第七十三話【俺が何をすべきなのかは決まった!】
突然現れたリリアに驚きの表情の行幸。
気配も何も感じなかった。リリアは何の気配もなく突然現れた。それも人間の姿でだ。
行幸は一度だけ見た事のある人間の姿。
でも、何でここに?シャルテに関係あるのか?もしかして、俺のフェロモン効果が切れたかを確認しにきたのか?
「こんばんはじゃねぇよ!いつからそこにいたんだよ!」
行幸が強めの口調でそう言った。しかし、リリアは冷静に笑顔で答える。
「えっと…少し前からです。そして…シャルテを天使にしてくださって、本当にありがとうございました」
リリアは再び深々と頭を下げた。
「へっ!?な、何を言ってるんだ?あいつは元から天使だろ?」
リリアはゆっくりと顔を上げると小さく首を振る。
「確かに天使です。しかし、あの子はまだ見習いだったのです」
「見習い?」
行幸は首を傾げる。
「そう、見習いです」
「天使の見習い?それってどういう事だよ?」
「シャルテは恋愛を司る天使としての経験は豊かでした。しかし、事情があってずっと見習いのままだったのです」
「事情って…で、その事情がクリアできたから天使になれたって言うのか?」
「はい。あなたのお陰で…」
「俺のお陰…ってどういう意味なんだ?俺が何かしたのか?」
「…はい、しました。とてもとてもシャルテにとって辛い事になってしまいましたが…」
その言葉で行幸はすぐに気が付いた。
そうだ、シャルテにとって辛い事で俺に関わるなんて一つしかないじゃないか!
やっぱりそうなのか?そうだったのか?
「おい」
「何でしょう?」
「シャルテは…シャルテは俺に恋をしてたのか?」
行幸は答えてくれないのを覚悟で直球勝負に出た。
「どうでしょうね?」
やっぱり…リリアはニコリと微笑んで答えなかった。しかし、十分だった…これだけでも十分だった。
行幸はそれ以上は突っ込まない。深く突っ込んでも今の俺にはどうこう出来る問題じゃないと理解していたからだ。
そして、行幸は真面目な表情になる。
リリアも行幸の表情に気がつき真面目な表情になった。
「シャルテとは…また逢えるよな?逢えないなんて嘘だよな?」
行幸がそう聞くとリリアは即答した。
「逢えません。いえ、逢えないと思っておいた方が良いです」
行幸の表情は険しくなる。
答えはなんとなく想像できていた。だからそれほど驚くような事はない。しかし、逢えなくなる理由がわからない。
自分の恋愛対象者の担当天使だったはずなのに、何で逢えなくなるんだ?
まさか、俺に恋をしたから?ちゃんとした天使になったからなのか?何でだよ?
「おい、何でだよ?何で逢えないんだよ?」
行幸はストレートに聞く。するとリリアの表情は僅かに寂しげに変化する。
「それは…仕方ないのです…」
仕方無い?
そんな答えでは納得出来ない行幸。
「何で逢えないのかって聞いてるんだよ!仕方無いじゃわかんねーだろ!」
強い口調でリリアに迫る。するとリリアは理由を話したくないのか口を閉じてしまった。
ここで、「わかった、もう聞かない」と言えばこれで終わりだろうが、この件はまだ納得が出来てない。行幸にしては珍しく、リリアに追及を始める。
「教えてくれよ!俺にも知る権利はあるだろ?」
「権利ですか?そうですね…知りたいのであれば…」
「知りたいのなら?まさか、何かしろって言うのかよ?」
真面目な表情のままぽっと頬を染めるリリア。その表情から嫌な予感がした。
「待てっ!ちょっと待てっ!なんでそこで頬を染めるんだよ!」
「そ、そんなに聞き出したいのならば、私を縛って虐めて聞き出せば良いではないですか?今の私は人間ですよ?そうしたいのなら私も抵抗はしませんし…答えるかもしれません」
「ま、待て!何だそれは!おかしいだろ!?」
まさかの台詞に顔を真っ赤にする行幸。
リリアがちょっとツンデレっぽく?いや、違う!こ、壊れたのか?何処までが本気なんだよ?何だよそれ!
そんな事を考えつつも、リリアの全身を上から下までずっと見てしまう行幸。
そして、やましい事をつい想像してしまう。男ですから…
「えっと…この紙袋に紐も用意してあります」
そう言って地面においてあった紙袋を…っていつからあった?さっきからあったか?
