第六十五話【俺はこの先どうすれば良いのですか?神様おしえてください!Ⅰ】
行幸を襲う事をやめた紗瑠。そんなシャルが口にした言葉に行幸は動揺を隠せなかった。何で?何でフェロモンの事を知ってるんだ?行幸にとって、過酷な長い夜が始まった。
何でフェロモンを知っているんだ?おかしいだろ?紗瑠さんはいったい何者なんだよ!?
行幸は理解の出来ない状況に混乱していた。どうしてという疑問符が大量に沸き上がり消えてゆく。
そして、行幸の脳裏に一人の女性、いや、天使が浮かぶ。その天使は紗瑠と重なって見えた。
何であいつの事を思い出すんだ?あいつは天界に行ってるはずだろ…
いや…もしかして?まさか…まさか紗瑠さんって…
行幸は紗瑠を見る。似ても似つかない。まったくの別人だ。なのに何で?
行幸が悩んでいる上でシャルテは唇を噛むと『ふぅ』と息を吐いた。
「……紗瑠さん…な…何で…フェロモンなんて…知ってるんだよ」
行幸は紗瑠にお恐る恐る問いかけた。
その瞬間だった。シャルテはまた変な感覚に襲われる。心の奥から湧きあがる欲望。行幸をメチャクチャにしたいとうもう一人の自分の声。そして、理性は一気に飛びそうになる。
シャルテはまるで激しい頭痛に襲われたかのように頭を抱えて俯いた。
「紗瑠さん!?」
それを見て焦りの表情を見せる行幸。
シャルテは頭を抱えて欲望を押さえ込もうと力を入れる。目をぐっと閉じる。
こ…これがフェロモン効果なのか?そうだ、僕は暴走してたんだ…ぐぅぅ…だから…こんなに…黒い気持ちが僕を呑み込もうとするのか…また暴走状態に戻そうとしているのか…
このままじゃ…また僕は…くそっ!負けるか!僕は天使だ!負けて…たまるか…
それに…もう二度と行幸をあんな酷い目には…くっ!
しかし、フェロモンの効果は強烈だった。シャルテの理性が少しづつ犯されてゆく。
黒い無数の手が、真っ白な平原に立つシャルテの手に足にと絡むような感覚。引きずり込まれる…
ダメだ…早く…行幸の五メートル以内から出ないと…フェロモンの影響を受けないように…効果範囲から出ないと…
しかし、動けなかった。苦痛の表情を浮かべてシャルテは片膝をついた。それを見ていた行幸はフェロモンの影響だと直感でわかった。
「紗瑠さん!大丈夫か?」
「だ、駄目だ!僕に寄ったら駄目だ!早く…早く部屋から出て…また理性を失いそうだ…行幸を…また襲ってしまう…」
「うっ…でも…」
「早く…僕は自分の理性を抑えるだけで…せ、精一杯なんだ…」
「くっ…」
行幸は下着を直して体を起こす。そしてTシャツを直し、上着を羽織り、携帯を片手に慌ててアパートの外に出た。
冬の寒さが行幸を襲う。息は白く体が震える。
行幸は体を震わせながら振り返った。
このドアの向こうには俺のフォロモンと戦かっている一人の女の子がいる…
行幸は苦悩した。そして天に向かって叫ぶ。
「リリア!出て来い!早く出て来い!緊急事態なんだよ!」
「聞こえないのかよ!おい!出て来いよ!また一人暴走してるんだよ!」
「本当は隠れて見てるんだろ?出てきてくれよ!出てこいよ!」
「あの子を助けてくれよ…あの子は俺には関係ないんだ!だから…おい!聞いてるのかよ!く…俺はもう嫌だ!こんなのは嫌なんだよ!もう暴走なんて見たくない!見たくないんだ…」
しかし、その声は高速道路の爆音に打ち消されただけだった。
何でだよ…何でこんな時にリリアはいないんだよ…どうでも良い時にはいる癖に…
その時、アパートのドアが開いた。
行幸が後ろを振り駆るとシャルテの姿が。
シャルテは顔を火照らせて息を荒くしている。
行幸は思わず両手を前にクロスに組んで身構えた。何時でも逃げれるような体制をとる。すると、シャルテはつらそうに笑みを浮かべた。
「行幸…迷惑をかけてごめんな…僕が行幸から離れるから…」
シャルテはそう言い残すと裸足で鋼鉄製の階段を駆け降りていった。
『カンカンカン』と鋼鉄製の階段を駆け下りる音が響く。
「紗瑠さん!」
行幸の体が勝手に動き出した。慌ててシャルテを追っかける。
