第2話 挨拶は、ドラゴン討伐よりも難易度が高いらしい
翌日の放課後。
僕とシルフィは、作戦本部――という名の旧校舎裏に集合していた。
「よいか、ハルト。我々の最終目標は『玲奈様とのお茶会』である」
シルフィが腕組みをして、真剣な表情で宣言する。
銀髪が西日に輝き、碧眼は決意に満ちている。見た目だけなら、これから魔王討伐に向かう勇者のようだ。
ただし、彼女が背負っているのは聖剣ではなく、ファンシーなウサギの絵が描かれたスクールバッグだが。
「お茶会ね……。まあ、目標としては妥当かな」
「うむ。だが、その道筋が見えん。昨夜、シミュレーションをしてみたのだが……」
シルフィは眉間にシワを寄せ、指を折り始めた。
「プランA:窓ガラスを割って侵入し、彼女を抱きかかえて去る」
「犯罪だね。即通報だよ」
「プランB:彼女の家の前にテントを張り、毎朝の出待ちをする」
「ストーカー規制法って知ってる?」
「プランC:決闘を申し込み、その強さを認めさせる」
「少年漫画の読みすぎだ。ここは平和な日本だよ」
僕は深いため息をついた。
このエルフ、思考回路が世紀末すぎる。
放っておいたら、天道玲奈が物理的に「攻略(拉致)」されてしまう。
「いい? シルフィ。まずは基本中の基本、『挨拶』から始めるんだ」
「あ、挨拶……だと?」
シルフィがゴクリと喉を鳴らした。
なぜか顔色が悪い。
「ま、まさか『おはよう』とか『さようなら』とか、そういう高度な魔術を行使しろと言うのか?」
「幼稚園児でもできるよ! なんでドラゴン討伐より難しそうな顔してるの!?」
「だ、だって……!」
シルフィはモジモジと指先を合わせ、頬を赤らめた。
「あの方と目が合ったら、私の心臓が爆発してしまうかもしれん……。それに、もし無視されたら……私はショックで森に帰って引きこもるぞ」
「メンタル豆腐かよ」
やれやれ、と僕は頭をかく。
このポンコツエルフ、遠くから見ている分にはクールビューティーなのに、中身はただの限界オタクだ。
「大丈夫。天道さんは誰にでも優しいから。ほら、ちょうど今、生徒会室に向かうところだ」
僕が校舎の方を指差すと、渡り廊下を歩く天道玲奈の姿が見えた。
夕日を浴びて歩く姿は、確かに絵画のように美しい。
「ひっ……!」
「隠れるな! 今がチャンスだろ!」
僕は物陰に隠れようとするシルフィの背中を、グイッと押した。
「行け、シルフィ! ただ『さようなら』って言うだけでいい!」
「き、貴様ぁぁぁ! 覚えておれよぉぉぉ!」
捨て台詞とともに、シルフィが廊下へ飛び出す。
その勢いは凄まじかった。
ダダダッ! と猛スピードで天道さんに接近し――そして、急ブレーキ。
キキーッ!(本当にそんな音がしそうだった)
天道さんの目の前、距離にしてわずか1メートル。
シルフィは仁王立ちで立ち塞がった。
「…………」
「…………」
沈黙。
天道さんが、驚いたように目を丸くしている。
対するシルフィは、ガチガチに固まっていた。肩が震えている。
言え。言うんだ。「さようなら」と。
シルフィが口を開いた。
「き、き……!」
頑張れ。
「き……貴様ッ!!」
なんでだよ。
僕は思わず頭を抱えた。挨拶しようとして「貴様」って叫ぶやつがあるか。
しかし、一度口から出た言葉は止まらない。
テンパりすぎたシルフィは、真っ赤な顔で、なぜかファイティングポーズを取りながら叫んだ。
「貴様、ごきげんよう!! 今日の夕日は……その、目に染みるな!!」
会話のドッジボールがすごい。
意味不明すぎる。喧嘩を売っているのか、天気を褒めているのかわからない。
天道さんは一瞬キョトンとしたあと――ふわりと、花が咲くように微笑んだ。
「ええ、そうね。白森さん。ごきげんよう」
――ズキュゥゥゥン!!
僕には聞こえた。シルフィのハートが撃ち抜かれる音が。
彼女は「はわ……」と口を開けたまま、茹で上がったタコのように真っ赤になり、
「し、失礼するッ!!」
脱兎のごとく逃げ出した。
残像が見えるほどのスピードで、僕が隠れている植え込みにダイブしてくる。
「ハ、ハルトォォォォ!!」
「うわっ!?」
ドサッ!
僕の上に乗りかかり、シルフィは涙目で訴えてきた。
「見たか!? 今、あの方が私に微笑まれた! しかも名前を! 私の名前を呼ばれたぞ!?」
「うん、見てたよ。重い、どいて」
「もう死んでもいい……いや、生きる! あの方のために私は生きるぞぉぉ!」
僕の胸ぐらを掴んで揺さぶるシルフィ。
その顔は、先ほどの緊張が嘘のように、幸せそうでデレデレに緩んでいる。
……まあ、結果オーライ、なのか?
その日の夜。
クラスのLINEグループには、こんな噂が流れていた。
『速報:転校生の白森さん、生徒会長に決闘を申し込む』
『マジ? やっぱあの二人、バチバチなんじゃん』
「……はぁ」
スマホを見ながら、僕は重いため息をつく。
訂正する気力もない。
僕の平穏な日常を取り戻す戦いは、まだ始まったばかりだ。