そんな謎の紙袋を掴んで行幸に向かって差し出した。
「ま、待った!マジで待った!っていうか、リリア!お前、絶対にキャラが変わったよな?最初はもっとこう…清純な感じだったじゃないか!駄目だろ?天使がこんなの駄目だろ?」
行幸は耳まで真っ赤にしてそう言うと、リリアは微笑んだ。ちょっと怪しい笑みだった。
「行幸さん?」
「な、何だよ」
「貴方は私を清純な天使だと言いましたが、実は今あなたの見ている私が本当の私なのかもしれませんよ?」
そう言ってクスクスと笑うリリア。
「お、おい!待て!って…そうか!解ったぞ!リリアはそう言ってシャルテの件をうやむやにするつもりだろ!その作戦には乗らないからな!何でシャルテに逢えないのか早く教えろ!あとそうだ!何でリリアが人間の姿でここに居るのかも教えろ!」
行幸は顔を真っ赤にしつつも、真剣な表情でそう言う。
すると、リリアは目を閉じて少し考え始めた。
十秒程度の時間が経過してリリアは瞼を開く。
行幸の瞳を覗き込んでニコリと微笑むとゆっくりと話を始めた。
「仕方有りません。それほど聞きたいのならばお教えてあげます」
「あ、ああ…教えろよ」
「では…まずは何故シャルテに逢えなくなるかです」
行幸はゴクリと唾を飲んだ。緊張で心臓の鼓動も早まる。
「それは…シャルテが行幸さんに関する記憶を失うからです。いえ、もう失ってしまったと言った方がいいかもしれません」
その一言に衝撃を受ける行幸。記憶を失うだと?どういう意味だ!?
行幸は疑問をそのままリリアにぶつける。
「記憶を失うってどういう事だよ!」
「そのままです。シャルテが行幸さんに関する記憶を失うという事です」
リリアは笑顔でそう言った。でも解る。リリアは表面でしか笑っていない。
「シャルテは俺の事を…忘れるっていうのか?」
「そうです。シャルテは行幸さんの事を忘れる…どうですか?ご理解を頂けましたか?」
「いや…ちょっと待て…なんで俺を忘れるんだよ?さっきのキスが原因なのか?それともあれか?天使になったからなのか?俺がそれを見ていたからなのか?」
リリアは真面目な表情で行幸の瞳を見詰める。そして言った。
「キスも…天使になったのも…全てが関係しています」
「お願いだから、遠回しに言うのはやめてくれよ…ハッキリ言ってくれよ。なんかこう…胸の奥がもやもやして気持ち悪いんだ。それに…俺はシャルテを忘れるなんて出来ない。こんなんじゃ、色々な事がずっと気になって恋愛なんて出来るはずないじゃないか!」
「なるほど…そうですか…うん、そうですね。行幸さんは優しいですからね」
「優しいとかどうでもいいんだ。教えてくれ」
「……はい…解りました…」
リリアは姿勢を正し、まっすぐに行幸の目の前に歩いてくる。距離にすれば顔と顔が二十センチくらいの距離まで接近した。
行幸の顎に何か柔らかい感触が触れる。見ればリリアの胸部が顎に触れていた。
ちょっと意識しつつも行幸はぐっと硬い表情になる。そして顎を引く。
実はリリアの方が行幸よりも10センチも背が高い。だからこういう状況になったのだ。
「あそこで寝てらっしゃる方には聞かれてはまずいので…側に寄らせて頂きました」
「よ、寄りすぎだろ!って?あそこで寝てる?」
リリアが視線を送った先を行幸も確認する。
すると、そこにはぐてーんと両足を広げ、ベンチにもたれ掛かるように寝ている店長の姿があった。
「て、店長!?いつの間に寝てたんだよ!どうりで静かだと思った…」
店長は疲れと、【水無月あやせ】が現実に存在した事に関する悩み(特に男なのか女なのかを悩み)で、ベンチに腰掛けたまま記憶を失ってしまっていたのだ。
「まぁ…あの様子ではなかなか起きないかと思いますが…」
「そ、そうだな…あれは起きなさそうだな」
店長も疲れてるんだな…あんな場所で寝るなんてな…でも疲れてあたり前だよな?俺をシャルテと捜し回ってくれたんだし…
今はゆっくりと寝かせてやろうかな…まぁ後で起こしてあげればいいし。
「さて…続きです…」
「ああ…」
「お気づきだと思いますが、シャルテは貴方に恋をする事で天使になれたのです」
「…やっぱり…か…あれだ…何となくっていうか、露骨に俺が好きオーラが出てたんだよな…」
「あの子なりに隠していたつもりだと思いますが?」
「あれでか?」
「ですが、鈍感な行幸さんが気が付くくらいですし、余程シャルテの隠し方が下手だったのですね」
リリアは微笑んだ。
「な、何が鈍感だよ!」
「あら?鈍感じゃないですか?幸桜さんの好意も、菫さんの好意も、フロワードさんの好意も気が付いてなかったのですから」
行幸は歯を噛みしめて顔を赤くした。
くそっ!リリアの言う通りだ。俺はあの三人の好意に気が付いてなかった。
「で…恋をするのがシャルテが天使になる条件だったのか?」