何故だろう?暴走すればまた襲われるかもしれないのに…でも、追わなければいけないと思った。
しかしシャルテの走る速度は早かった。行幸は追いつく事が出来ず、ついにシャルテは視界から消えてしまった。
全力で追っかけてかなりの体力を消耗した行幸は、道路をふらふらと歩きながら『はぁはぁ』と息を切らしている。
行幸は辺りを見渡すが人の気配は無い。そして、再び歩き出す。
それからも諦めずにかなり探してみた。しかし、何処にもシャルテの姿はなかった。
行幸は意気消沈して倒れそうになる。体の疲れだけじゃない。精神的にも参ってしまっていた。そんな行幸の瞳は無意識に潤む。そして涙がぼろぼろと出る。
俺は…何してるんだ…
行幸は涙を左腕で拭う。
俺は紗瑠が暴走しそうだからって真っ先に部屋を飛び出した。あれは自分の事しか考えていない行動だった。
考えてみろよ、フェロモンを出しているのは俺なんだぞ?俺のフェロモンのせいで何の罪も無い紗瑠さんがあんな状態になったんだ…俺の責任なんだ…なのに…
でも何で…何で紗瑠まで暴走してんだよ…おかしいだろ?何でフェロモンの影響を受けたんだよ…
【フェロモンはその人物の一番強い感情を増幅させる】
そうか…そうだ…
あの時に言ってた俺に向かって言った台詞は…
『行幸…僕達もそういう関係になろうか』
そういう関係…あのゲームの主人公は人間。その人間が天使を恋人に出来るゲームだ。
確かにエッチなゲームだけど、目的はそれだけじゃない…恋愛をして恋をするゲームなんだ…
紗瑠は俺と恋人関係になりたかった?…わからない…でも、そうだとすると答えは一つしかないじゃないか…そうじゃないと暴走なんてするはずがない…
行幸は溢れる涙を今度は右腕で拭う。
何で俺なんかを好きになったんだよ…おい、紗瑠さん、教えてくれよ!意味わかんねぇし…俺は鈍感な男なんだよ…女心なんてわかんねーんだよ!わかんねーんだ…
行幸は立ち止まると目頭を両手で押さえた。そして怒鳴るように地面に向かって叫ぶ。
『どうして…どうしてこうなるんだ!』
行幸はそのまま道路の端に崩れ落ちるようにへたりこんだ。
菫…幸桜…紗瑠…フロワード…みんな何でだよ?何でだよ…わかんねーし…
行幸は道路の端で膝をかかえる。体育座りで顔を膝につてけ俯く。
俺はネカマで人を騙すような酷いやつなんだぞ?
大学だって留年したし、勉強はもちろん出来ない。年中ネットゲームをやってるし、エロゲーも漫画も大好きなんだぞ?貯金もしないし格好よくないんだぞ?
俺は…天使に罰で女にされたようなろくでもない人間なんだ…
典型的な駄目人間な俺なのに…お前たちに好きになってもらう価値なんて無い人間なのに何で…
行幸は何時の間にか声を出して泣きじゃくっていた。涙が止まらない。
駄目だな俺…女になってから本当に本当に涙もろくなった。
行幸の気持ちはどんどんと沈む。
もう疲れた…もう無理だ…こんなの耐えられない…
フェロモンで、俺の知り合いはどんどんおかしくなる…みんながおかしくなる…
こんな状態で何が恋愛だよ!出来るかってんだ!これはゲームか?違うだろ!リアルだってんだ!
もう無理だ…こんな状態で誰か一人を選ぶなんて出来るはずないだろ…
もういいよ…もういいよ…疲れた…
そして自分の左胸を右手でぎゅっと握った。
女か…俺は女なんだ…
行幸は近くのコンクリートの塀に手をかけると、ゆっくりと立ちあがった。そして、再びふらふらと歩き始める。
行幸はゆっくりと自分の右手を自分の左胸に当てる。そしてもにゅっと握る。
そうだよ…誰も傷つけないで済む方法があるじゃないか…
俺は女なんだ…女になったんだ。だったらずっと女でいればいいじゃないか。
そうすれば、菫だって、幸桜だって、俺を諦めるしかないだろ。あいつはら男の俺が好きなんだ…
そうだ、今度、リリアに出会ったら女のままでいるからって言おう。そうすればフェロモンだって止まるんだよな?恋愛もしないって言おう。そうすれば恋愛対象者とか関係なくなるんだよな?
