迷子の騎士に道標
[1]
赴く戦地は、いつも凄惨な祭りの後だった。
所々に葬られることもないまま打ち棄てられた骸が点在している。数日前までは、元気に生きて笑っていただろう人たちのなれの果てだった。
争いというものは、大抵、身勝手な行いから始まり──幸せを奪っていくものだ。
既に見慣れた光景に、現地であった凄惨さに目を塞ぐより、争いを代行し散っていった者たちへの憐れみを抱くようになっていた。自分にとって、戦場は、ごく隣にある『当たり前』の日常だった。
フォルツァート神殿所属、上位灯術師。その称号を名乗るようになってから、もう数年の時が経とうとしていた。灯術師と呼ばれる前は憧れだった職業も、なってしまった現在では憧れなど既にない。かつて自分を救ってくれた灯術師のようになりたいと願ったものの、廻ってきた役目は戦場を巡る『汚れ役』だった。
無論、それが必要な事も分かっている。自分が憧れた存在は、自分のような存在があってこそ上手く働くのだと各地を廻り始めてから理解した。もっとも、それを是とするような感情を持つには至らなかったが。
しかし不満ばかりを並べていても仕方がない。自分には自分の与えられた『やるべき事』というものがあるのだから。
今回、戦地(この場所)に来た目的は、大きく分けて主に二つだった。
一つは争いの理由を知ること。──まだ争いの種が存在し、可能ならば除去すること。本来ならば、それは神殿ではなく国が行うことだが……現状、フォルツァートに属する大国はその義務を果たすだけの余力がなかった。
そしてもう一つは、争いの影に「何か」が潜んでいないこと。人と人以外の意識が関わっていれば、即座に強権を振りかざしてでも対処する。もちろん、それは反感を買い易い。何も事情を知らないのならば尚更のことだった。しかし、長い目で見れば、それ以上のリターンがあると信じていた。
暗部、という印象は強いが……綺麗ごとばかり、明るい場所で世界は廻らないのだ。
頭を巡らせながら、戦地を一巡する。
そして。
ようやく一通り見終わるか、という微かなため息を胸に抱えていた時に彼と出逢った。
[2]
彼の名前はジオといった。いかにも適当に切ったとしか思えない、ざっくばらんな短髪と鋭い双眸がまず目を引く。戦場ならば、鋭い眼光を持ち合わせている者は少なくないが、漆喰のコートと脇に抱えた三メートルに達するような長刀は珍しい。彼の身長が一メートル六十程度と小柄な方なのを見れば、二倍近い獲物を手にしていた。何も知らなければ酔狂と捉えかねない。死にに来たのか、と嘲笑われても文句は言えないだろう。
彼を見たとき、思わず立ち止まったのを覚えている。
まさか、という驚愕となぜという困惑が同時に襲いかかったのだ。その特徴的な姿は、戦いの場所に近ければ近いだけ、特別な意味を持っていた。ある種の有名人と言っても良い。小柄な体躯に似合わぬ長刀、戦場を駆け抜けるように振るう剣士。小柄なだけに幼く見てしまいがちだが、彼は既に十年は戦を切り抜けてきたはずだった。たとえ十代の頃に初戦を経験していたとしても、戦歴は相当高く積み上がっている。
「喋る前に聞くが、神殿の灯術師か?」
小さな村のなかで、彼は言った。見た目に反して低い声。アルトにも満たない淡泊な声だった。初めは違和感が大きかったが、聞き慣れてくると、らしい、と思うようになるから不思議だった。
頷くと、ジオも納得したように目を伏せた。神殿灯術師の見分け方は実に簡単である。殆どが灯術師にあてがわれた正規服を着用しているし、そうでなくても神殿所属という印を纏うことになっていた。今回の場合は後者だ。正規服を纏ってはいなかったが、神殿所属の証であるアクセサリを左腕に取り付けている。見る人が見れば、それが上位灯術師にのみ与えられるものだと分かるが、神殿とあまり近くなく、かつ、剣士であるジオには分かるはずもなかった。称号を背に権力を振りかざすような性質でもないので、その事に拘りもない。
