりながら、母親に言った。
「一応、量的に2、3日は大丈夫やけど…このまま電気が通らんかったら、冷蔵庫の中のもんだめになるからなぁ。今のうちに何か作っとくか。」
母親がそう言うと、妹の明子が「手伝うわ。」と言って立ち上がった。
祐子は、ずっと何も言わない父親をふと見た。父親は何かを考えているかのように黙りこくっている。
話しかける雰囲気でもなかったので、祐子は何も言わず、ただあやめの体をさすっていた。
ラジオはずっと、地震の被害を伝えている…。
……
どれくらい並んでいたのか…。前に立っている男性が、急に守に振り返って言った。
「つながらないそうなんですよ…電話…」
「えっ!?つながらないんですか!?」
「ええ…。…困りましたね…」
「…そうですね…。」
それで、ずっと前に進まないんだ…と守は思った。男性が口を開いた。
「ご家族があちらにいるんですか?」
「え?…あ、ええ…。妻と娘が西宮の実家に帰っていて…」
「西宮ですか!…それは確かに心配ですね。」
「…あなたは?」
「私は、宝塚の方です。両親が住んでいましてね。…全く情報が入らないので、不安で不安で…」
「…そうですよね…」
2人はまたそこで黙りこんだ。その時、前の方が騒がしくなった。
「繋がったって!」
前の方でそんな女性の声がした。その場にいた全員が喜びの声を上げた。
……
守は自分の番になり、公衆電話に100円玉を入れた。そして、震える指で妻の実家の電話番号をプッシュした。
…呼び出し音が鳴った!
守はほっとしながら、電話が取られるのを待っていた。
…5コールほど鳴った頃だろうか。電話が取られた。
「もしもしっ!」
守は受話器を両手で抱き締めるようにして叫んだ。
「守さん?」
祐子の母親の声だ。守は「大丈夫ですかっ!?」と言った。
「!!ええ!皆、大丈夫よ!」
「良かった…!今、公衆電話から掛けているんですが、断線していたようでなかなか…」
「まぁっ!そうやったのっ!?」
母親のそんな声が返って来た。…守は、まさかその母親に「冷たい」と言われていたことなんて知らない。母親が慌てるように言った。
「公衆電話なのね?すぐに祐子に代わるわ!」
「はい!」
すぐに祐子の「守さん!」という声がした。守はほっとしながら言った。
「無事で良かったよ!俺、何も知らんと会社に行って、会社のテレビでニュース見てさ…。ほんまにびっくりして…」
「こっちは震度4やったけど、地盤が強かったようで大丈夫やったんよ。」
「…あやめは泣いてへんか?」
「それが、何かわかってるんかな。泣きもせずおとなしくしてるわ。ちょっと待って。」
その声の後に「パッパー!」と言う娘の声がした。守は、突然涙が溢れるのを抑えられなかった。
……
「これからどうするかやな。」
軽い食事を済ませた後、父親がぽつりとそう呟いた。
「そうねぇ。お父さん、車のガソリン残ってる?」
「ん。残ってはいるけど…店はどこもやってないやろうし…道もどこまで続いているか…」
「!…そう…そうやねぇ。」
闇雲に車で出ても結局引き返すことになるなら、それだけ燃料の無駄ということになってしまう。
祐子の住んでいるところは、西宮と言っても、歩いていける場所にスーパーもコンビニもないような山の中である。
母親は、毎日バスに30分程揺られて買い物に行かねばならなかった。だが、それが逆に良かったのだ。…昨日から祐子とあやめが来るということで、母親は3、4日分の食料をまとめて買っていたのである。石油ストーブの灯油も余分に用意していたし、あやめのおむつもまとめ買いしていたため、後2、3日ならば、動けなくてもなんとかいけそうである。
…だが、ある意味「たったの」2、3日だ。…このままずっと電気もガスも通らないようであれば、後、どうすればいいのかわからない…。
いつの間にか、全員が黙りこんでいた。
その時、あやめが急にきゃっきゃっと笑い出した。皆、驚いて、あやめを見た。
…あやめがどうして笑ったのかわからない。…だが、そのあやめの笑顔を見て、全員が思わず笑い出していた。
「どうしたんやろねぇ…あやめ…急に…」
母親が笑いながら言った。父親も今は頬が緩んでいる。いつの間にか、その場が和んでいた。
……
「車で行っても…無理か。電車も止まってるなぁ…」
守は社宅に帰り、独りテレビを見ながら途方に暮れていた。
すぐにでも、妻と娘を迎えに行きたい。…だが、交通手段がすべて寸断されているようだった。
「水も食べ物もしばらくはある言うてたけど…あーっもうっ!!俺、どうしたらええんやっ!!」
守はソファーから立ち上がって、その場をうろうろとした。そんなことをしていたって仕方がないのだが、じっとしてはいられなかった。
電話はまた繋がらなくなっていた。あの時公衆電話ではなく、どうして社宅に帰って電話しなかったのか、守は今になって後悔していた。
(あほや俺ー。ほんまあほや。)
守はそう思うと、またソファーにどさっと座り込んだ。
その時、テレビから緊急情報を告げるチャイムの様な音が鳴った。
テレビ画面の上の方で「地震速報」と出ている。
守は、思わず身を乗り出した。
「震度3の余震…宝塚市…神戸市北区…○○区…西宮市!?」
……
その5分前、祐子達は突然の強い余震に体を強張らせていた。小さな余震はそれまでに何度もあった。その余震のたびに、全員が鬼気迫る顔をしてあやめを守ろうとするので、あやめが揺れるたびに泣き出すようになった。
…あやめからしたら、いつも優しい「じいじ」や「ばあば」が怖い顔をしてこっちを見るので、襲いかかられるような恐怖を感じるのだろう。祐子は泣き叫ぶあやめを抱き上げて「よしよし」と言いながら立ち上がった。
「大丈夫、大丈夫…誰もあやめを食おうとしてるわけやないからねー」
それを聞いた父親達は、苦笑して顔を見合わせていた。
……
守は電話を何度も掛け直した。だが掛からない。…地震で大丈夫だったとはいえ、余震できしんでいた家が倒れることだってあるかもしれない。
守は受話器を音を立てて置いた。
「あーー!もどかしいっ!!何もできんなんて…もう俺どうしたらええんや…!!」
守はそう言って、またソファーに座り頭を抱えた。…どうすることもできない自分に腹が立った。
「こんなことなら、仕事休んででも一緒に行きゃぁ良かった…。」
守は自分の頭を叩きながら、そう自戒し続けていた…。