なんだよ、最初から女でいるって選択肢を選べばよかっただけじゃないか。
あはは…あはは…
ぐっと握る自分の右手には柔らかな自分の胸の感覚が伝わる…
ごめんな俺の体…俺…男には戻れない。女のままだけどごめん…
菫、幸桜…俺は…一生を女で過ごすよ。恋人になってやれなくてごめんな。答えを出せなくてごめんな…
行幸は笑顔だった。そう、諦めの笑顔…
今まであった色々な出来事の蓄積が最悪の形で爆発した結果、行幸が選択したのは女でいる事。
行幸は自分の考えを正当化する為に色々な事を考える。
俺ってすごいよな?女だぞ?男が女になったんだぞ?ゲームや漫画やアニメじゃないとこんなのありえないだろ?それを体験してるんだぞ?すげーな?
もしかして、すっごく有名になったりな?だって、俺は美少女だし、アニメキャラにそっくりだし、声だって可愛いしな!
そのうち彼氏とか出来るのか?あはは…無いな。正直男のあれとか触りたくねぇ…思うだろ?男なのに、男のなんて触りたくもない!いや、体は女だけどさ。
エッチは興味ないのかって?いや、ぶっちゃけあるよ?あるけどさ…
でも、男を相手にしなくてもいいんじゃん?女は色々な選択肢があるだろ?えっと…大人のおもちゃとか?うぉぉ!想像するだけで変な気持ちになる!
という事はいいんじゃないか?独身のままでもOKだ!
そうだ、引きこもってもいいかもな。俺は一人でゲームが出きてればいいんだよな?
エロゲームを一人で部屋の中でプレイするのが楽しいんじゃないか。体が女だろうが男だろうが、エッチゲーは楽しいのには変わりないんだ。
…あれ?女でエッチゲームをするときって、抜きゲーって言ってもいいのか?いや、抜くものないだろ?(行幸さん、それはどうでもいいでしょう…)
まぁ俺は非抜きゲーの方が楽しいんだけどな。(それはよかったですね…)
そうだ!アニメを一日中見ているのもいいな!俺が出てる…じゃない、俺とそっくりな子が出てるアニメも見よう。店長にDVDでも借りるかな。
おい行幸!三次元の女と一緒にいて楽しかったか?
いや!辛かっただけだ!妹は煩いし、同僚の女はすぐ文句言うし、天使だって俺のHPをゼロにするような事ばっかり言いやがる。
そうだ!俺には二次元がお似合いなんだ!
二次元キャラは俺を裏切らない!俺を女にもしない!いや、俺、今女だけど!
俺みたいな人間には二次元が恋人で十分なんだ!エロゲーのヒロインは俺のヨメだ!
しかし、その瞬間だった。走馬灯のように今日の出来事が思い出される。
馬鹿三人組み、フロワード、幸桜、菫、そして…紗瑠…
あはは…今日はゲームを自分で体験しているみたいな一日だったな…
でもさ、ゲームみたいに楽しくなかった。全然楽しくなかった…
三次元の恋愛は俺には重いよ。やっぱすごく重いよ…ううぅ…
行幸は声を殺して泣いた。
☆★☆★☆★☆★
ここは天界…
五十畳があろうかと思える広い広間。床は菱形の石畳が広がり、周囲は白く輝く壁で覆われている。
広間の中心は白く輝く壁で明るさを保っている様子で、他の明かりは見当たらない。
そんな広い空間の中央にリリアの姿があった。
中央に立つリリアはいつもの穏やかな表情ではなく、とても険しい表情をしている。
『どうしてシャルテが暴走したのですか!』
リリアの怒鳴り声が広間に響く。
『いえ、それでは答えになっていません!試練にしてもあれは酷すぎると思います!』
誰かと会話をしている様子だったが、広間に響くのはリリアの声だけだ。相手の声はまったく聞こえない。そして姿も見えない。しかしリリアは中央から前方の空間に向かって叫ぶ。
『私は天使長様の考えにはついてゆけません!シャルテの試練の続行を止めるべきです!あれではシャルテが可愛そうです!』
どういやら相手は天使長らしいが、その姿は肉眼では確認が出来ない。
『行幸さんの件もフェロモンで恋愛させるなんてやめるべきだと思います!』
リリアらしからぬ強い口調で誰もいない、いや、確認できない空間に向かって意見を述べる。