自分の仕事が出来るのなら、構わなかった。むしろ自分が拘りたいのは、かつて自分を護ってくれたひとのようになれるかどうかである。
雑念を振り払って、単刀直入に問うた。
──あの場所で、なにがあったのか。
尋ねると、ジオは首を振った。
「わからない。あそこに来た時には、もうあの有様だった。ここら辺が怪しいと踏んではいたが、さすがに詳細まで情報をかき集められる時間はなかった」ジオが杯を傾ける。情報を提供してくれれば酒代ぐらいは出す、と言った結果のものだった。「争いがある雰囲気は一週間ほど前からあった。近い内に始まるだろうとも思っていた。だが予想外でもあったな。あまりに早く始められた事もそうだったし、あまりに早く終わった事も。あれだけの戦死者が居るのに、肝心の旗はどこにある?」
旗とは恐らく統治者のことだろう。何と争うにしても、決定的に必要なのは戦術を決めたり、戦局を判断する組織が要る。それがなければ私闘と言うべきであり、私闘と言うには犠牲者の数が多すぎた。ジオは始まる雰囲気は一週間と言った。つまり、それらは一週間未満ですべてが行われているのだ。争うだけの時間なら僅かでも済む。しかし大元の痕跡を残さずに撤退しきる時間としてはどうだろうか。経験豊富という訳でもないが、短すぎるのではないかと思われた。
そう指摘してみると、ジオが相槌を打った。
「ケースバイケース、だな。出来ない訳じゃない。実際、俺が経験したものの中でも、撤収するのに僅か一日というものはあった。かなりの強行軍だったし、何よりも中身は殆ど灯術師だったからこそ出来た訳だが。だから、そうと考えれば可笑しくない。だが、あそこで散った殆どは裂傷だ。打撃を受けた後もあった。構成の殆どが灯術師という考え方はまず出来ない」ジオが杯の中の酒を飲み干すと、おかわりの要求を出す。すぐさま同じ杯に酒が補充されるのを眺めながら、では、と相打つ。ジオは言葉の先を手で塞いだ。「不自然なんだ、何もかもが」ジオは杯の酒を一口含んだ。「俺は旗が戦地に行くのを見ていないし、撤収するところも見てはいない。かと言って、あそこは僻地だ。山間で開けている場所もあるが、基本的に交通が悪い。近い村と言えば、ここを含めても何カ所ある?──三つはないな。それなりの人数が居たとすれば、行っても全員が休めるとは限らない。ここら辺にある村は小規模に過ぎるからだ。それ以前に、それほどの人数なら少しぐらい噂になっても良いはずだ。では、どうする。突然現れて、突然消えていったとでも言うのか。灯術の触りぐらいなら俺でも知っているか、いくら何でもそれは不可能だろう。世界法則を超越するのは無理だったはずだし、何よりもそれがあるのなら、あんたの方が詳しい。残る可能性は、小規模の集団だったというものだが──骸の数が合わない。あの数は小規模とは言えなかった」
可能性を並べ立てて、ジオは否定の言葉だけを返した。
それはつまり不可解と呼ぶ類のものだった。どれだけ空想を浮かべてみても、雲を掴むような感覚しか返ってこなかった。いまジオが喋った、そのどれもが正解とはほど遠いような印象しか受けなかった。
あの場所の出来事を知るには絶対的に情報が足りないのである。そして、自分たちはその欠片を見つけてもいない。──きっと、そういうことなのだろう。あるいは、もっと単純なところに答えが眠っているのかもしれなかった。
「その可能性もあるな」
陶酔した声でジオが言った。
「こういう事は、案外、何でもない事が答えになるのかもしれない。そう、前にもあったな。灯台もと暗しとの台詞がとても似合うことが」
灯台もと暗し。確か意味は、身近なことに気付きにくい、だったはずだ。身近なこと。あまりに大きく風呂敷を広げてしまっていた?
