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3.事例##33

 布団に潜ると、世界は急に小さくなる。


 スマホの光を消して、部屋の暗さに目を慣らしながら、俺は天井を見上げた。

 明日が来るのが面倒で、でも来ないのも怖い。

 そんな中途半端な夜だ。


 最近、眠りに落ちる直前だけ、頭が静かになる。

 日中ずっと張り付いていた雑音——やること、やらないといけないこと、誰かの視線、将来の不安——が、ようやく手を離す。


 その隙に、どうでもいい思いが込み上げる。


 (ここじゃない場所なら、もう少し呼吸が楽なんだろうか)


 転職とか引っ越しとか、現実的な話じゃない。

 もっと乱暴で、もっと都合のいい想像だ。

 ルールごと違う世界に放り出されたら、今の自分が抱えている面倒が、全部リセットされるんじゃないか——そういう考え。


 そして最後に、いつも同じ結論に辿り着く。


 (都合のいい能力が欲しい)


 努力や根性じゃなく、システムで楽に生きたい。

 簡単に世界が俺を認めてくれる。

 言い換えるなら、チートだ。


 そんな思いに耽っていると、少しずつ、まぶたが重くなる。


 夢が、薄い膜みたいに降りてくる。

 気が付けば、俺は誰か知らない人の言葉を聞いていた。


 意味は分からないのに、なぜか理解できる。

 自分の居場所が最初から用意されていて、説明が揃っていて、失敗してもやり直せる——そんな "作り物みたいな安心" の中にいる。


 そこで夢が、ぷつりと途切れた。


 布団のぬくもりが、急に冷たくなる。

 土や草の匂いがする。

 耳の奥で、風の音がする。

 目を開けると、天井じゃなくて、淡く暗い空があった。


 「……え?」


 慌てて身体を起こす。

 家の壁も、布団も、何もない。

 代わりに、すぐ傍に森がある。

 木々が黒く立ち並び、湿った空気が肌にまとわりつく。


 ——不気味。


 その言葉に紐づいた恐怖が込み上げる。


 風の音以外が聞こえない。

 それが恐怖をさらに助長する。


 落ち着こうと深呼吸をするも、吸った空気の匂いで背筋が冷えた。


 湿った土に混じり、嗅いだことのない甘い金属臭がする。

 口の奥が勝手に苦くなる。


 初めての体験の連続に、身体が先に拒んでいた。


 空を見上げて、俺は息を止めた。

 よく見ると、月が、二つある。

 大きい方は白じゃなく、薄い青。

 小さい方は赤みがかっていて、互いに違う光で地面の影を彩っている。


 星座にも心当たりがない。

 見慣れた並びが一つもない。

 北極星の位置すら掴めない。

 夜空が "地図" として機能しないだけで、心がぐらつく。


 木もどこかおかしい。

 葉の形が左右非対称で、幹の節が妙に螺旋を描いている。

 風が吹くたび、葉の擦れる音が、紙を破く音に似ている。


 (……やばい)


 怖い。

 でも、怖さの正体を言葉にできない。

 分からないものが、分からないままここにある。

 それが一番怖い。


 それでも、混乱より先に変な笑いが出た。

 笑うしかない、みたいに。


 「……マジか。俺、今……ここ、地球じゃないのか?」


 ゆっくりと立ち上がった。


 すると、夢か現実の狭間、視界の真ん中に、半透明の板が浮く。


 《スキル付与:〈時止め〉》

 《効果:周囲の時間を停止》

 《補足:停止中、あなたの意識・身体は稼働する》

 《発動:任意(念じる)/危険時 自動》

 《停止:任意(念じる)》


 「時、止め……!」


 言った瞬間、喉が勝手に笑いを漏らした。

 いや、笑いと一緒に、疑いも湧く。


 (……待て。これって、よく見るステータスパネルみたいなやつか?)

 (まさか、本当に……)

 (本当に? そんなの、テンプレすぎないか?)


 思考はぐちゃぐちゃだった。

 目の前のことを信じてしまうのが、一番楽だった。


 最強……なのか?

 テンプレの最強だ。

 時間を止められるなら——やりたい放題。


 心臓は、喜びと同時に疑念と警戒でも跳ねていた。

 とはいえ、俺は思わず、拳を握った。

 手のひらは汗ばんでいる。


 「とりあえず、一度試し……」


 言いかけた、そのとき。


 森の奥で、金属が擦れる音がした。


 カチ。

 カチ。


 乾いた音。

 軽い金属がどこかに当たる音。

 その次に、足音。

 複数。

 近い。


 身体の反応は正直だった。

 肩がすくみ、喉が詰まる。

 息が浅くなる。

 目だけが勝手に闇を探す。


 (いや、待て。まだ何も見えてない)

 (でも、音が近い。こっちに向かってる)


