第九十五話【俺の最後の聖戦Ⅰ】
午後六時。
幸桜は京浜東北線で秋葉原へ向かっていた。
そこから総武線へ乗り換えて両国へと向かう予定だ。
「ふぅ…」
電車の中で幸桜は深く息を吐いた。そして胸をおさえる。
今日は行幸が結論を出す日。凄まじい緊張が自分を襲う。
胸が苦しくって、吐きそうなくらいに苦しくって、心臓が口から出そうな程ドキドキしてて…今にも倒れそうな位につらい…
行幸…苦しいよ…
心の中で大好きな人に助けを求めた。
そして脳裏に浮かぶのは行幸の姿。
ねぇ…行幸は私の事をどう思ってるの? 今でもやっぱり妹なの? それとも…
ぐっと拳を握って瞼を閉じる。
走馬灯のよう行幸との想い出が浮かんでは消える。
楽しかった事。辛かった事。泣いた事。怒った事。告白しちゃった事。
そして、好きだとまた自覚する。その度に胸が押さえつけられる。
おかしいな…何で行幸なんだろう…
私はもっと普通の恋愛をするはずだったのに…
血が繋がっていなくっても私と行幸は兄妹だよ?
世間体的にも私達が付き合うのはおかしいんだよね。
そう、普通に考えたらありえないんだよ。
私が第三者だったらそう思う。
……
頑張ろうと思ったよ?
でも…やっぱり…
無意識に涙が溢れそうになる。
どうするのよ私…これでいいの?
自分の中で葛藤する。
電車は両国駅に到着した。
開いたドアからゆっくりとホームへと降りる。そして、階段を一歩一歩ゆっくりと下った。
うん…
幸桜は何かを決意したかの様にちいさく頷くと右の拳に力を込めた。
私は決めたよ…
☆★☆★☆★☆★
午後六時五十二分。
菫は自分のマンションから両国へ向かっていた。
「……」
無言のまま青い顔で電車に揺られている。
ガタンガタンと小刻みに揺れる電車が妙に心地悪かった。
しっかりと握った両手のひらには汗が滲んでいるし、喉が渇くし眼鏡も曇った。
あぁ…こんなんじゃ駄目だわ…
手のひらの汗をハンカチで拭うとそのまま手を両手を重ねるように胸にあてる。
ぐっと押さえるとドキドキと自分の心臓の鼓動が自分の手のひらに伝わる。
「はぁはぁ…」
朝からずっと動悸が収まらない。
…だから駄目だって…こんなに緊張してどうするのよ?
胸を押さえたまま深呼吸をした。
ふと外を流れる風景に目をやると浅草橋の夜景が流れてゆく。
落ち着いてよ私…
そして結局は落ち着く事なく両国駅へと到着した。
電車を降りて階段へと向かう。
階段を見た瞬間、ふとこの前の事を思い出した。
先週、自分を助けてくれた行幸の事を。
私はあれで行幸をもっと好きになった。
もう、好きに歯止めが利かない位に好きになった。
最初はこの人の事が好きかもしれない…その程度から始まった恋。
でも、いつも一緒にいて、いつも馬鹿話をしているうちに私が行幸の世界へと引き込まれた。
気が付いたら興味もなかったMMOも初めていた。
そう、そんな私は今の自分は怖いくらいに行幸と一緒にいたいと思ってる。
でも…
菫の心拍数が上がる。
行幸は私を選んでくれるか解らない。
幸桜ちゃんを選ぶかもしれない。
ねえ、私…もしも行幸が私を選んでくれなかったらどうするのよ?
自分で自分にそう問う。
答えは出ない。出るはずもない。不安だけが心を覆ってゆく。
でもね…でも…それでも…仕方ないんだよ。
私が早く行動に出なかったから悪いんだからね。
変に虚勢なんて張ってるからいけないんだからね。
ぐっと両方の拳に力が篭もった。
はぁ…私はやっぱり駄目かも…
幸桜ちゃんの本気の恋には勝てないかもしれない…
だんだんと弱気になってゆく菫。まだ答えも出てないのに諦めムードになってゆく。
ずっとずっと片思いだった行幸といつも恋人同士になった時の事を想像していた。
恋人同士になったら、何処に行こうかなとかずっと考えてた。
いつ私とHな事をするのかななんて想像してた。
ねぇ、私は行幸を諦めれるの?