「あくまでも、可能性の問題だがな」
言って、ジオは杯の中身を一気に飲み干した。話に夢中になる内に、随分あおったのだろうか。既に彼の顔は紅潮している。
「普段、酒には弱くないはずなんだがな」
指摘してみると、ほっそりとした顎を撫でた。
「それに、あんただって変わらないぐらいだ」
言われて、肩を竦める。酒は強い方ではなかった。気をつけて飲んではいたが、思った以上に度が強かったのかもしれない。手にした残りの酒を、一気に飲み干した。
「おかわりは、どうです?」
不意に背後から声を掛けられる。
視線だけを投げやると、ここの責任者が立っていた。そのさらに後ろに、少ない客の何人かがこちらを見ていた。それなりの訓練を受け、素人の行動ならば何となく分かるという腕前にはなっていたはずだが、酒の力はにわか技術など吹き飛ばしてしまうらしかった。明らかな飲み過ぎだった。
結構、と答えると、責任者はジオの方へと再度尋ねる。
「あなた様は?」
「──いや、俺ももう十分だ。お代を」ジオが懐から財布を取り出すのが見えた。それは本来取引の結果として自分が支払うはずだった。怪訝に思っていると、ジオが僅かにこちらを見た。すっと、身体の芯が冷たくなるような視線。まるで戦っている時のように鋭くなっているかのようだった。一瞬のあと、ジオは何でもないことのように振る舞って、お釣りを受け取っていた。先程の鋭さが嘘のような変わりようだった。「ありがとう」
「いえ、またのご来店をお待ちしております」
責任者はのっぺりとした笑顔を顔に張り付かせると、腰を折る。田舎の店にしては、かなり良い部類の接客態度だった。
「おい、いくぞ」
椅子に座っていたところを引き上げられる。
導かれるままに立ち上がり、外へと歩き出す──やけに身体が火照っていた。
[3]
夜道を二人、出来る限り早く歩く。酒の効果か、それとも別の要素に寄るものか、足取りは重く、遅々として進まなかった。
異変に気付いたのはジオだった。
あの小さな飲み場の責任者は、手練れだと言う。少なくとも田舎に居るような実力の持ち主ではなかったと。それらは歩き方や独特の雰囲気、何気ない仕草から観察できるのだとジオは言った。迂闊にも、気付くのが遅れたと悪態を吐いたのも、中々珍しかった。
別段、それだけなら構わないのではないか──飲み場を離れて言ってみれば、ジオは慌ただしく首を振った。
「飲んだのは、酒だけじゃないはずだ。中身が何だったのかまでは分からないが」
仕込まれていた、と言いたいのだろう。悔しいが身体の状況を鑑みるに同意するしかない。明らかに酒以外の何かを飲んでいた。幸いにというべきか、強い毒でなかったのだけが救いである。しかし何故?──彼等は無差別にターゲットを選んだのだろうか。
「俺たちが邪魔者だったのかもな」
言われて、飲み場でしていた話を振り返る。
あの場所で様々な推測を出し合った。争いの理由から、誰が争ったのかなど。考えられるとすれば、そこに関係するはずだった。
どちらにせよ、離れなければならない。この周辺は信用が出来なかった。ジオもまた同じ結論に至ったからこそ、行動は素早かったのだろう。
大通りに向けてまた一歩踏み出す。
その瞬間、膝が崩れ落ちた。
「おい?」
ジオが不審そうな声をあげた。だが、それに応えられる余裕はなかった。
腹部に火傷したような感覚だけが走っている。手を当ててみれば、ぬめりとした液体が溢れ出していた。それが何かだなんて、暗くても分かってしまう。赤黒い、血だった。手の中には傷をつけた異物がないことを考えると、恐らく貫通したのだろう。
「ゆみか……っ!」
押し殺した声でジオが言った。
自分の予測が当たったことに、可笑しさがこみ上げた。普段、まったくといって当たらないパズルを一発で当ててしまったような気分になった。
微苦笑を浮かべて、辺りを伺う。弓を放った対象は闇夜に紛れて分からない。間の悪い偶然だとも思い込みたかったが、それにしては音もなく、気配も薄かった。廻りに人が居る。だが、皆が申し合わせたように通りには見えなかった。まるで小さな兎を追っているかのような狩りの雰囲気がそこを流れていた。罠を張り、機を見張り、慌てず、騒がず、淡々とこなしていく狩りの空気。獲物は、間違いなく自分たちだった。
