第3話 貢ぎ物は、猪肉よりもクッキーが好まれる
挨拶ミッション(結果:決闘申し込み疑惑)から数日後。
僕とシルフィは、家庭科室に忍び込んでいた。
「よいかハルト。挨拶の次は『貢ぎ物』だ」
エプロン姿のシルフィが、泡立て器を聖剣のように掲げる。
銀髪を後ろで束ねた姿は、悔しいけれど様になっている。黙っていれば、良家のお嬢様が料理に挑戦している図だ。
「貢ぎ物って……プレゼントのこと?」
「うむ。私の故郷では、意中の相手には自ら狩った獲物の『一番美味い部位』を捧げるのが流儀だった」
「うん、それはやめてね。生首とか持って行ったら停学だから」
僕は即座に釘を刺す。
前科(挨拶事件)がある以上、彼女の常識を信用してはいけない。
「わかっておる。この世界の文献(少女漫画)で学んだのだ。女子高生という種族は、『手作りクッキー』なるものに弱いとな!」
「まあ、王道だね」
「そこでだ、ハルト。貴様には私のサポートを命じる。毒見役も兼ねてな」
「毒見って……失敗する前提なの?」
不安しかないが、断ればまた「記憶消去魔法(物理)」が飛んできそうだ。
僕は諦めてエプロンをつけた。
◇
調理開始から一時間。
家庭科室は、地獄の釜の蓋が開いたような有様になっていた。
「火力が足りぬ! 我が魔力で炎を強化する!」
「やめろ! ガスコンロで十分だ!」
「粉が舞う! 風魔法で集塵を……」
「換気扇つけろってば!」
ドタバタと騒ぎながら、なんとか生地をオーブンに放り込む。
シルフィは顔に小麦粉をつけながら、オーブンの小窓をじーっと睨みつけていた。
「……膨らんでおる。生き物みたいじゃ」
「パンニング(膨張)してるだけだよ」
「ふふ、これがあの方の口に入るのか……。間接キス……いや、体内侵入……」
「言い方が怖いよ」
しばらくして、「チン!」と軽快な音が鳴った。
甘い香りが漂う。
取り出した天板には、少し形はいびつだが、こんがりと焼けたクッキーが並んでいた。
「おお……! これが『クッキー』か!」
シルフィが目を輝かせる。
初めて錬金術に成功した見習い魔女みたいだ。
「さあハルト、食せ。死ぬなよ」
「縁起でもないこと言うな」
僕は一番焦げていそうな一枚を手に取り、口に放り込んだ。
サクッ。
……あれ?
「……美味い」
「本当か!?」
「うん、普通に店で売れるレベルだ。意外と器用なんだな」
素直に感想を言うと、シルフィは「ふん!」と鼻を鳴らした。
「当たり前だ。私はこれでも、森一番の弓の名手であり、薬草の調合も得意だったのだ。分量さえ守れば、造作もないこと」
そう言って胸を張る彼女の尖った耳が、嬉しそうにピコピコと動く。
……この動き、感情ダダ漏れでわかりやすいな。
「よし、ならば包装だ! 可愛くラッピングせねば!」
シルフィは意気揚々とラッピング袋を取り出し――そして、固まった。
「……む」
「どうした?」
「……リボンが、結べん」
見ると、彼女の細い指がリボンと格闘している。
弓は引けても、蝶々結びは苦手らしい。不器用かよ。
「貸して。こうやるんだよ」
僕は彼女の手から袋を取り、手早くリボンを結んでやった。
その時、ふとシルフィとの距離が近いことに気づく。
甘いバニラの香りと、彼女自身の爽やかな森のような香りが混ざり合う。
「……ほう。貴様、意外と家庭的だな」
シルフィが感心したように僕の顔を覗き込んでくる。
碧色の瞳が、すぐそこにある。
長いまつ毛。透き通るような肌。
黙っていれば、本当に息を呑むほどの美少女なんだよな……。
「……な、なんだよ」
「いや。貴様が私の専属従者でよかったと思ってな」
シルフィはニカッと無邪気に笑った。
その笑顔の破壊力に、僕は一瞬ドキッとしてしまい――慌てて視線を逸らす。
「ほら、できたぞ。早く天道さんに渡しに行けよ」
「うむ! 感謝するぞ、ハルト!」
シルフィはクッキーの袋を宝物のように抱きしめると、家庭科室を飛び出していった。
……数分後。
廊下から絶叫が聞こえてきた。
「あ、あ、あのっ! これ、毒ではありません! つまらないものですが、死にはしませんので!!」
言い方!!
僕は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「毒ではありません」なんて言いながら渡されるクッキー、誰が食べるんだよ。
案の定、その日の夕方。
『転校生、生徒会長に謎の暗殺未遂か?』という噂が、全校生徒を駆け巡ることになった。
僕の胃が痛くなる日々は、まだまだ続きそうだ。




