第4話 体育倉庫は、ラブコメの聖地(ただし修羅場)
その日の体育は、男女合同のバスケットボールだった。
コート内では、天道玲奈が華麗なドリブルで敵を抜き去り、シュートを決めている。
「キャーッ! 玲奈様ステキー!」
「天道さん、マジ半端ねぇ!」
黄色い声援と野太い歓声が飛び交う。まさに学園のスターだ。
一方、僕はコートの隅で、ボールが飛んでこないことを祈りながら空気になりきっていた。
と、その時。
僕の隣に、銀色の影がスッと音もなく現れた。
「……ハルト」
「うわっ、びっくりした! 気配消すのやめてくれない?」
シルフィだ。
指定の体操服を着ているが、そのスタイルの良さは隠しきれていない。
しかし、彼女の顔色は最悪だった。
「どうした? お腹痛いの?」
「違う……。あの方の輝きが、眩しすぎて直視できんのだ……」
シルフィは両手で顔を覆い、指の隙間からコート上の玲奈を見つめている。
「あんなに動いているのに、汗さえも聖水のように美しい……。それに比べて私は、ただボールを追いかけるだけの野蛮なエルフ……」
「ネガティブ入ってるなぁ。お前だって運動神経いいだろ?」
「ふん、戦いなら負けんが、球技は別だ。ルールが多すぎる。『トラベリング』とは何だ? 旅をするのか?」
「3歩以上歩いちゃダメってことだよ」
そんな会話をしていると、先生の笛が鳴った。
授業終了。片付けの時間だ。
「おい鈴木、白森。お前らボール片付けてこい」
「え、僕らが?」
体育委員に指名され、僕は渋々ボールカゴを押した。
シルフィも「あの方の残り香を嗅ぐチャンス……!」とブツブツ言いながらついてくる。
◇
体育倉庫。
埃っぽい匂いと、独特の静けさ。
ボールを棚に戻していると、シルフィが突然、倉庫の奥で立ち止まった。
「……ハルト。これは何だ?」
彼女が指差したのは、跳び箱のマットだ。
積み上げられたマットの隙間に、何かが挟まっている。
「ん? ああ、これ……」
僕はそれを引っ張り出した。
それは、少し破れたバスケットボールのネットだった。
「ただのゴミだよ。捨てておくか」
「待て!」
シルフィが僕の手首をガシッと掴んだ。
その顔は真剣そのものだ。
「これは……『罠』ではないのか?」
「は?」
「この網目、獲物を捕らえるための結界に見える。もしや、ここには魔物が封印されているのでは……」
「考えすぎだって。ほら」
僕はネットを軽く振ってみせた。
その拍子に、ネットの端がシルフィのジャージのファスナーに引っかかってしまった。
「あ」
「ぬおっ!?」
シルフィがバランスを崩す。
狭い倉庫内。彼女は僕の方へと倒れ込んできた。
ドサッ!!
背中にマットの感触。
そして胸の上には、柔らかい感触と重み。
「い、痛……」
「だ、大丈夫かシルフィ?」
目を開けると、そこにはシルフィの顔があった。
至近距離。鼻先が触れそうなほど近い。
彼女の銀髪が僕の頬にかかり、くすぐったい。
「す、すまんハルト。足がもつれた」
「い、いいけど……早く退いてくれ」
「うむ。だが、ファスナーが……」
ネットが複雑に絡まり、彼女は身動きが取れない状態だった。
僕の上でモゾモゾと動くシルフィ。
その動きが、妙に艶めかしい。
「ちょ、ちょっと! 動かないで!」
「仕方なかろう! 取れんのだ!」
その時だった。
ガララッ!
倉庫の扉が勢いよく開いた。
「鈴木くーん、先生が鍵閉めるって――」
そこに立っていたのは、クラスの女子数名。
そして、その中心には――天道玲奈がいた。
彼女たちの視線の先には。
薄暗い倉庫の中で、マットの上に押し倒された僕と。
僕の上に乗り、顔を赤らめて(暑いから)息を荒げている(動いたから)シルフィの姿。
「…………」
「…………」
時が止まった。
永遠にも思える沈黙の後。
「きゃああああああああッ!!」
女子たちの悲鳴が響き渡る。
天道さんは、目を見開いたまま固まっていたが、やがてスッと目を伏せ、
「……お邪魔だったようね。行きましょう」
と、静かに扉を閉めようとした。
「ち、違います!! 誤解です天道さん!!」
「待て玲奈様! これは不可抗力なのだ! ハルトが罠を仕掛けたのだ!」
「お前、僕になすりつけるなよ!?」
弁解も虚しく、扉は無情にも閉められた。
ガチャリ、と鍵をかける音まで聞こえる。
「……おい」
「……なんだ」
「これ、閉じ込められたんじゃないか?」
薄暗い倉庫に取り残された二人。
シルフィは「あの方に汚らわしいものを見せてしまった……」と絶望し、僕は「明日から学校に行けない」と絶望していた。
こうして、僕とシルフィの『体育倉庫密室事件』は、学園の伝説として語り継がれることになるのだった。
……もちろん、悪い意味で。