『前にもお話したように、今回のやり方はおかしいと思っていました。事例も一度もないではないですか。今からでも遅くありません、普通の恋愛をさせてあげませんか?行幸さんはきっときちんとした結論を出してくれます。だから見守ってあげませんか?』
『そ、それは認めます。行幸さんは特殊なのかもしれません。幸桜さんの件もそうですが…何か特有のものを持っている…』
『それは無いです!シャルテが本気の恋に落ちるなんて…シャルテも天使です。きっとこの試練を乗り越えてくれるはず…確かに、今は行幸さんに好意を抱いていますが…』
『わ、私は行幸さんの影響なんて受けてません!なぜ私が出てくるのですか!今は関係ないではないですか!』
『………笑わないでください!』
『…み…認めます。天使長様には嘘はつけません…私も行幸さんから影響を受けています、しかしこれは恋愛ではありません。それだけは確実です』
『天使長様は楽観的すぎます!どうしてそんなに簡単に考えるのですか?もういいです…もう結構です…それでは失礼します』
リリアはそう言うとくるりと180度方向転換をする。
『…え?』
リリアは数歩進んだところで立ち止まった。
『何でしょうか?私を引き止めないで下さいますか?』
『えっ?そ、それは本当ですか?』
リリアは再び振り向いて広場の中心を見た。
『シャルテが行幸さんのフェロモンの魔法を解除するのですか?しかし…出来るでしょうか…その方法は…』
『わかりました…シャルテは恋に落ちないと言ったのは私です。天使長様、お願いです。シャルテには私から伝えさせて下さい。もちろん試練の件は話しません』
『あと…私の体の拘束を解いてくださいますか?思念体では魔法も使えませんし、限界があります』
『はい、前のような身勝手な行動は慎みますので…』
『ありがとうございます…』
リリアは一礼すると広間を後にした。
先ほどの明るい広間とは違い、薄暗い通路をリリアは歩く。そして、その表情は暗い。
『シャルテ…頑張って…貴方なら出来るはずです…』
リリアは唇を噛んだ。
☆★☆★☆★☆★
店長は店の事務所でイライラしながら携帯で話をしていた。
「恋次郎さん?ラガーマン喫茶の件、どうですか?」
「おい、こんな時間の電話だから急用かと思えばその件か?」
携帯を持つ手が震えている。
「重要でしょう?貴方はいないと始まらないのですよ?」
「じゃあ、始めなきゃいいだろ!」
「しかしですね?」
「もういい!じゃあな」
店長は躊躇せずに携帯の電源を切った。
「まったくあいつは何なんだ!俺は忙しいんだよ!だいたいラガーマン喫茶って誰を相手にするんだよ!毎回おなじ事を言わせるな!」
店長は一人で怒っている。その時、事務所の壁にある防火ロイドのポスターが目に入った。
そこからとある動画サイトを思い浮かべる。そして、ある動画を思い出す。
ラガーマン…アニキ…ムキムキマッチョ…俺と…【やらないか?】(やらないか~やらないか~)
………
や、やらねーーーからな!
体に寒気が走る。背筋がぞっとする。
「まさかマッチョが集まったりしないよな?ムキムキポージング野郎とか来たらどうする…アダムとか言う名前だったら俺は逃げるぞ!俺は健全な男子だ!俺は女が、いや!二次元ロリキャラっ子が好きなんだ!(それは健全だとは言いません)」
ぐっと拳を突き上げる、筋肉ムキムキのキモオタ店長。こんな所で自分の好みをカミングアウト!
「だが、『神無月みゆき』もストライクだ!」
店長のストライクゾーンはちょっと広めだった!外角低めもOK!
ノートパソコンのマウスカーソルが自然と『わたしがメイドでごめんなさい』フォルダへと移動する。そしてクリック。
中身は大量のファイル。その一つ。怪しげなJPEG画像をクリックすると、画面いっぱいに展開されたのはメイド服の行幸だ。
『リアル…神無月みゆき…これもストライク!』
おいこら!二次元じゃねじゃないか!いえ、店長曰く、行幸だけは二次元キャラらしいです。
そんなメイド服画像を見ながら店長は行幸を思い出す。
行幸は今頃なにしてんだろうな?
その時、再び店長の携帯が鳴った。
続く
バルス!……行幸がぁ!行幸がぁ!
いえ、深い意味はないです…ごめんなさい。