「そうです。しかし今回は特別な事なのです。本来であれば天使は人間に恋などしてはいけないのです。私もですが、本当は誰かに恋をせずとも、恋愛を見ているうちに恋とは何かを憶えゆくものなのですが…しかしシャルテは…」
「…恋がどんなものかを知る事が出来なかった?」
「そうです」
行幸は何か納得が出来なかった。しかし、納得せざる得なかった。
天使が人間を好きになっては駄目。でもシャルテは俺を好きになった。だから俺を忘れる。
考えてみれば当たり前の事だ。天使は人間に恋をしては駄目なんだからな。
「わかったよ…シャルテが俺を忘れる理由が…」
ここで話は終わるかと思ったが、まだリリアの話は続いた。
「えっとですね…私にも忘れたい事があるのです…」
そう言ったリリアの頬がまた桜色になっている。なんだか嫌予感がする。
「実は…行幸さんの卑猥な思考が私の頭の中にずっと残っているのです…そのせいで私はとっても…えっと…いやらしい天使になってしまったようで…ですから…」
「ちょ、ちょっと待て!俺は何もリリアに教えてないだろ?お前が勝手に俺の頭を覗くからそうなったんだろ!」
「そうですね…ですが、この精神調教された記憶を忘れたいのは事実なんです」
リリアは頬に手を当てて照れている。
「こらまて!まてい!精神調教って何だよ!何か俺がすっげー卑猥な事をリリアにしてたみたいじゃないか!」
「してなかったと?」
「えっ?あ、えっと…いいからな!もうこの話題は終わりにしろ!」
「行幸さんが縛ったり、道具で責めたり、乱暴に犯したり…あと…【文章で表せない事を多数】を私に色々教えてくれたじゃないですか!」
行幸は一歩後退した。こんなの体を密着して話すような内容じゃないだろ!
「だからその勘違いされそうな言い方はやめろって!」
「おかげで私はとっても卑猥になりました」
「ふぅ」っと溜息をつくリリア。
行幸は両手で顔を覆った。
「やめて…もう俺のヒットポイントは0だから…っていうか俺を虐めに来たのかよ?何でリリアがここに居るんだよ…ううう」
青いストライプ縦ラインの筋が背後に見えそうな状態に行幸を見て、リリアは本当に楽しそうに笑顔になった。
そして、満足したのか、リリアは真面目な表情に戻る。
「まぁ、冗談はこのくらいにしておきましょう…」
「ちょ、ま、待て!どこからどこまでが冗談だったんだよ!」
リリアのすごい話の切り替えの早さについてゆけない行幸。
「まぁ細かい事はお気にせずとも大丈夫ですよ?ふふふ」
「い…いい加減すぎる…天使の癖にいい加減すぎる…そして何で俺を虐めるのかな?」
「あらっ?いい加減ではありませんよ?良い加減なのです。あと、行幸さんって、弄ると楽しいんですもの」
「それってすっごく本音っぽいな…」
「はい、本当の気持ちです」
「もういいです…もういいですから…話を戻してください…」
「はい。ではとりあえず…」
リリアは真面目な表情に戻る。そしてその表情を見て、先ほどまで落ち込んでいた行幸も釣られて表情を硬くする。
「記憶を失ったシャルテとはもう二度と逢えない。もしも逢えたとしても、行幸さんの記憶はすべて失っているのです」
「そ、そうか…仕方ない…って言うべきなんだよな?これは…」
行幸は小さな溜息をついた。そしてリリアは沈んでいる行幸の左肩に右手を置く。
「行幸さん、辛いのなら…私がシャルテの記憶をなくしてあげましょうか?」
行幸は下を向いて首を振った。
俺は…シャルテを忘れない。だから記憶はなくさない。
そして、行幸の脳裏には最初に出会った頃のシャルテの姿が思い浮かんだ。
シャルテ…お前とは短い間だったけど色々あったよな。ありすぎたよ。
俺がお前に女にされたり…
俺がお前に殺されたり…
俺がお前に貶されたり…
俺が襲われたり…
あれ?良い思いでが無いじゃないか…
だ、だけど!…俺は…シャルテと出会えた事をとってはかけがえのない経験だと思ってる。
最後に…お前はこんな俺に好意をもって初めてキスをしてくれたんだよな?
だったら余計に忘れない。俺もさ…何だか恋ていうものがわかってきたからな。
シャルテが忘れても俺がお前との想い出を大事に…大事に胸の奥にしまっておいてやるからな!
『合格です』
リリアの優しい声が脳裏に響いた。
ハッとした表情で顔を上げる行幸。
すると目の前には天使の姿のリリアが!?
「え、えっと?」
『私は行幸さんのフェロモン効果が消えたのと、シャルテの件で落ち込んでいないのを確認する為に来ました』
「やっぱり…」
『私が心配するまでもなかったですね。行幸さんならきっと大丈夫です!これからも大変でしょうが、負けないで頑張ってくださいね?』
とても優しい声で脳裏に語りかけるリリア。その表情はまさに天使の笑みだった。
そんなリリアを見ていた行幸もニコリと微笑む。
「任せておけ!俺はポジティブなんだ!前を見て進んでやるよ!」
満面の笑みでリリアはその場から消えた。