「斬り捨てるか」ジオが傍らの長刀に手を伸ばすのに気付いて、彼の裾を引っ張った。視線が下ろされるのに気付いて、首を振った。この狩りにそれは悪手だと伝えたかった。相手は百戦錬磨の狩人だ。まして、ジオは有名人に近い。実力も認められている。それにけしかけるなど相当の自信がなければ出来ないことだった。「……なら、どうする。此処で殺されるのを待つのか?」
すぐに長刀を振るえるよう身体を落とし込みながらジオが言う。
少しだけ考えて引っ張っていた裾を離す。指を解いて、通りの脇を指した。小さな路地である。ジオが眉を顰める。確かに、大した行動が出来なくなるような狭い路地は悪手に近い。大きな道と小さな道、どちらが罠を張りやすいかと問われれば後者なのも間違ってはいなかった。だが、今の自分たちにとって怖いのは、物量であるのも間違いなかった。自分たちの行動も制限が加わる。相手もまた罠は張っていても、大通りほど大掛かりではない──かもしれない。すべては仮定による仮定を重ねた推論だった。
荒い呼吸だけを繰り返しながら、じっとジオを見上げる。彼は懊悩に満ちた。どちらを取っても容易い道ではなかった。
番える音がして、すぐ近場に矢が放たれる。二射目。暗いのと相手の狙いが甘かったのが幸いしていた。ジオが顔をあげた。
「歩けるか?」
頷くことで答えとする。
「なら、行くぞ」ジオが腕を掴み上げる。歩けると答えたはずだったが、どうやら信用に足るような仕草ではなかったらしい。抗うこともせず、ただなすがままに引かれていく。「あの小道に逃げ込む。もしもの時は覚悟しておいてくれ」
言われるのと小道へ逃げ込むタイミングは、ほぼ同一だった。刹那、矢が幾つか地面を穿った。矢の向きから、前後から放たれたものだと理解する。ジオが歯がみして、さらに力強く地を蹴った瞬間、自分の指も流れるように動いていた。重傷を負っているのにと自分でも呆れるほど、それは淀みがなかった。普段の、身体に染み付いた灯術の動き。幼い頃から憧れていた職業の、その神髄に触れているかのようだった。
指先から直径十cmにも満たない光が三つ放つ。普段はもう少し光──灯火の数が多いのだが、やはり怪我の影響はあったらしかった。
「おいっ!?」
ジオが悲鳴にも近い声をあげた。
当然と言えば当然かもしれない。灯術は目立ち過ぎる。何を行うにしても、まず灯火を生み出さなければならなかった。灯火を生み出し、灯火から術を行使する。灯術を使えば遠目にも存在が分かるし、夜ならば自分の居場所を宣言するようなものでもあった。
だが、それを使うことに躊躇いはなかった。むしろ、使わなければ討たれるとさえ思っていた。どれだけ襲いかかるのか分からない矢と、巧妙に張り巡らされた罠の両方に対応するためには、どうしても灯術が必要だった。
口元で小さく言葉を呟く。それと同時に灯火が思い通りに動いた。三つの灯火は、二人を緩やかな速度で囲んだ。傍にある灯火からは、微かだけど力強い暖かさを感じることも出来た。
「──」数瞬、立ち止まろうとしたジオに叱咤の意味を込めて背中を叩く。立ち止まる訳には行かなかった。ジオは握った掌に力を込めると、先程よりも力強く足を出した。「強行突破するぞ」さらに空いている手を使って、器用に長刀の柄を握り込む。気付いていた。進行方向上に、体格の良い男が数人並んでいる。手にはそれぞれ獲物を持っていた。持ち方や立ち方に一定の型が見受けられる。玄人というには気取られすぎていたが、間違いなく素人ではなかった。多少の経験はしているようだった。「どけっ!!」
長刀の間合いに入るや否や、ジオは鞘に収めたままのそれを振るう。最初の一凪で一人目を昏倒させると、返しで二人目を沈めた。三人目が襲いかかろうとしたので、それには灯術を仕向けた。指先を滑らせ、力ある言葉を紡ぐ。唄のそれに酷似した声律で、思い通りの効果を現実に描く。一定だった灯火の動きに僅かな変化が現れ、その内の一つが男の身体にのめり込む。呻き声を残して三人目の男も倒れた。
だが──体内を侵す激痛に、膝を折る。
「おい?」