自分に再び問う。
何でだろう? さっき出なかった答えがすぐに出た。
もちろん答えはNOだ。
諦められるなら最初っから諦めていたから。
そう、駄目だよ! 弱気になっちゃ駄目なんだよ!
菫は瞼を閉じた。
大丈夫よ…信じるのよ菫…
信じる者は救われるっていうでしょ!
今日は…聖夜なんだよ…クリスマスなんだからね…
…あっ…MMOのクリスマスレイドイベント忘れてた。
あっ! 予約したアニメを取りに行くのも忘れてた。
☆★☆★☆★☆★
午後八時。
行幸のアパート。
狭い部屋の中には幸桜と行幸と菫の三人が座っていた。
三人は最初に軽く挨拶をした程度でお互いに会話はしない。
いや、出来る状況ではないと言った方が適切かもしれない。
緊張の走る狭いアパート内部。
壁に貼ってある某エロゲのポスターが浮きまくっている。
「くあぁぁぁ!」
行幸が吼えながら両手を上げた。
何だこの空気は! 重すぎるだろ!
行幸は我慢というのが苦手だ。どんな状況でも一番に緊張の糸が切れるのが行幸だ。
「今日で世界が滅ぶって訳じゃないんだぞ? なんだこの緊張感は!」
幸桜と菫に向かってそう言ったが、二人は無言のままだ。行幸は目をパチパチとする。
「いや、お願いだから何か話してくれないか? 俺さ、すげーこの空間が嫌なんだけど」
「「……」」
しかし無言だ。
今度は行幸の顔がどんどん赤くなった。
解るよ? 緊張するのは解るよ? 俺だって緊張してるから!
お前らも会話すら出来ないくらいに緊張してるんだろ? そんなの解ってるって! でもな? マジで空気が重過ぎるんだよ! お前らだってこの場にいるのがすごく嫌だって思ってんだろ? だったら話せよ! 少しでも緊張をほぐそうとは思わないのか?
なんて言えねぇ…
行幸は我慢が出来ない上にヘタレだった。
くそぉぉ…エロゲみたいにこいつらの考えている事が噴出しに出れば…
こういう時にゲームはマジでいいよな…
そしてすぐに現実逃避をする。
☆★☆★☆★☆★
それから10分後。状況は変わらずだった。
リリア! 早く来い! 来てくれよ…
もう限界で涙目の行幸。もはや神たのみ。いや、天使たのみだ。
すると、行幸の願いが通じたのか目の前にリリアが現れた。
天使長とシャルテの姿はない。
「リリア!」
まるで待っていた恋人が現れたくらいに嬉しそうな表情をする行幸。
「待ってたんだぞ? 遅いじゃないか!」
『現在は八時十分です。約束は八時三十分です。遅くはありません』
しかし、今日のリリアは冷たかった。
「リリア、なんかテンションが低くないか?」
『いえ、何も変わりませんが何か?』
「そ、そうか?」
何が何も変わりませんだ! 初めて出会った頃よりも冷たいだろ!
『……皆さん、揃っているようですね』
リリアは冷静な表情で、青い顔の菫と赤い顔の幸桜を見る。
『なるほど…』
「何だよ? 何が『なるほど』なんだよ?」
『いえ…お二人とも色々と思う所があるのだと…そう思っただけです』
「お二人って、俺は入ってないのかよ」
『ああ、すっかり忘れていました』
「ちょ、ちょっと待て! こうして話をしてるのに忘れる訳ないだろ!」
『では、移動しましょうか』
「おい! 俺は無視かよ!?」
リリアは躊躇なく魔法を唱えた。
すると、行幸の目の前が真っ白になり気が遠くなった。
続く