第5話 噂の拡散速度は、光の速さを超える
翌朝。
教室のドアを開けた瞬間、僕は世界の異変を察知した。
「……来たぞ、鈴木だ」
「あいつが、あの美少女転校生を……」
「体育倉庫で……獣のように……」
クラス中の視線が突き刺さる。
ヒソヒソ話の内容が、事実と180度違う方向にねじ曲がっていた。
『獣のように』って何だ。僕はただの下敷きだぞ。
席に着くと、隣の席の男子・田中がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「よっ、色男! やるねぇ鈴木。あのクールな白森さんを落とすとは」
「違うって! あれは事故だ!」
「はいはい。事故で押し倒して、鍵までかけられるなんて、ラノベの主人公かよ」
全否定したいが、状況証拠が真っ黒すぎる。
僕は机に突っ伏した。胃が痛い。
そこへ、噂の張本人――シルフィが登校してきた。
いつも通り凛とした表情だが、僕の姿を見つけると、ツカツカと歩み寄ってくる。
「おい、ハルト」
「……何? 今は話しかけないでほしいんだけど」
「昨日の件だが」
シルフィは周囲の視線を気にする様子もなく、僕の机に手をついて身を乗り出した。
「あの方への弁明は済んだのか?」
「できるわけないだろ! 天道さん、僕と目も合わせてくれないんだぞ!」
「むぅ……。それは由々しき事態だ」
シルフィは腕組みをして唸る。
その距離が、またしても近い。
クラス中が「ほら見ろ、やっぱりデキてる」という空気になっているのがわかる。
「責任を取れ、ハルト。貴様のせいで、私の『清純派』イメージが崩壊したのだぞ」
「お前の『奇行種』イメージの間違いだろ」
「なんだと!?」
ギャーギャーと言い合っていると、教室の入り口がざわついた。
現れたのは、天道玲奈だ。
彼女は生徒会の資料を抱え、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。
「……!」
シルフィがビクッと体を震わせ、僕の背後に隠れた。
盾にするな。
「鈴木くん、白森さん」
天道さんの声は、鈴を転がすように美しかったが、どこか冷ややかだった。
「昨日の件について、生徒指導の先生がお呼びです。……放課後、職員室へ行ってください」
「は、はい……」
「承知した……」
事務的な伝達。
それだけで去ろうとする彼女を、僕は慌てて呼び止めた。
「あのっ! 天道さん!」
彼女が足を止める。
「昨日のあれは、本当に事故なんです! ネットが引っかかっただけで……やましいことは何もありません!」
必死の弁解。
天道さんは振り返り、僕と――僕の背中にしがみついているシルフィを交互に見た。
そして、ふっと小さく笑った。
「……ふふ。仲が良いのは結構なことだと思いますよ。お似合いですね、お二人」
それだけ言い残して、彼女は教室を出て行った。
「…………」
「…………」
僕とシルフィは顔を見合わせた。
「……ハルト。今、あの方は何と言った?」
「『お似合い』って……」
「つまり、私と貴様が……つがいに見えているということか?」
シルフィの顔から血の気が引いていく。
彼女にとって、それは「恋愛対象外」という死刑宣告に等しい。
「いやぁぁぁぁ!! 誤解だぁぁぁ!! 私はあの方一筋なのにぃぃぃ!!」
頭を抱えて絶叫するシルフィ。
しかし、その目には涙が浮かんでいたが、どこか悔しさだけではない色が混じっているように見えた。
「……でも、ハルト」
彼女はポツリと呟く。
「あの方が笑った顔、初めて近くで見たな」
「え?」
「私に向けられた笑顔ではなかったが……それでも、美しかった」
そう言って、少し寂しそうに微笑むシルフィを見て、僕は胸がチクリと痛んだ。
なんだろう、このモヤモヤは。
放課後。
生徒指導室でこっぴどく叱られた帰り道。
夕焼けに染まる廊下を歩きながら、シルフィが言った。
「ハルト。作戦を変更する」
「え、まだやるの?」
「当然だ! 『お似合い』という誤解を解くには、貴様との関係を否定せねばならん!」
彼女はビシッと僕を指差した。
「これより、貴様を『下僕』として扱う! そうすれば、恋人同士には見えまい!」
「扱いが酷くなってるだけじゃねーか!」
やっぱり、このエルフにときめいた僕が馬鹿だった。
前途多難な「誤解解消作戦」が、また始まろうとしていた。




