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4.事例##04

 彼は、人生で “運” に賭けたことがなかった。


 朝は同じ時刻に起き、体調の波を数字で記録し、会議の前には必ず最悪ケースを洗い出す。

 仕事は順風満帆。

 出世も、金も、評判も、積み上げてきた結果だった。

 予定は常に前倒しで埋まっていた。


 だから布団の中で “異世界に行けたら” なんて考えたことは一度もない。

 現実は、十分に自分の支配下にあったから。


 ――目を開けるまでは。


 最初に来たのは、寒気でも恐怖でもなかった。

 苛立ちだった。


 「……は?」


 声が出た、自分の声だ。

 出たことに驚いた。

 部屋の空気じゃない。

 音の響きが違う。

 天井がない。


 暗い空、星が濃い。

 草の匂いが鼻を刺す。

 湿った土が服に滲み、背中が冷える。


 夢じゃない。

 でも、現実として扱うには、情報が足りなさすぎる。


 「意味が分からない」


 口にした瞬間、腹の奥がむかついた。

 自分は “意味が分からない” を放置しない人間だった。

 会議でも、契約でも、人生でも。


 なのに今は、説明がない。

 誰もいない。

 スマホもない。

 時計もない。

 世界が勝手に始まっている。


 彼は立ち上がろうとして、止めた。

 まずは身体。

 指、関節、視界、耳、痛み。


 次に周囲。

 光量、風、足場、逃げ道。

 最後に――自分の服。


 スーツではない。

 寝間着でもない。

 普段から自分が着ていたものでもない。

 なのにサイズは合っている。


 「……気持ち悪い」


 誰かが “用意した” 形跡。

 説明のない親切ほど、腹が立つものはない。

 ポケットの位置まで馴染むのが、いちばん嫌だった。

 まるで、何年もここで暮らしていたみたいに。


 空を見上げ、息を止めた。


 知らない星座、見慣れた並びが一つもない。

 それだけで胃が重くなる。

 位置が違う、じゃない。そもそも、空の “法則” が違う。

 そう理解した瞬間、苛立ちが少しだけ恐怖に変わった。


 (ここはどこだ)

 (誰がやった)

 (目的は)

 (戻れるのか)


 問いが頭の中で渦巻き、答えがないまま膨らんでいく。

 彼はその膨張に苛つく。

 苛つきながら、同時に冷たく理解する。


 ――情報がない。なら、まず生存を確保して “時間” を作る。


 「……切り替えろ」


 自分に命令する。


 その瞬間、視界の端に薄い文字が浮いた。

 半透明の板――でも派手な演出はない。

 ただの表示。冷たいUI。


 《付与:〈危険度指数〉》

 《効果:現在地・現在行動に対する危険度が数値で表示される》

 《注意:数値は理由を示さない》

 《副作用:高値ほど自律神経が同期する(吐き気・震え・視野狭窄)》

 《発動:常時》


 「……は? ふざけるな」


 思わず笑いそうになった。

 これはゲームか?

 能力? スキル? そういう “テンプレ” を用意するなら、詳細も一緒に出せ。

 なぜ、一番必要なところが適当なんだ。


 表示の下に数字が出ていた。

 数字は、感情も説明もなく、ただ印字みたいに置かれていた。


 12


 低い。

 それが、余計に気持ち悪い。


 (何を基準に?)

 (誰が決めた?)

 (危険って何の?)


 理由は示されない。

 “危険だ” とだけ言われる。

 まるで警報灯だ。鳴っているのに、何が来るかは教えない。


 彼は一歩だけ右へ動いた。


 18


 左へ。


 14


 「……行動で変わるのか」


 今度は、少しだけ納得が混じる。

 理不尽は消えない。

 だが、“反応するもの” には手がかりがある。


 (理由は分からない。なら、ルールだけ拾う)


 彼は苛立ちを捨てないまま、行動に移した。


 水を探す。

 足跡を残さない。

 高所を避ける。

 音を出さない。


 “答えを探す” ではなく、 “安全を確保する” へ。


 数字は黙って上がっていく。

 苔を踏んだとき、22。

 川を越えるとき、31。

 風下に出た瞬間、46。


 理由は相変わらず分からない。

 だが分からなくても――数字が上がる行動を続ければ死ぬ。

 こんな謎の世界で、それだけは次第に分かるようになってきた。


 (気に入らない。だが使う)


 彼が “使える” と判断した瞬間だった。

 その瞬間、数字が跳ね上がった。


 72


 吐き気が喉まで上がり、視界が狭くなる。

 手が震えた。

 あまりに露骨で、怒りが湧く。

 彼は反射で走り出しかけて、理性で反射を止めた。

 走れば、数字の最大値を見ることになるだけだ。


 (……それにしてもこれは、対価が重すぎる)


 数値が高いほど身体が壊れる。

 つまりこれは “危険を教える能力” じゃない。

 危険が近いほど、"判断と行動を奪う能力" だ。


 最悪だ。

 それでも彼は止まるしかない。

 逃げずに、隠れるしかない。


 草の影、倒木の裏、土の窪み。

 姿勢を落とし、呼吸を小さくし、心拍を下げる。


 72 → 70 → 68


 下がる。

 追跡者は “近づいている” が、まだ見えていない。


 ――いや、見えない。

 つまり、森の暗闇のどこかにいる。

 しかもこの数字は、相手が “見える距離” に来てからじゃ確実に遅い。


 金属の擦れる音がした。

 革、複数の足音。

 遠い、だが近い。


 68 → 71


 吐き気が強くなった。

 身体が “動くな” と命令してくる。

 なのに状況は “動け” と言っている。


 (この能力、俺を殺すために作られてるだろ)


 苛立ちが戻る。


 (大きく動くな 、“微調整で外せ” )


 彼は数センチだけ体をずらす。


 71 → 66


 さらに数センチ。


 66 → 64


 当たりだ。

 危険な何者かの “通る線” がある。

 そこから外れると数字が下がる。


 (よし、答えは数字で見える)


 彼は立ち上がらないまま、這うようにズレ続けた。

 吐き気を我慢し、草を折らず、土を蹴らず、匂いを残さず。

 自分の “生存” を、ミリ単位に分解する。


 数字は正直だった。


 64 → 58 → 51


 遠ざかった。

 遠ざかったことだけは分かる。

 何が、誰が、なぜ危険なのかは分からない。


 ――つまり、この世界の謎は残ったままだ。



 そして、逃げ続けた先、気が付けば朝が来る。

 長かった夜は更け、彼は生きていた。

 答えは見つかっていない。


 ただ――死んでいない。


 彼は立ち上がり、土を払った。

 苛立ちは消えていない。

 むしろ増えている。


 「……戻れたら、訴えるレベルだ」


 誰に、何を、どうやって――その答えもない。

 それでも彼は数字を見る。


 12


 低い。

 しかし気持ち悪い。

 これからはこの数字を常に気にしなければならない。

 

 そして、この世界はまだ何も説明していない。

 ただ一つだけを、彼に押し付けている。


 「お前は、これで生き残れ」 と。


 記録はここで途切れている。


対象:神崎(かんざき) 蓮司(れんじ)/男/30代前半/非凡個体

目的:******

付与:〈危険度指数〉

結果:初日生存(接触回避/夜間追跡回避/仮保護圏外に滞留)

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