ジオの問いかけに返す余裕すら無かった。腹部から流れ出る血液は、すぐにでも止血しなければならないほどのものだ。酒を飲んでいたことが、状況をさらに悪化させている。血の巡りが良すぎるのだ。しかも、現在進行形で灯術を使っていることもある。あるいは灯術がなければ、まだ保っていたのかもしれない。荒い呼吸を繰り返す中で、ゆっくりと体温が奪われ行くのを自覚していた。あまり長くは保たないのも頭の片隅で考える。寒さが身体を支配しようとしていた。急がなければならない。膝に力を込めて、ジオの片腕を引っ張り、何とか立ち上がる。
その貌に何かを汲み取ったのか、彼は悲愴な表情を顔に貼り付ける。戦場を渡り歩いていたのなら、こんな貌も珍しくはなかったのかもしれない。
身の危険を感じて逃げるために歩く──そのはずが、一歩進む度に死へと近付く印象しか纏わない。明日を昨日までと同じようにするために進むのに、皮肉にも、見えてくるのは終幕であるかのようだった。
分かっていた。保たない。
何時間も歩き続けた感覚だけが残っているのに、実際に進んだ距離は子供の足でも悠にたどり着けてしまう距離だった。傍に雑木林が並んでいる。身を隠せるような場所はなく、ましてや地元の人間と比べると土地勘も劣る。何よりも荒事は難しかった。既に戦えるような体力はなく、ジオも飲んでしまった「何か」のせいで本調子ではない。
敵に驕りはないように見えた。未熟さは残っていたが、焦ることはない。統制の取れた動きでもある。しっかりとした指揮者が上に居る証拠だった。万全の状態で相対したとしても、考えないと詰むような戦況だった。
包囲網が狭まっている。
──霞む視界の中に、ひとり、ふたり、と影が出る。まだ隠れているつもりなのかもしれない。三流の実力だが、こと現在に至っては、自分たちの心に焦りを灯そうとしていた。逆に見えることのほうが、悪影響を与えることもある。
傍らのジオが長刀を握り込む。
それを必死に押し止めて、再度、灯火を生み出した。すぐ傍で発された押し止める声を無視して、灯火は二人を護るように囲む。影が気付き、動揺が少しだけ見えた。だが、もう遅い。声律を紡ぎ終える頃には、灯火は街の夜景のように朧な存在となり、二人を光の中に隠した。
守護灯術──内側の物を文字通り護るための術式だった。無論、これは永続的なものではない。灯術師の状態に大きく左右される物だった。だが、それで構わなかった。隣で不安そうにしている彼が万全の状態になるまで──飲まされた「何か」の効果が切れるまで、保てば良かった。そう、この体内に含まれている物も、朝には抜けるだろう。そこまで持続させることが出来れば、彼だけは何とでもなるはずだった。
自嘲的に笑んで、崩れるように座り込む。もはや、身体を維持する気力はなかった。
[4]
あなたは何故、戦場を彷徨っているのか。
薄れゆこうとする意識を繋ぎとめるために、灯術師はジオに尋ねた。俯く貌の中に生気は一切なかった。言葉を発してはいても、どれだけジオの言葉に耳を傾けていられるか、甚だ疑問だった。
それでも────……
「そうだな」静謐な声でジオは言った。「そうすることでしか、埋めることが出来ないから、だと思う」
微かな相槌がすぐ傍から打たれる。
ささやかな相の手を感じながら、ジオは記憶を遡る。
「俺は、故郷を護れなかったから」
ぽつり、ぽつりと零れるようにして言葉を紡ぐ。
──ジオ・ナエウィエスの家は代々国に遣える騎士の一族だった。ジオもまた幼少の頃から国を護るために剣技を叩き込まれた口だった。本来ならば木刀から始めなければいけない剣戟さえも、ジオは長男という期待からか真剣を持たされていた。そう、その時手にしていたのも、身の丈に合わない長刀だった。ちょうど、今のように。
「故郷に居た頃は、俺もまた親父たちと同じように生きるんだと疑いさえ持ってなかったな。同じようにして生き、剣の腕を磨いていくんだとね」
期待は裏切られぬまま、十四の時が過ぎる。このまま行けば近い内に抜擢されるかもしれない、身内にさえ、そう言われるほどだった。その評価は確かに正しかった。事実、孤独になり戦場を彷徨うようになっても、ジオの強さは揺るがなかった。他を寄せ付けないと言われるほど。他者に畏怖を抱かせるほど。