 すぐさま光が揺れた。

 松明だ。

 木々の隙間から、橙の光が断続的に刺さる。

 影が伸びたり縮んだりして、森が "動いている" ように見える。


 鎧と槍。

 兵士みたいなやつがたぶん三人、こちらに向かってくる。


 敵か味方か、まだ分からない。

 でも、どう考えても歓迎の雰囲気とは思えない。


 そして、松明の光が、兵士との視界を繋ぐ。


 一人が叫ぶ鋭い声。

 意味は分からないが、警告か命令だ。

 もう一人が、槍の穂先をこちらに向ける。

 迷いのない角度。


 ——これは、非常にまずい。


 俺は本能で理解した。

 殺される。


 速い。


 兵士たちは大きな金属音を鳴らしながら、走り始める。

 松明を地面に放り、森の暗さを利用して、三人が横に広がる。


 右の一人が回り込む。

 左の一人が影に身を潜め、

 正面の一人だけが真っ直ぐに突っ込んで来る。


 視界の端で、槍の影が揺らぐ。

 俺の喉の高さに合わせて、穂先が揃っていく。


 暗さに目が慣れつつあるおかげで、辛うじて追えている。

 なのに身体は恐怖で動かない。


 反射的に、俺は "時を止める" ことを念じた。



 ——瞬間、世界が——止まった。



 落ちた松明の炎が固まる。

 火の揺らぎが、絵の具みたいに静止する。

 兵士の瞬きも、呼吸も、止まる。


 音が消えた。

 風が消えた。

 俺の心臓の音だけがやたらと大きい。


 さらには空気も——固定化された。


 見えないはずのものが、突然質量を持ったみたいに、皮膚に当たってくる。

 鼻の先にあるはずの酸素も、頬を撫でるはずの窒素も、全部が止まっている。

 水蒸気も、埃も、匂いも、熱の流れも、何も動かない。


 世界中の "俺以外" が、原子一つぶんも譲らない。


 俺は、透明な結晶の中に押し込められたみたいに感じた。


 (——なんだ、この……ゴミスキル)


 声が出ない。空気が振動しないから。

 息が吸えない。酸素が動かないから。


 なのに——外から見れば、何も起きていない。


 俺だけが分かっている。

 世界は止まっていて、俺だけが時間を感じている。


 (——やばい)


 俺は "時間停止の解除" を念じた。


 世界が動き出す。


 音が戻る。

 風が戻る。

 松明が揺れる。

 空気が流れ込む。


 俺は、肺が破れるほど息を吸った。


 「はっ……! はっ……!」


 助かった。

 ——いや、助かっていない。


 兵士からすれば、意味不明だろう。

 目の前の男が突然苦しみだしたのだから。

 余計に "危険物" に見える。


 俺がそう自答している間に、距離が消えた。


 さっきまで十数メートルあったはずの間合いが、一瞬で詰まる。

 正面の兵士が走ることをやめ、跳ねる。

 地面を蹴った音が遅れて耳に届く。

 脚力の桁が違う。


 同時に左右の二人が、俺の逃げたい方向の先にいる。

 回り込んだんじゃない。

 最短で塞いだ。

 動きが読まれてる。

 俺の身体の癖を見ているみたいに。


 槍の穂先が、月明かりを裂いた。


 喉、心臓、腹。

 殺せる場所をいくらでも選べるのに、狙いは一点——喉だ。


 反射で、俺はまた念じた。


 (止まれ!)


 世界が止まる。


 槍の穂先が、喉元の直前で固まる。


 助かった。

 ——いや、助かってない。


 また息ができない。

 また声が出ない。

 そして槍の先は、もうそこにある。


 外から見れば、また同じだ。

 何も起きていない。


 止めれば、息ができない。

 解除すれば、刺さる。


 都合よく生きるためのはずの能力が、不都合に襲い掛かる。


 (——思っていたのと、違う……)


 これは、最強の能力じゃない。

 考えるための時間を作る能力だ。


 俺は必死に考えた。

 短く止めて、短く解除して——


 でも短くしても、止めた瞬間に世界は "完全に固まる"。

 酸素も窒素も、全部が硬い壁になる。

 一秒だろうと、肺は容赦なく焼ける。


 視界の端が暗くなる。

 意識が削れていく。

 俺にはこれを打開できる能力が無い。


 (解除——)


 俺は震える意識で解除を念じた。


 世界が動き出す。


 空気が入る。音が戻る。

 同時に——槍が、突き刺さった。


 喉の奥が熱くなって、呼吸が途切れた。

 空気が入るのに、入らない。

 吸う場所が、壊れた。


 俺は倒れた。

 土が冷たい。

 兵士が何か呟いている。

 言葉は分からない。


 俺は、最後にもう一度だけ念じた。


 (止ま、れ)


 世界が止まった。


 松明の炎が固まる。

 兵士の顔が固まる。

 血の飛沫が、空中で止まる。


 空気も止まる。

 酸素も、窒素も、匂いも、熱も、音も。

 俺以外のすべてが、そこに固定される。


 外から見れば、俺はただ倒れて、ただ痙攣して、ただ静かになっていく。

 槍を振り抜いた手応えだけが、結果として残る。


 でも俺は——どちらにしろもう息を吸えなかった。


 止めた世界の中で、止められない俺だけが、静かに終わっていく。

 最強のはずのチートが、最後まで俺の首を絞めていた。


 視界が真っ黒になりかけた、その瞬間。


 ぷつん、と。


 今度は、世界の方じゃない。

 俺の方の "動き" が止まる。


 時止めも、思考も、呼吸も、全部が途切れて——


 それから先の時間は、もう、俺には関係なくなった。


対象:鷹取たかとり 亘一こういち/男/30代前半/凡個体

目的:***

付与:時止め

結果:初日死亡

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