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第16話 溶けない熱と、聖女様の落とし物係

手のひらが、熱い。


 帰りの電車の中も、駅から学園までの夜道も、僕たちは一言も喋らなかった。

 ただ、繋いでいた手の感触だけが、皮膚の奥に焼き付いて離れない。


 校門のランプが見えてきたところで、シルフィがパッと手を離した。


「……ここからは、学園の敷地内だ」


 彼女は僕の方を見ずに、早口で言う。


「風紀を乱すわけにはいかない。聖女様にお仕えする身として、誤解を招く行動は慎まねばならん」

「……そうだな」


 さっきまで「貴様がいるからだ」とか言って手を握りしめていたのは誰だ、とツッコミたい気持ちを飲み込む。

 今のシルフィは、耳の先まで茹でダコみたいに赤い。これ以上いじると、オーバーヒートして魔法をぶっ放しかねない。


「私は聖女様に帰還報告をしてから、自宅へ戻る。貴様も……少し頭を冷やしてから来い」

「なんで僕だけ?」

「貴様の顔が、ニヤけていて気持ち悪いからだ!」


 捨て台詞を吐いて、シルフィは小走りで校舎の方角――聖女様が滞在している特別棟へと向かっていく。

 ニヤけている自覚はないけれど、まあ、緩んでしまっているのは否定できない。

 僕は自分の頬をパンと叩き、深呼吸をしてから彼女の後を追った。


 ***


「あら、おかえりなさい。お二人とも」


 特別棟のサロンに入ると、そこには予想外の人物が待ち構えていた。

 この学園の象徴であり、僕たちが仕える聖女――天道玲奈てんどう・れいな様だ。

 彼女はソファに優雅に座り、読みかけの本を閉じて微笑んでいる。


「た、ただいま戻りました! 玲奈様、このような時間まで起きておられたのですか?」


 シルフィが慌てて姿勢を正す。

 さっきまでの動揺を隠そうと必死だが、声が裏返っている。


「ふふ、お二人の帰りが遅いから、少し心配で待っていたの。……でも、その様子だと心配はいらなかったみたいね」


 玲奈様の黒曜石のような瞳が、シルフィの顔と、僕の顔を交互に見る。

 そして、何かを察したように目を細めた。


「外は寒かったでしょう? でも、なんだかお二人とも……温かそうなお顔をしているわ」

「っ!? そ、それは暖房が効いているからです! 決して、その、不純な熱などでは……!」

「誰も不純だなんて言っていないわよ?」


 玲奈様は楽しそうにクスクスと笑う。

 この人には勝てない。僕とシルフィは顔を見合わせ、同時に小さくため息をついた。


「それで、例の『探し物』は見つかったのかしら?」


 核心を突く質問に、シルフィが肩を落とす。


「……申し訳ありません。任務は失敗しました。モール中を探しましたが、私の不注意で……」

「そう。見つからなかったのね」

「はい。ハルトから貰った……大切な装備だったのですが」


 シルフィが悔しそうに唇を噛む。

 その姿を見て、僕は「明日、また別の場所を探そう」と言いかけた。


 その時だ。

 玲奈様が「あらあら」と言いながら、テーブルの上に置いてあった『何か』を手に取った。


「大切な装備って、もしかして……これのことかしら?」


 彼女の細い指がつまみ上げたのは、黒い革製の手袋。

 右手用だ。

 僕が今、左手に持っているやつの片割れであり、今日一日探し回ったターゲットそのものだった。


「「えっ?」」


 僕とシルフィの声がハモる。


「ど、どうして玲奈様がそれを!?」

「昨日の夜、シルフィちゃんがここでお茶をしたでしょう? その時、ソファの隙間に挟まっていたのを見つけたの。今日渡そうと思っていたんだけど、お二人が朝早くから出かけてしまったから」


 玲奈様は悪戯っぽく首を傾げた。


「灯台下暗し、ね」


 ――沈黙。

 サロンに、重苦しいほどの沈黙が降りた。


 つまり、何か。

 僕たちが必死になってモールを歩き回り、人混みに揉まれ、手を繋いでドキドキしていたあの時間は。

 手袋を探すという意味においては、完全に徒労だったということか。


「……あ、あう……」


 シルフィが、わなわなと震えだした。

 顔色が、赤から青へ、そしてまた真っ赤へと目まぐるしく変わる。


「わ、わたくしは……なんて無様な……! 聖女様の御前で失態を……!」

「ふふ、いいじゃない。おかげで素敵な『デート』ができたんでしょう?」

「デッ、デートではございません!! これは任務! 捜索任務です!!」


 シルフィが叫ぶ。

 しかし、その手袋はすでに玲奈様の手によって、シルフィの目の前に差し出されていた。


「はい、どうぞ。もう無くさないようにね」

「……は、はい。ありがとうございます……」


 シルフィは蚊の鳴くような声で礼を言い、手袋を受け取った。

 そして、僕の方をギロリと睨んだ。


「……ハルト」

「な、なに?」

「……今日のことは、忘れなさい! 全部、全部ノーカウントよ! 手袋はここにあったの! だから、あの時間は……その……」


 必要なかった、と言おうとして。

 彼女は言葉を詰まらせた。


 僕の手には、まだ彼女の体温が残っている。

 彼女の右手には、僕が貸した片方の手袋が握られたままだ。


「……必要、なくはなかった……わよね?」


 最後は、消え入りそうな声だった。

 僕は苦笑して、頷く。


「ああ。楽しかったよ、僕は」

「……ふん! 物好きな奴!」


 シルフィは手袋を胸に抱きしめると、逃げるようにサロンの扉を開けた。


「本日の業務はこれにて終了する! 失礼するわ!」


 バタン! とドアが閉まる音が響く。

 彼女は寮生ではない。きっと今頃、夜風に当たりながら校門へ向かって爆走していることだろう。


 残されたのは、僕と、ニコニコ顔の玲奈様だけ。


「……ハルトさん」

「はい」

「シルフィちゃん、出かける前、すごく嬉しそうだったわよ? 『ハルトと出かける口実ができた』って、鏡の前で何回も髪を直していたもの」


 玲奈様がこっそりと教えてくれた爆弾情報に、僕は頭を抱えた。


「……勘弁してください。心臓に悪いです」

「ふふ。これからも、あの子の『世話』をお願いね?」


 玲奈様は満足そうに微笑み、自室へと戻っていった。


 僕は一人、サロンに残される。

 左手には自分の手袋。

 右手には、まだ微かに残る熱。


 結局、手袋は見つかった。

 けれど、僕が見つけたもの――シルフィの意外な素顔と、この右手の感触は、手袋よりもずっと厄介で、大切なもののような気がした。


「……さて、明日からまた『冷たい』態度に戻るのかな」


 僕は小さく呟き、男子寮へと戻るために廊下へと足を向けた。

 けれど、その足取りは、来る時よりもずっと軽かった。



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