「でも、違ったな。あのとき、故郷は滅んだから」脳裏にはっきりと描き出す。いま振り返っても不可解と呼べるような現象だった。たった一夜で滅んでしまった祖国。まるで、悪夢のような出来事とは、それを指すのではないだろうか。「俺は、護れなかった故郷の幻をずっと追っているんだと思う。そして、あのとき、どうやって故郷が滅んでいったのか知りたいと願っているから……かな」
守護する前に、守護する存在と今まで支えていたすべてが倒れたとき、自分にはそれしかないと呪詛のように染み込んでしまった。それを支えに、今も未だ戦いの場所に赴くのだ。愚挙だとは思っていても、感情が納得しなかった。
傍らの灯術師が、そっと身体を揺らした。
意識を現在に引き戻せてみれば、灯術師は静かに涙を流しているところだった。その涙は傷が生み出すものか、死に近付く未来を想ってのことだろうか。
柄にもなく、ジオは名前も知らない灯術師の手を握りしめた。変な薬が効いている所為だろうか、普段とは違う行動に戸惑いもしていた。第一、今まで誰にも打ち明けなかった話をしているところからして可笑しかった。
[5]
徐々に閉じていく意識は、もはや捉え所がなかった。ジオの話だけは辛うじて耳に入ってきてはいたが、その事象を判断することは出来なかった。
ただ。
心の奥で、強く想う──このままでは行けない、と。何がそうしたのかは分からない。あるいは飲まされた『何か』の所為で妙な気分になっているのかもしれなかった。死に近付く状況から来るものなのかもしれない。判断がおかしな方向に行っていないと断言は出来るが、普段とは違う思考形態であったのは間違いがなかった。
その考えを実行しようなどと普段は想わなかっただろう。だが、もはや時間が残っていない自分には躊躇うなどという選択肢は用意していなかった。
自分が持っている『神殿の証』であるアクセサリを手に取り、ジオに押し付ける。
彼が何か口を開くが、その言葉は既に聞こえなかった。灯術も、そろそろ保たないだろう。押し付けた事の意味を、出来るなら汲み取って欲しいと想った。青年期に入ってもまだ危うさだけしか見えない、熟成していない騎士の話を聞いた後では尚更のこと。
そう言えば、と口元に淡い笑みを薄く浮かべる。
新しく神殿に来た少年もまた、そんな風だった。
──シグニファクトと言っただろうか、少年の名前は。
その子供に、ジオは似ていた。放っておけば、きっと危うい。あの子供と同じように、心から理解してくれるような庇護者が必要なはずだった。その役目が自分ではなかったのが、少しだけ悔やまれる。
そう、本当に。本当に少しだけ悔やんだ。
掠れきって、もう光さえおぼつかない目で彼の方を見る。
──どうか。
アクセサリを渡した意味を、汲み取ってくれれば良いと願った。
[6]
灯術が閉じてゆく。
既に灯火自体は朧気になってはいた。まるで蛍の小さな光のように柔らかで優しく、どことなく儚い。その時間も、灯術師の命が潰えた瞬間に消え去っていった。
内側に護られていた空気が、外気と触れる。
冷たい風が頬に吹き付けたのが分かった。微かに冷たい。見渡してみれば、灯術が展開されていた廻りには屈強な男達が取り囲んでいた。ちょうど正面に見えるのは──飲み場で酒を提供した責任者だった。飲んでいた時に見た善人というイメージは一切ない。むしろ表面に出てきていたのは姑息な手を良く使う悪党に近かった。
三流の男達に取り囲まれ、戦力はたったひとり。酒を振る舞った男だけは、他の者たちよりも手練れているようだった。
だが────ジオは長刀に手を掛ける。鋭い眼光に鈍りはなかった。負けるかもしれないなどという弱気な不安もなかった。あるのは、ただ目の前の『茶番』を片付けて、誇り高い灯術師を弔うという責務だけである。
騎士の家柄の、将来を期待された人物に実力で勝ることは難しい。
戦場で、幾多の敵と相対してきた自分にとって、囲まれる程度の数など無いも同然。
そして飲まされた『何か』は身体を張った灯術師のお陰で、体の中から消えていた。
結局は、それだけのことだった。
「御託は聞かない」僅かに刀身を鯉口から覘かせる。時間を掛けるつもりはなかった。「ただ、祈れ」
今回だけは人を護る騎士でありたかった。
そう想いながら、ジオは刀を完全に抜いた。




